August.27,2001 ありがとうございました
本日、明治座千秋楽。今月は中村玉緒座長公演『女の居場所』でした。中村玉緒様、田村亮様、三ツ矢歌子様、穂積隆信様、仲本工事様他の皆様より注文をいただき、楽屋まで出前させていただきました。ありがとうございました。
August.25,2001 これで最後の東京湾大華火見物
もうかれこれ10年前くらい前になるのだろう。毎年8月の第2土曜に行われる晴海沖の[東京湾大華火大会]を見に行ったのは。あの年は、なんでもロック・ミュージカルをバックにして行われるとかで、ハガキで申し込みをして、わざわざ会場まで見に行ったのだった。地下鉄築地の駅からテクテクと歩くこと何十分かかっただろうか? それでも会場まで行っただけのことはあった。真上に上がるでっかい花火の迫力は、臨場感たっぷり。今でも頭に焼きついている。もっともロック・ミュージカルの方は何だかさっぱり分らなかった。みんな花火ばかり見上げていて、あれを見ていた人なんていなかったんじゃないだろうか?
参ったのがトイレ。確かあの夏は冷夏だった記憶がある。ただでさえ冷えるのに冷たいビールを飲むので、トイレが近くなって困った。仮設トイレの数は多かったものの、会場に集まった人の数は並大抵のものではなく、トイレの前は長蛇の列。なかなか列は進まない。特に教訓になったのが、浴衣姿の若い女性が加わっている列には並ぶなということ。着慣れない和服など着ているものだから、用をたしたあとにまた着付けを直している時間が、恐ろしくかかる。
花火大会が終わったあとがまた一苦労。地下鉄の駅までの人の列がノロノロと遅々として進まない。ここでもまた途中でトイレに行きたくなったが、公衆便所はまたズラリと並んでいる。膀胱を抑えて途中のホテルに駆け込んでも結果は同じ。男の場合は最終的には立ちションという手があるが、女性は困っただろうなあ。もっともその立ちションも、警備の警官が多くて場所を選ぶのに苦労するが・・・。
結局その年だけで懲りてしまい、もう見に行くのは諦めようとしていた矢先だった。月島の高層公営住宅の15階に住む知り合いが、自宅のベランダから花火がよく見えるからおいでよと誘ってくれた。それはありがたいと、さっそくお言葉に甘えることになった。行ってみるとなるほどよく見える。トイレに行きたくなっても、すぐにそのウチのトイレが使えるから、落ちついて花火見物ができた。なんでも毎年友人を集めて、ここでパーティーをやっているのだと言う。会費はなしで、飲み物と食べ物各自持ち寄り制。各自、これはと思うワインや、手作りの料理を持ち寄ってくるから、花火が終わっても知らない者同士が集まって夜遅くまでペチャクチャと、話は尽きることなく続いた。
以来、今年までの約10年、毎年この時期にはお邪魔させていただいた。初めてうかがったときに、小学生だったお嬢さんは、やがて中学生になり、高校生になり、大学へ通うになり、今年はついに成人になった。大人たちに囲まれて、部屋ではしゃぎまわってた女の子が、思春期を迎え成長していく姿を、花火の記憶と供に毎年一度づつ見ていたことになる。そのお嬢さん、今年は家にいなかった。カレシが出来たのだそうで、家のベランダからではなく、真下からカレシとふたりで見に行ったのだと言う。へえー、あの子がねえ。つくづく10年という月日を感じてしまった。
実は、今年この知り合いに電話をしたところ、「あのねえ、もうあの年に一度の行事は終わりにしようと思ってたの。他の人にはほとんど連絡してないんだけど、よかったらいらっしゃい」と言う。どうしたのだろう? もうあのパーティーには疲れちゃったのかなと思って行ってみると訳が分った。ベランダと花火会場の間に、高層マンションが建築中なのであった。もう左半分は見えなくなっており、右半分も微かに見られる程度。「もう今年で終りだね」 ビルの隙間から何とか見える花火がパッと咲いて消えていくのを見ながら、これで私の年中行事がひとつ消えていくのを感じた。
August.10,2001 海中観光船[トムソーヤ]
2泊3日の両親金婚式記念沖縄旅行最終日。なにせ足が弱い両親をあまり歩かせるわけにもいかない。どうしようかとガイドブックを引っくり返しているうちに、海中を見られる観光船に乗ってみようと思いついた。もっとも帰りの飛行機の時間まであまり余裕はない。南の方へ行くと良さそうなスポットがあるようなのだが、ここはホテルから近くの那覇港から出ている観光船で間に合わせることにした。
ホテルの前に停まっていたタクシーに乗ったら、このタクシーが性質(タチ)の悪いやつだった。「那覇港まで行ってください」と言ったらば、「何しに行くんです?」ときた。「観光船で水中を見に行くんです」と答えると、「那覇港沖は、あまり綺麗じゃないですよ。南の方へ行けば、綺麗な海底が見える」と言う。「時間がないので、遠くへは行かれないんです」と答えると、「今、海は荒れていますよ。船酔いするんじゃないかんなあ。それよりも玉泉洞はどうです? 鍾乳洞や熱帯果樹園、ハブとマングースの戦いも見られますよ」 「そんなところまで行っている時間は無いんです」 「首里城観光はどうです?」 「両親は足が弱いので歩き回るのはイヤなんです。私達は船に乗りたいんです! 言う通りに那覇港まで行ってくださいよ!」
この運転手、長距離を稼ぎたいらしいのだった。ホテルから那覇港まではすぐ近く。ワンメーターで行ける距離。これでは面白くないのだろう。しかし、客が希望する場所まで届けるということがタクシーの運転手の本当の仕事ではないだろうか。そして私はうっかりしていた。運転手が料金のメーターを倒していないのに気が付かなかった。東南アジアに行ったらば、何が何でもタクシーに乗ったらまず、運転手がメーターを倒すのを確認する。倒さなければ即注意する。メーターを使わずに法外な料金を請求してくる運転手がいるからだ。まさか沖縄とはいえ、日本でタクシー・メーターを使わない奴がいるとは思わなかった。那覇港に着いて、仏頂面でちょっと高めの料金を請求する運転手を睨みつけて金を払った。今回の旅行で唯一不愉快な出来事だった。
高速水中観光船[トムソーヤ]に乗って、那覇沖へ。
なーんだ、海はまったく荒れてないじゃないか。むしろ凪いでいるといっていい。それもベタ凪ぎ状態。こんなんで誰が船酔いするというのだ。高速で飛ばす船のデッキで風を受ける。左手に那覇空港が見える。どの辺まで航海してくれるのだろうと思ったら、ほどなく停泊。船室が海底に下りていく。ここから海中散歩が始まったのだが、心配していた通りだった。なにせ空港沖である。思ったとおりサンゴは死に絶えている。サンゴの死骸を見せられているうちに、いたたまれない気になってきた。
魚は、なぜかハコフグばかりが目についた。ハコフグじゃあ食べるところないだろうなあ。帰京してから、沖縄でハリセンボンが大量発生しているという話を耳にした。ハリセンボンは那覇の市場で皮を剥かれたのを目にしたが食べずに帰ってきてしまった。あれ、旨いのかなあ。