June.27,2002 ありがとうございます
本日明治座千秋楽。今月は武田鉄矢座長公演『母に捧げるバラード』でした。今月ご注文いただけたのは三原じゅん子様おひとり。ちょっと寂しかったですが、三原様にはすっかりご贔屓いすただきました。どうもありがとうございます。
June.14,2002 風呂
小さかったとき、我が家には風呂というものがなかった。週に2〜3回、家族揃って銭湯に行くのが習慣になっていた。近所の人たちも、家に風呂を持っている人は少なくて、みんな銭湯で顔を合わせていた。裸のお付き合いという感じで、湯船に浸かったり、隣同士並んで体を洗いながら、世間話をしていたものだった。風呂から上がると脱衣所に置いてあるガラスケースの冷蔵庫から勝手に牛乳を取りだし、番台に持っていく。代金を払うと、紙のキャップを釘のような先が尖った器具で開けてくれる。湯上りでほてった体に冷たい牛乳の美味しかったこと! 今、湯上りにビールを飲むよりも、よっぽど旨かったような気がする。家に帰る途中に駄菓子屋があって、そこに寄ってくれとねだることが多かった。そこのチョコレート味のウエハースが私のお気に入りで、必ずそれを買ってもらう。店の隅には、小さな貸本のコーナーがあって、そこでマンガの単行本を一冊借りるのもいつものこと。とても小さなコーナーで数が少なかったから、そこの棚のマンガは全て読んでしまった。
銭湯通いも、冬は家に帰りつくまでに、体のほてりもすっかり冷めてしまう。夏は家に帰りつくまでにまた汗が噴き出す。確か、夏は週に一度くらいしか銭湯に行かなかったと思う。調理場で裸になって水を被っていた。あるとき、父がホースの先に付ける小さな穴がたくさん開いている器具を見つけてきた。これで、ちょっとしたシャワーが使えるようになった。蛇口にホースをつけ、シャワーになる器具を反対側に取りつけて水を出す。シャワーなんて学校のプールでしか使ったことがなかった。いや、最初はプールにもシャワーは無く、水着に着替えると、先生が上からバケツで水をかけてくれていた記憶があるぞ。ともあれ、今から思い出すと笑ってしまうのだが、当時はバカにリッチな気分になったものだった。
我が家に風呂が出来たのは中学に入ってからだった。狭い浴室だったが、それでも自宅に風呂ができたのはうれしかった。クーラーなどはまだ贅沢品で手に入らない。夏は、一日中風呂に水を張りっぱなしにして、暑くていられなくなると水風呂に飛びこんだ。
外国の風呂が、日本の風呂とは違うというのは、アメリカの映画を見て知っていた。浴槽の中で体を洗い、使ったらお湯を全部抜いてしまうというのは贅沢だなあと思ったが、浴槽の中で石鹸を使ったあと、その石鹸を洗い落とすのがたいへんだなとも感じていた。社会人になってビジネスホテルというものを利用するようになって、はじめてユニットバスというものを使った。洗い場で体を洗うのではなく、浴槽で洗うという体験を初めてしたことになる。その印象は、やっぱり窮屈だなということ。それと浴槽が横長で水位が低いので、座った形で浸かるのではなく、寝そべるようなスタイルなのが落ちつかない。また、隣に便座があるのが気になる。
どうして外国の人って、風呂場とトイレが一緒になっているのを平気で使っているのだろう。ひとり住まいならともかく、数人の家族がいる場合、ひとりが風呂を使っているところに、急にトイレに行きたくなった家族が飛び込んでくることだってある。自分が風呂に入っている隣でクソをされるのは耐えられないし、クソをしている隣で風呂に入った人がいるのも嫌だ。外国の映画を見ていても、どんなに豪華な家に住んでいても、風呂とトイレは一緒。どうして別にしないんだろう。日本でもマンションが建ち始めたころは、みんな風呂とトイレが一緒のユニットバスだった。その方が狭い敷地面積を広く使えるからという発想だったのだろう。また、いずれ日本の風呂の文化も外国式に変わると思ったに違いない。それが今、新聞に入ってくる新築マンションのチラシ広告は、全て風呂とトイレは別。風呂にはちゃんと洗い場がついている。やっぱり日本人は日本式の風呂が好きなのに違いない。
私の仕事が全て片付くのは、夜の9時30分。疲れた体を浴槽に浸すくらいいい気持ちのときはない。最近、浴室用のラジオというのを買った。毎晩9時30分からNHKラジオで放送している『ラジオ名人寄席』を聴きながら入浴するのが一日のエンディングだ。