January,28,2003 ありがとうございます

        本日、明治座千秋楽。今月は里見浩太朗座長公演『あばれ獅子』(原作子母澤寛『父子鷹』より)でした。里見浩太朗様、司葉子様、山本学様、高橋元太郎様、山田まりや様、大塚道子様、川辺久造様、三上直也様、小沢象様、原口剛様、大久保祥太郎様他の出演者の皆様からご注文をいただき、楽屋まで出前させていただきました。ありがとうございます。


January.8,2003 漠然とした不安(1)好きだった本屋さんが店を閉めた

        去年の7月、私はこのコーナーで近所にあった本屋さんのことを書き、冒頭でよく通っているE書店のことにも触れた。私が毎日のように覗いていたE書店だが、実は去年の9月下旬に突然に閉店してしまった。E書店。本当の名前は[栄松堂]と言った。明治時代から、わが町にある歴史のある本屋さんだった。子供時代は隣の町に住んでいた私だったが、この本屋さんのことは鮮やかに憶えていて、当時からこちらの町に来ると毎回立ち寄っていた。人を引き寄せる力のあるような魅力的な何かを感じさせるものがあった。この町に越してきてからというものは、毎日覗いていた。自然と店員さんとも声を交わすようになり、世間話などもよくするような間柄になっていた。

        それが、去年の秋のある日、店の前まで行くとシャッターが下りていて、店を閉めたむねの貼り紙が一枚かかっていた。突然のことにびっくりしてしまった。そんな話はまるで聞いていなかったからだ。あれは、サッカーのワールドカップがあったころだから、去年の春のころだろう。いつものように本を買ってカバーを付けてもらいながら世間話をしていたのだが、「いやー、お客さんが来なくてねえ。みんな本を読まないでサッカー見ているんですかねえ」と店主さんが言うので、「そんなことはないでしょう」と答えたりしていた記憶がある。もう、あのころから客足が遠のいていたのだろうか? 一昨年は、ここで東大落語会編の『落語辞典』を買った。『客席放浪記』を書いているうちに、どうしても必要な資料になってきたのだが、高額なので必要に迫られると立ち読みに行っていた。あまりに頻繁に立ち読みに行くようになってしまったので、思いきって購入を決意した。『落語辞典』は4700円もする。レジで店主に差し出すと、その金額にびっくりしたのか、「高価な本ですね。落語の研究かなんかしてらっしゃるんですか?」と訊ねられてしまった。「いや、あの、研究なんて、そんな凄いことではないんですが・・・」と口を濁していると、「では、これ、差し上げましょう」とボールペンを一本くれた。「最近ねえ、単行本って売れないんですよ。売れるのは文庫本ばっかり」というのが最後に耳にした言葉だった。

        7月に書いたように、大型の書店がもう一軒進出してきて2ヶ月後、栄松堂は店を閉めてしまった。たしかに大きな書店は、品揃えもいい。パソコン関連の専門書などを捜すときには、圧倒的に大型書店の方が都合がいい。しかし、新しく出来た2軒の大型書店は私には使いにくくて仕方ない。どんな新刊書が出たのかが、わかりにくい配列なのだ。本や雑誌の数も多く、旧刊から新刊までなんでもありますというのは、一見便利そうでいて私には不便だ。

        その点、栄松堂という本屋さんは割りきった考え方を持っていた。平積みにされている本は、単行本だろうが文庫本だろうが、常に今一番新しく出た本と決まっていた。だから、文庫本など、ちょっと見ないうちにガラッと替わってしまう。まあ、まず1ヶ月と同じ本が置かれていたことはない。新しい本が入ると、それまでのものは返品してしまうらしく、まったく見かけなくなってしまった。雑誌は午前10時開店と同時に、その日に発売されたものが並んでいるし、午後2時ごろに行くと、その日に入荷した単行本、文庫本が、ちゃんと平積みになっている。午前と午後の2回、私は栄松堂を覗くのが楽しみだった。

        それと、本にかけてくれる紙のカヴァーが好きだった。文庫本でも、どんなに分厚い単行本でも、紙にハサミを入れ、キッチリとかけてくれた。これが実に頑丈にかけられていて、一冊の本を読み終わるまで絶対に型崩れしないのだ。最近の本屋、特に大型書店にその傾向があるのだが、ただ本にクルリと紙を巻いただけというところが多い。これは実にガッカリする。

        最近、私があまり本屋さんに顔を出さなくなったのも、栄松堂が無くなってしまったことにも原因がある。

        栄松堂が店を閉めてから1ヶ月とたたないうちに、栄松堂のあった場所にはカレー屋さんが開店した。

つづく

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