July.25,2008 2週間経過
足を骨折してから2週間経過。最初に病院へ行ったときに書いた文章で添え木をつけて包帯を巻いてくれたと書いたが、正確に書くとこうなる。どういう素材なのかわからないが足や手にフィットしそうな長い段ボールのようなものを足に添える。これが時間が経つと死後硬直のように(表現が悪いが、まさにそんな感じ)固まる。それに包帯をグルグルと巻くのだ。
へえー、世の中便利なものが出来たなあと思ったが、先生によるともう随分と前からあるものなのだそうだ。私は最初、これをギブスと勘違いしていたのだが、ギブスはこの次の段階で足の腫れがひいてからと告げられた。「石膏ですかあ。重いんですよね、あれ」と言ったら、「今はプラスチックですよ」と笑われてしまった。
2週間経過後の診察でレントゲンを撮り、しばし写真を見ていた先生。「ギブスをしようかとも思ったのだけど、夏で暑いし足が蒸れるだろうし、経過もいいから、そのままでいきましょう」と言ってくださる。よかった。足が蒸れて痒くなるのをどーしよーと思っていたのだ。
とりあえず全治まであと一ヵ月半。松葉杖生活は続く事になる。その松葉杖にも近頃は慣れてきた。松葉杖を使ってあまり疲れずに移動するコツを会得したようだ。人間、状況に慣れていくものなんだなあ。当初今まで使ったことのない筋肉が悲鳴をあげていたけれど、それも取れてきたし。
July.17,2008 松葉杖と日本式生活空間
足を骨折してから一週間ちょっとが経った。松葉杖生活を始めて、わかってきたことがある。人間なんでも体験してみたないと、なかなかわからないことってあるものだ。
私には二つの生活空間がある。ひとつは店。ここは二階建ての、かなり古い建築物なのだが3階に小さな部屋があり、ここを寝室として使っている。1階は店舗、2階は三つの和室と洗面所。1階部分は前の持ち主が和室として使っていたものを改装したのだが2階部分はほとんどそのまま手を入れず使っている。つまり、2階部分だけに限って言えば、いわゆる典型的な和室生活である。3階の私の部屋は前の持ち主が増築したものらしい。どうやら子供部屋として使っていた形跡があった。ここだけなぜかフローリングなのだ。四畳半の狭い空間なので、ここにベッドを持ち込むと窮屈になるので、私はここにカーペットを敷き和室感覚で使っている。もうひとつは、すぐ裏手にあるマンション。店舗兼私の寝室がいささか手狭だったので、このマンションが建った10年前に購入した。ここは父親が住んでいる部屋と、リビング、そして私が書斎のように使っている部屋がある。パソコンが置いてあるのもここ。このマンションには畳敷きの和室というものが存在せず、一室全体が洋間といった使い方になっている。
さて、松葉杖を使うようになって気がついたのは、松葉杖と和風生活とは極めて相性が悪いということ。まず家に帰ってくると靴を脱がなければならない。土間で靴を脱いでから、その上の生活空間である廊下に足を下ろす。これがまず第一の問題なのだ。普通、そのまま松葉杖で家の奥まで入って行って生活するだろうか。もし仮にそういう生活をするとしたら、まず外で使った松葉杖の地面に触れた部分を雑巾で拭く、あるいはカバーをつけて使用しなければならないだろう。中に入ったら入ったでまた苦労がある。畳、座布団、卓袱台生活というのは、足を骨折した者にとってこんな不便なものはない。いったん畳に座ってしまったら起き上がるのに一苦労だ。ベッドではなく布団を敷いての生活もたいへんだ。ベッドならベッドから足を下ろすだけで、割りと楽に立ち上がることができる。しかし床に寝ていた姿勢で立ち上がるというのは、かなり苦労がいる。それと一番たいへんだと思ったのが和式トイレだ。今は各家庭も洋式トイレが主流になってきたが、昔の人は足を骨折した場合に、このトイレでどうやって用をたしていたのだろう。
その点、自宅でも外と同様に土足で生活している外国は楽だ。そのまま松葉杖で入ってきて椅子、テーブル、ベッドなら足への負担はかなり軽減される。マンションでは今の日本人の大半と同様、家に入ったら靴を脱ぎスリッパに履き替えるという生活。みんなやっぱり土足のままで生活するのがいやなのね。私も実はそのほうが好きなのだが、足の骨折という経験をすると外国の生活がうらやましく思えてくるというわけなのです。
July.10,2008 織姫を怒らせた男
7月7日、七夕の日の夜のことだ。夜中に目を覚まし、トイレに行こうと思った。少し酔っていたこともあるのだろう。階段を踏み外して落下してしまった。「しまった」と思い無理矢理に足で止めようとしたのが、またいけなかったのかもしれない。階段の途中で止まったのだが、左足首に激痛が走った。瞬間「折れたな」と実感した。痛みをこらえながら布団に戻り、そのまま寝てしまった。
翌朝、階段から落ちたことは夢であってくれとの願いは虚しく、左足は腫れあがり激痛がする。近所の外科医の開業時間まで待ってタクシーを乗りつけ診てもらった。レントゲンを見ていた医師は、「折れてますね」 「そうでしょうね、あははは」と軽く私。こういうときにことさら深刻がる態度をとらないのが私の性格。左足くるぶしと、親指が折れていた。
助手の人が添え木をつけて包帯で巻いてくれる。「また明日来なさい」と松葉杖を渡されて、松葉杖の使い方の講習会。使い方は松葉杖を使ってピョンピョン跳ねるのかと思っていたら、そうではなく、松葉杖を前に出し身体を松葉杖に乗せて前に乗り出す感じ。これを繰り返して前方に進む。ははあ、そうなんだと軽く考えていたのは甘かった。いざ外に出て松葉杖で移動しだすと、これは傍で見ているよりもはるかにキツイことがわかってきた。十数メートル移動しただけで息が切れた。立ち止まって休憩して、また移動を開始する。また20メートルも進むと立ち止って一時休憩。ちょうど梅雨のシーズンだが、やたらと暑い。頭から汗がドッと噴き出す。自宅に戻ったときは喉はカラカラ、身体はヘトヘトになってしまった。
翌日また松葉杖で病院へ。往復の道のりがこんなに長く感じる距離とは思わなかった。なるべく左足に体重を乗せるなとは言われたけれど、デスクワークではない私の仕事は立っていないと仕事にならない。動き回る仕事は他の人に任せて、なるべく左足には体重を乗せないようにして立ち仕事をしている。
足の親指は以前、右足の親指を骨折したことがあって、これで両足とも仲良く骨折したことになる。足の親指くらいなら大した事はないのだが、やっぱり足首の骨折はたいへんだ。私の骨折経験はこれで3度目になった。最初の骨折はというと40年前に遡る。こちらは顔面骨折という重症。のちにビートたけしがバイク事故で入院したのと同じ怪我。しかも入院した病院も私と同じ。それがですねえ、そのときも7月7日七夕だったのだ。どうも私は織姫様を怒らせてしまっているのかもしれない。女性を怒らせるなんて私の人生ではないと思うのだけど、どうも織姫様とは相性が悪いらしい。
July.2,2008 メーカー別分類
数ヶ月前からテレビの買い替えを考えている。私のテレビはもう10年以上使っているはずだ。だって10年前にパソコンを始めたころから、このテレビはあった。ブラウン管タイプで、ときどき左のスピーカーから音が出なくなる。どっちにしろ2011年には地上波アナログ放送は視聴できなくなるのだし、すでに始まっている地上波デジタルはこのテレビを使い続けている限り視聴できない。それで買い替えよう買い替えようと思いながら決断が下せないのは、でもまだ3年あるじゃん。一応映っているからもったいないといった気もあるのだが、実はもう一つ理由がある。
買い替えを思いついてから、何回か家電量販店に足を運んだ。秋葉原に出来た巨大店舗である。テレビ売場に行ってびっくりしたのは、各メーカーごとにブースのようなものが出来ていたことだ。今までパソコンを買いに行ったときも、HDDレコーダーを買いに行ったときも、最近の量販店はメーカーごとに商品が分かれて置かれていたが、テレビはそれどころじゃない。もちろんテレビという商品は他の商品に較べて大きいのかもしれない。大画面テレビが主流になってきたわけだし。しかし、この売場の状態は私には異様に思える。電気屋の売場というよりは、見本市の会場のようだ。
そりゃあ、まずどこのメーカーのテレビを買おうと最初から決めてくるお客さんもいるだろう。確かにHDDレコーダーと同じメーカーのテレビにすればリモコンはひとつで済むかもしれない。でも大多数の人は、まずどのくらいの大きさの画面のテレビが欲しいということから入るのではないだろうか? 自分の部屋の大きさがこのくらいで、テレビを置けるスペースがこのくらいだから、だいたいこのくらいの大きさのテレビを買おうと思ってやってくのではないだろうか。違います? 私はそうなんです。そこから、そのくらいの大きさのテレビが並んでいる場所に行って、自分の好みの映像はどのメーカーだろう、自分が欲しいと思っている機能を持っているのはどのメーカーだろうと見比べて、最終的に予算を考えてどのテレビにするか決めたいと思っているわけだ。ところが、こういう各メーカーのブース式配列の仕方だと、見比べるのに広いフロアーを行ったり来たりしているうちに、疲れちゃうんですよ。で、毎回、まっ、そう急ぐ事ないかと思って帰ってきちゃう。
ヤマダ電機が家電メーカーに派遣社員を要請して働かせていたというニュースを見ると、ひょっとして各メーカーのブースを作るというのは、そういうことなのか? と、ふと思ったりしてしまった。そうじゃないかも知れないけどさ。書店の文庫本コーナーって、出版社別分類にしているところが多いが、最近は出版社の垣根をとっぱらって、作家名別分類をしているところが増えてきた。在庫管理がたいへんそうだが、客としてはこれは便利。いくつもの棚を歩き回らなきゃならない手間がこれではぶける。この作家のこの作品はどこの文庫なのかなんて、なかなかわからないもの。