October.28,2008 木更津ぶらり旅 アナザーサイド

        木更津は『お富与三郎』の町であると同時に、『木更津キャッツアイ』の町でもある。木更津観光協会では『木更津キャッツアイ』ロケ地マップというパンフレットを発行していて、これを片手に市内を歩いている若者の姿がチラホラ。

オジーたぬき像ね。


ドラマにも出てきた映画館
木更津東映では『容疑者Xの献身』
木更津富士館では『崖の上のポニョ』
を上映していた。
今、もうこんな感じの映画館って無くなりつつあるよなあ。

ちょっと歩いただけで
昭和を感じさせる建物がいくらでも目に入って来る。
レディース・サークルひまわり
って何だろう?

トミコさんとかいうママが経営しているのかなあ。
夜だったら入ってみたかったかも。


October.26,2008 木更津ぶらり旅

        来月の、「人形町で『お富与三郎』を聴く会・木更津」を前にして、木更津へ行ってみようと思った。本当は7月ごろに行こうと思っていたのだが左足骨折というアクシデントから、延ばし延ばしになっていたのだ。ようやく、ほぼ普通に歩けるようになり「よし、行って来よう」ということになった。木更津に行く事に決めたのは10月12日。11日からの三連休の中日である。天気もよし、旅行気分だ。

        午前中に片付けなければならない用がいくつかあり、それをこなしていたら家を出たのがお昼近くになってしまい、JRで木更津に着いたときには午後1時30分になってしまっていた。朝から何も食べていなかったので、木更津に着いたときにはお腹がペコペコ。とりあえず何か食べようと駅前をブラブラと歩き出す。何か食べようと言っても、木更津まで来てラーメンとかカレーは勘弁して欲しい。何か木更津の海で取れたものを食べさせてくれる店はないかと、きょときょとしていると広い駐車場がある料理屋さんがあった。宝家というお店で、東京湾で水揚げされた魚介類や房総で取れた野菜で料理を提供しているとある。ここならいいだろうと玄関まで行くと[準備中]の札が。午後1時30分でもうランチタイムはおしまいなのか。後日インターネットで調べたら、昼は午後2時までとある。ひょっとするともうラストオーダー時が過ぎてしまっていたのかもしれない。

         「腹減ったなあ」と思いながら気を取り直して、さらに通りを進んでいくとランチを提供している旨を書いた看板が見えた。[あさり膳 2100円]。木更津は潮干狩りの名所だ。あさりは名産なんだろう。路地の奥を見ると古い旅館が見えた。旅館の名前は八幡(やわた)屋。玄関の戸を開けるとおかみさんが出てきた。「あの〜、ひとりなんですけど、昼食食べられますか?」と言うと、おかみさんから、「準備しますんでロビーでお待ちください」と愛想のいい返事が返ってきた。

         通されたロビーのソファーに座って、目の前のテーブルを見るとチラシが平積みになっていた。それが、なんと落語会のチラシなのである。

        おかみさんに聞くと、どうやら立川談奈と知り合いらしくて、木更津で落語会をということで始まって、これが三回目だとのこと。立川談奈。以前は快楽亭ブラックの弟子で快楽亭ブラ談次。のちに立川左談次門下に移って立川フラ談次。昨年二ツ目に昇進して立川談奈。インターネットで調べてみると、一回目は去年の11月で、談奈、師匠の左談次に宮田陽・昇の漫才。二回目が今年の5月で、やはり談奈、左談次にロケット団の漫才。今度の三回目は出演者も増えている。会場としてい使う清見台ホールというのは八幡屋さんが経営している葬儀場だとのこと。

        びっくりした私は、おかみさんに今回の旅の目的を打ち明ける事にした。自分は日本橋人形町でそば屋をやっていること。かたわら店内で、落語会を開いている事。隅田川馬石師匠に全六回に渡って『お富与三郎』を口演してもらっている最中で、来月が第二回目で『木更津』であること・・・。そうするとおかみさんの方でもびっくりしたようだった。「えっ!?落語のネタにも『お富与三郎』があるんですか?」 「ええ、今、一番詳しく『お富与三郎』を演るのは五街道雲助師匠と、そのお弟子さんである隅田川馬石師匠なんです」 「そうですか。それじゃあ、今度は木更津でも『お富与三郎』をお願いしようかしら」 ここのおかみさんは木更津の商工会議所の役員でもあり、木更津の町興しのために活動しているのだと言う。そしてこんなことを言い出した。「私、来月のそちらの落語会、観に行っていいでしょうか?」 「ええ、是非いらしてください」

        こんな展開になるとは夢にも思わなかった。手前の宝家に入っていたら、八幡屋のおかみさんには会うことはなかったろうし、木更津で落語会が行われていることも知らずに終わってしまったわけだ。偶然というのか、世の中不思議な出会いがあるものだ。食事をしていると、おかみさんが、これから観光をなさるなら、ボランティアで木更津の観光案内をしている人達がいるので、そこへ連絡してあげましょうかと言う。なんでも木更津のご老人が、ボケ防止、健康のために木更津の町を歩いて案内しているとのこと。「それじゃあ、『お富与三郎』にまつわる名所を案内していただきたいんですが」と親切に甘えることにした。

        食事を終えて、案内人のKさんが待っているという与三郎の墓がある光明寺の前まで行く。Kさんに木更津まで来た経緯を説明すると、ゆっくりと歩きながらくわしい説明をしてくださった。


光明寺

        お富与三郎の話は諸説あるようで、どれが本当なのかはさだかではないとのことを前置きして(実際にインターネットで調べても、それぞれ記述が違ったりする)、Kさんがこれだろうと思っている説を話してくださった。昔、寄席に出ていた長唄の師匠が傷だらけだったことに興味を持った講釈師一立斎文車が、その人物から話を聴き、それを基にして講談にしたのが始まり。それを歌舞伎にして大当たりを取ったらしい。つまり、与三郎の原型はこの長唄の芸人なのだが、今ではどこの誰だか定かではない。つまり、この与三郎の墓は、別に与三郎の骨が埋葬されているわけではなく一種の記念碑だというのである。

        何でも木更津で与三郎とお富を商品イメージとして売り出して大儲けした実業家が、お礼として建てたものらしい。墓の上には屋根まで付けてあるのだが、[与三郎の墓]と書かれた看板も老朽化している。右手に二本立っている棒のようなものは、角塔婆といわれるもので与三郎の役をやった役者が奉納したもの。しかしこれももう最後に奉納されたのが10年以上前。角塔婆には役者の名前が書かれているのだが、もう墨が薄れて読めなくなっている。『与情浮名横櫛』が頻繁に上演されたときは、そのたびに角塔婆が建てられて墓が見えなくなるほどだったという。それがいつの間にか抜け落ちてしまって現在は二本を残すのみ。

        光明寺の裏手には、こうもり安の墓があるというので、そちらに移動する。Kさんと光明寺を出ようとすると、どうやらKさんの知り合いらしい男性が声をかけてくる。「今日も、案内ですか?」 「ええ。東京から来たお客さんで、お富与三郎に興味があるそうですよ」 「そうですか。今度、また一緒にゴルフ行きましょうよ」 「いいですね」 Kさんお幾つなのか訊いてみると、「83歳です」とのこと。元気だなあ。


選ちゃく寺

        こうもり安の墓がある選ちゃく寺。ちゃくは手偏に[澤]の右側なのだが、私のパソコンではこの漢字が出てこない。

        与三郎の墓が単なる記念碑だったのに対して、こうもり安は実在した人物。歌舞伎ではデフォルメされて顔にこうもりの刺青を入れているが、実在の人物は太股に蟹の刺青をしていたらしい。こうもり安のあだ名は、日が暮れてこうもりが飛ぶような時間になると、ふらふらと出歩いたからだとか。本名は山口瀧蔵。名前に安の字が見当たらないのだが、この安の名前がどこから来たのかは不明。こちらにも角塔婆が建っているが、こちらはまだ墨がかすれていなくて読める。坂東弥十郎と書かれているのが写真からもおわかりだろう。この差は墨の違いなのだろうか。こうもり安は紀の国屋という大きな油問屋の息子で、この墓は紀の国屋代々の墓。こうもり安の戒名は進岳浄精信士。選ちゃく寺は浄土宗のお寺。浄土宗の戒名は必ず[誉]の字が入るのだが、こうもり安の戒名には[誉]が入っていない。Kさんによるとおそらく、こうもり安はどこか他の土地で亡くなって、後にこの墓に埋葬されたのではないかと言う。

        あと木更津で『お富与三郎』に関係するものといえば、見染の松。歌舞伎で与三郎とお富が出会う場面。海岸の松の木の下で出合ったふたりが、ビビビビッと感じた(Kさんの表現です)場所。歌舞伎では与三郎が羽織をバッタと落とすという所作でこの気持ちを表現する。

        見染の松への道すがら、Kさんは木更津の町というのはどんどん埋め立てが進んで、江戸時代に海岸線だった場所は現在よりずっと手前なんだと説明してくださる。「とすると、現在見染の松が立っているのは当時と違う場所なんですか?」 「そういうことになります」 「で、この松は本物なんですか?」 「なにしろ架空の話に近いですからね・・・」 「というとこれは・・・」 「まっ、観光用ですからね。熱海のお宮の松と同じですよ」

        なんだかがっかりした気になったが、Kさんはその先にある木更津船顕彰の碑に案内してくれた。木更津船という、江戸時代に木更津と江戸の間を通う船があったとのこと。その船底は浅くて川や堀に自由に入っていけた構造をしていたらしい。

        日本橋と江戸橋の中間に木更津河岸が設けられていたという。あっ!日本橋と江戸橋の間って、その次の江戸橋と鎧橋の間は稲荷(とうかん)掘じゃないか。『お富与三郎』は木更津の場から玄冶店の場、そして稲荷堀の場と続く。ははあ、与三郎はこの木更津船に乗って木更津へ渡ったに違いないではないか。一気に日本橋と木更津が結びついた。そして、この旅で落語を通じて、日本橋と木更津も結びついたではないか。

        Kさんとはここで別れて、中の島大橋へ登る。

        木更津の海岸線を眺めながら、今この町で出遭ったことに呆然となっていた。きっと木更津は私を呼んでいたに違いない。そうでなくては八幡屋のおかみさんとも出会うことがなかったはずだ。

        いまは埋め立てられて江戸時代とは様相が変わってしまった木更津港。でも、この港に与三郎は木更津船に乗ってやってきたんだと思うと感慨深いものがある。

        帰りはバスで帰ることにした。JRで東京ー木更津間が1280円。バスだとアクアラインを通って1300円。20円しか違わないのだ。与三郎が使ったであろう木更津船の通った東京湾の下をくぐって東京へ。木更津は夕方だったが東京側に出てみればもうすっかり日が暮れていた。

        東京駅でバスを降り、徒歩で自宅へ向う。途中、稲荷堀に寄ってみた。頭の中は江戸時代の日本橋にタイムスリップしていた。とりあえず、来月は木更津、そして来年は玄冶店、稲荷堀。当分、私の中で与三郎たちはまだ活き活きとしているだろう。


October.14,2008 緒形拳

        今年の春の翁庵寄席のときのこと。「本番前に(噺を)さらっておきたいから、早めに楽屋入りするね」と小宮さんが早くからやってきていた。ところがてっきり楽屋でさらうんだろうと思っていたら、「ちょっと外歩きながら、さらってくるわ」と出かけてしまった。数十分帰ってきた小宮さん。「ぶつぶつさらいながら歩いていたらさ、今半の前で緒形拳が、こちらをびっくりしたような目で見つめていた」と話していた。

        変わって、先週の話。近くのマンションの前に取材陣が集っている。なにか事件かなあと思ったのだが、何のことかわからない。翌日に新聞に載るかもと思っていたら、ありました。緒形拳死去のニュースの中で、緒形拳の事務所の住所が載っていたのだ。まさにあのマンションの住所。

        今朝、緒形拳で検索してみたら緒形拳のホームページがあった。文章はほとんどないのだが自宅で飼っている猫の写真などが数点載っていたりして、微笑ましい内容になっている。エピソードとして有名な、ドラえもんの人形も載っている。まだまだ生きていれば、もっと写真も増えていただろうにと思うと残念な気がする。このホームページにも事務所の住所と電話番号が記されていて、秘密でも何でもないようだ。

        緒形拳といえば大河ドラマ『太閤記』がまず思い出される。放送当時、私はまだ子供だったが、子供心にも「凄い役者がいるものだなあ」と思ったものだった。それに何といっても『必殺仕掛人』の藤枝梅安。他にも緒方拳が出てくるだけで画面がピリリと締まったという思いがある。

        事務所の郵便受を見てきた。こんなに近くに事務所があったなんて。おそらく私も何回か緒形拳とすれ違っていたに違いないのだけど。合掌。



October.10,2008 映画館でのアンケート

        新宿プラザに『ウォンテッド』を観に行った。観終わって帰ろうとしたら、アンケートに協力してくれないかとロビーで声をかけられた。謝礼に500円分の図書カードをもらえるというので喜んで応じることにした。今観た映画の感想かな? あるいは今年いっぱいで閉館してしまう新宿プラザに関することなのだろうか。どちらにしても書きたいことはいろいろあった。10枚ほどのプリントを渡されて、まず、これはどちらでもないということに驚きを感じた。

        アンケートは本編上映前に流されたCMに関するものだった。えっ!CMなんてあったっけというのがまず最初の印象。いきなり映画の予告編だったんじゃないかという記憶がある。アンケート1ページ目、憶えている商品を書けとある。まったく憶えがないので戸惑ったのだが、憶えてない人は憶えてない項目に丸をつけて次に進めとある。

        次のページをめくると化粧品のCMの概要が出ている。ああ、そうだ。なぜかフジフィルムが化粧品業界に進出して、中島みゆきと松田聖子を起用して作ったCM。ああ、そういえばスクリーンに流れたなあと突然に思い出した。しかし男である私にはまったく興味がなかったのだろう。すっかり忘れ去っていた。このCMに間してどう感じたかを聞いてくるアンケートだった。

        アンケート欄のそれぞれに○印を記入し終わると、まだ次のページがあった。NTTドコモのCMの概要。そういえばそんなCMが流れたような微かな記憶が甦ってくる。私の携帯電話はAUだ。いまのところ不満はないし他の携帯電話会社に変えるつもりもないので、まったく興味を感じなかったのだろう。

        このCMに関するアンケートにも、それぞれ○印を付けていって、次のページをめくる。紙パックのコーヒー飲料のCM。化粧品もNTTドコモも自分に関係ないから忘れていてもおかしくないが、紙パックのコーヒーである。これすら憶えていない。まあ、紙パックコーヒーというのもまず飲まないけれど。

        で、ようするになぜこれらのCMが流れていたのを憶えていないのかということを私なりに言わせてもらえば、おそらくこれから映画を観るときの精神状態というのは、非日常世界に入ろうとしている心構えなんだろうということ。化粧品や携帯電話や紙パックコーヒーといった日常から解放されて虚構の世界に入るというワクワクした気分なんですよ、おそらく。まあ、というのは単なる言い訳で、注意力が散漫だっり、歳のせいかもしれないのだが。だってどんな予告編が上映されたということさえ、ほとんど忘れているのだから。


このコーナーの表紙に戻る

ふりだしに戻る