December.16,2008 貼り紙
地下鉄新宿三丁目駅の地下への階段にある貼り紙。
まっ、それだけのことですけど。
December.13,2008 値札
毎日、昼間の営業が終わる3時になると、私は自転車で出かけて行く。翌日の朝食と夕食の食材を買ってくるのが目的である。我家での買物係、それが私の役割なのだ。その日によって何軒かのスーパーマーケットのいずれかに買いに行くのだが、新聞に挟み込まれているチラシを見てお買い得品をチェックしたり、結構主夫みたいだなあと自分で思ったりしている。我家からそれらのスーパーへの自転車での往復は30分くらいかかるので、それなりの負担ではあるが、あまり苦だとは思っていない。
しかし、時に雨の日というのがある。自転車での往復は嫌だなという日である。そういう日は傘を差して近くにある食料品店に行く。肉や鮮魚が手に入らないのでスーバーではなく食料品店という表現になってしまうのだ。こういう日は、魚や肉は個人商店で買い、その他の食料品はこの食料品店で買うというわけ。
なぜこの食料品店を使わないで晴れている日は自転車で少々離れているスーパーまで行くのかというと、やはり品揃えなのだ。この食料品店は残念ながら売り場面積が狭い。売られている商品の数も限界がある。それでも数多くの商品を置こうとしていて、商品はところかまわず置かれている。棚からはみ出して通路にも置くものだから、ただでさえ狭い通路はさらに狭くなり、反対から来た人間がすれ違うことすら出来ない。それはしょーがないことだと私は諦めている。こういう小さな店を応援したいという気持ちは少なからず持っている。
しかしだ。なぜこの店で積極的に買物をしないかというと、やはり不満感があるからなのだ。レジはふたつあるのだが、なにぶんゴチャゴチャと商品で溢れかえっている店内、レジ待ちの客が並ぶ列が出来てしまうと混乱が起こる。悪意はないのだろうが、一列に並んで空いた方のレジに入るという暗黙のルールがあるのだが、割り込んでくる客がいる。それを仕切れない店員。客の心理としては待たされるというのは不満がある。せっかく買ってやろうというのに、なんでこんなに待たされなければならないのかという事である。ましてや割り込みを放置しているように感じれば不満は増大してくる。
それでも許そう。狭い店舗で頑張っているのだから。自分が経営する狭い店舗の飲食店でもお客さんに注文された品物を出す順番が狂うこともある。それはもろもろ理由があるのだし。
だとしても、どーしても不満なことがあるのである。それは、商品に値札が付いていないものがあるということなのだ。ほとんど商品には値札が書かれたシールが貼られているし、貼られていないものにもその付近にカードが貼られていて、値段がわかるようにはなっているのだが、それでもそれが徹底されていなくて、この商品がいくらなのかわからないものが多く存在している。これは消費者としては困惑してしまう。
先日の雨の日。この食料品店に行ったときに、翌日の味噌汁の具にと思って生揚げを買おうと思った。ところがこの商品の値段がわからない。自分の考えていた値段より高ければ、他のものにしようと思っていたところに店員さんが商品の補充にやってきた。そこで、「この生揚げ、いくらなんですか?」と聞いてみた。その店員さん、生揚げを見て値段のシールが貼ってないのを見ると、「バーコードがありますので、レジに行けばいくらだかわかります」と言うのである。
あのさあ、バーコードというのは店の人のためのものでしょ。客は機械じゃないんだからバーコードを見ただけではその商品がいくらのものかわかんないんですよ。レジに行って値段を聞けというばかりに補充作業を続けている店員に、私は少々切れてしまった。「値段がわからないと買いようがないじゃないですか」と言葉を投げかけたのだが、それを無視して黙々と補充作業を続けている。値段は客がレジに行って聞けとでもいう態度なのだ。値段がわからなかったら、その店員さんがレジに行って聞いてくるというのが接客の基本ではないだろうか。
忙しいだろうことはわかる。小さな店舗で精一杯経営していることもわかる。ひとつひとつの商品に値札を貼る手間がないのかも知れない。でもさあ、客が値段がわからずに困惑しているのを無視することはないんじゃないの? レジで暇そうにしている店員さんがいることもあるんだし。頼みますよ。