November.16,1999 虚構のものでも、リアリティは必要

        和田誠監督、真田広之、ミッシェル・リー主演『真夜中まで』

        映画を見るという行為は、夢を見ているのと似ている。その中で何が行われようと、かまわないのだが、映画を見ていて、「ああ、これは絵空事だ」と感じてしまうと、すーっとその世界から引いてしまうことがある。たとえ映画だとしても、ある程度のリアリティが欲しい。

        銀座にある、ジャズのライヴ・ハウス。真田広之扮する、トランペッター守山率いるコンボの第一セットが終わろうとしている。時刻は午後10時。休憩前に、客からリクエストを募る。客のひとり、大竹しのぶのリクエスト・カードは、『月の砂漠』。「『月の砂漠』って、あの童謡ですか? ここは、ジャズを演るところですから、そこんとこ、わきまえてもらわないと」と言って、別の曲を吹き出す。ある程度、ジャズを知っている人ならば、これは変だと思うはずだ。『月の砂漠』は十分にジャズになる。しかも、ざっと考えただけでも、かなり面白い演奏になると思えるからだ。

        第一セットが終わって、「次の第二セットは午前12時からです」と言って、守山はステージを降りる。日本のライヴ・ハウスで、セットの間を二時間もとるなんていうのは考えられない。せいぜいが三十分。もう、私の心は引き始める。

        守山は、第二セットに演る新曲を、おさらいしてくると言って、ビルの屋上へ行く。おさらいを終え、戻ろうとすると、屋上のドアが閉まっている。仕方なく、非常階段をぶらぶらと降りていく。一方、向かいの立体駐車場では、殺人事件が起こり、それを目撃してしまった中国人リンダ(ミッシェル・リー)が、犯人たちに追われる。下まで降りた守山とリンダは、鉢合わせ。ふたり一緒に逃げることになる。

        実は、殺された男とリンダは恋人同士。守山は事件に巻き込まれる形になる。このあと、古道具屋で情報を得ようとして、仕方なく、トランペットのマウスピースを買わされることになる。追われて、走り出したトラックの荷台へ飛び乗る。中で記念にと、買った銀色のマウスピースをリンダに渡す。守山は金色のマウスピースを持っている。「あっ、やるな」と思ったとおり、リンダが『月の砂漠』を歌い出す。「・・・・・・金と銀との鞍おいて・・・・・・」。殺された恋人が好きな曲で、よく歌っていたという。おいおい、大人になっも童謡を歌っているというキャラクターは何者だあ。それはいいとしても、ちょっと感のいい人なら、この時点で、この映画のラスト・シーンが予想ついてしまう。

        トラックの運転手が、もろトラック野郎なのに、なぜか大のジャズ・ファンだったという無理な設定。リンダの勤めているキャバレーが、いったい、いつの時代?と言いたくなるほど古臭いのはどうしたことか。携帯電話使っているから、時代設定は現代なんでしょうな。

        二時間の間に起こった出来事を、二時間で見せるというアイデアは過去にもあるけれど、この映画にはかなり無理がある。移動などを考えれば、とても二時間で納まっている話ではない。二時間後には、ライヴ・ハウスのステージに戻ってなくてはならないという、サスペンスの盛り上げも感じられない。

        虚構の世界に観客を引き込むなら、細かいところにリアリティがなければ。そうしないと、夢から覚めてしまう。


November.14,1999 ブリジット・リンが眩しいくらいきれい

        おお、なんとブリジット・リンのデビュー作なのだ。1972年作、『窓の外』。いわゆるアイドル映画。本来は、ソン・ツンショウ監督が、共同監督でもあるユウ・チェン・チュンらと脚本を書き上げたとき、別の女優を想定して書いたという。ところが、会社側の意向で、もっと若い女優を使いたいということになって、新しい女優捜しが始まった。すると、最初に想定していた女優が、知り合いの素人の女の子を二人紹介してきた。その中のひとりがブリジット・リンだったというわけ。

        十代のブリジット・リンは、さすがにうっとりするほどきれいだ。若いころの山口百恵のように毅然としていて、他のものを寄せ付けない凛としたたたずまいだ。ただ、ストーリーの方がかなり退屈でして、ブリジット・リンでなかったら途中で映画館を出てたろう。こんなの1時間48分も見てた。

        いわゆる高校教師と女子学生の、許されぬ愛。学校側とブリジット・リンの家族の軋轢で、二人が一緒になるの別れるのといった話が一時間以上続く。いい加減うんざりしていると、ついに周囲の反対に屈し、二人は別れることになる。高校教師は地方の小学校に去り、ブリジット・リンは別の若い男と結婚する。ところが、結婚相手は結婚した途端に豹変し、暴力をふるうようになってしまう。家を飛びだし、以前の男の元へ旅だつブリジット・リン。そして目にしたものは、アル中で抜け殻のようになった別人のような男だった。

        あまりに陳腐なので、会場から苦笑が時々漏れた。上映後、監督を交えてティーチ・インがあったが、時間の都合上、聞けずに帰った。


Nobember.12,1999 大竹しのぶ、ここまで演るか

        もう、じきに公開されるというのに、『黒い家』をいち早く見たくて、映画祭に行った。原作をはたしてどのように映像化したのか、知りたかったのだ。上映前の舞台挨拶で、原作者の貴志祐介は「自分の小説は、映像的に書いているつもりで、それが森田監督によってどのように映像化されるか、とても楽しみにしていた。先日、完成したものを見せてもらって、大いに刺激になりました」と述べた。

        さて、その後上映された映画だが、かなり、原作に近いといえるだろう。それこそ、映像としては伝わりにくい、大竹しのぶと西村雅彦の過去を調べていくあたりまで、ちゃんと撮っている。このへんは、文字で読まないと、すーっとは理解できない所だ。

        『黒い家』で印象的なのは、大竹しのぶ扮する幸子の持っているハモ切り包丁だ。私はこの小説を読んだ後、ハモ切り包丁がどんな形をしているものか知りたくて、わざわざ、刃物屋に見に行った。そう、この映画でも確かにハモ切り包丁使ってます。しかし、どんなものだろう。ハモ切り包丁はハモのような骨ばったものを切るには便利なのだろうが、映像の恐怖感としては、出刃包丁か中華包丁の方がはるかに怖い気がする。

        クライマックスになる、保険会社の階段シーンは、原作を変えてある。だって、あのエレベーターの使い方、ちょっと考えれば、バレバレだものね。新たに考えたアイデアで、うまく恐怖をもりあげているのだが、このシーンについて、もうばらしてる記事をみかける。これから見る人は読まない方がいい。

        最後に一言。西村雅彦はミスキャストだと思う。


Nobember.10,1999 よくある中国怪談話 

        なんと、1974年のブリジット・リンの時代劇が東京国際映画祭で見られるというので、楽しみにしていた。それがこの『古鏡幽魂』。題名から推測がつくように、怪談ものだ。

        写経をするために、ある男が、古い屋敷に一人で住みこむ。ところが、毎晩、女の幽霊が姿を現す。この女幽霊は、古鏡に封じ込められた存在だった。やがて、男はこの女幽霊を愛するようになっていってしまう。一計を案じ、彼女を鏡の中から救い出す。しかし平和な生活は続かず、一匹の竜が女を取り戻そうと現れる。

        こう書いていくと、何か思い出しませんか? 『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』によく似た内容なんです。きっと中国ってこういった似たような話が、昔っからたくさんあるのでしょう。

        女幽霊役のブリジット・リン。若くてきれい。後年、バイセクシャルみたいな役が多くて、そんなイメージばかり持っていたが、どうして、このころの彼女は妖艶だったんだなあ。

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