聖マリアの夕べの祈り(モンテヴェルディ)            1999/12/9

                                   県立音楽堂

 

 モンテヴェルディの作品を初めてライヴで、そして最近よく聴いているバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏で、バッハ以外ではブクステフーデをカザルス・ホールで聴いて以来だ。今日は合唱の素晴らしさを堪能できる時間帯だ。一人のクリスマスだって結構いい時間がもてることを今日の演奏会は証明してくれた。以前から、ある程度音楽を聴いていくと室内楽や声楽に落ち着いていくケースが多いと見聞きしてきたが、もう年なのか、本当に自分の音楽傾向がそうなってきたのを感じる。オーケストラ・コンサートにはあまり行かなくなって、JTホールに足繁く通うようになったり、BCJは年間に何回か聴くようになった。シュッツやモンテヴェルディ、あるいはジョスカン、パレストリーナなどのCDを取り出して聴く機会も増えてきた。

 BCJもこの音楽堂の常連になってきた。好ましいことで個人的にもうれしい。さて、時間を過ぎているのに、チェンバロのチューニングが終わらない。放送が入って、弦が切れてしまって手間取っている旨が知らされた。金づちまで出してきてトントンたたいている。20分以上たって演奏者たちが出てきた。会場の後ろにも今日は特設のステージができていて、藤枝守の作品が演奏される。今日の趣向は鈴木雅明と藤枝守の企画で、モンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」の詩編のあい間などに藤枝の新作(アンティフォナにあたる6つの交唱)が挿入された形で演奏されるのだ。

 結構今日はメンバーが豪華だ。ガンバに鈴木、輝かしい管楽器にコンチェルト・パラティーノのメンバーが入り、ソロは鈴木美登里、波多野睦美のソプラノ、ゲルト・チュルク、ステファン・ヴァン・デイクのテナー、ステファン・マクロード、小笠原美敬のバス、それに浦野智行の顔もあった。合唱と言っても数少ないので、全員ソリストみたいなものだ。後ろのステージは東混の指揮者、大谷研二率いる面々。野々下由香里のMS、辻裕久のT、小田原少年少女合唱団、笙が石川高、箏が西陽子、二十絃が丸田美紀、十七絃が中川佳代子、ポジティヴ・オルガン 岩淵恵美子、ガンバ 石川かおり、ヴィオラ 山田百合、ダルシマー 近藤郁夫。後ろの方はピタゴラス音律で、テリー・ライリーの時に引き続き梅岡俊彦がチューニングを担当。BCJの方も半音高いピッチで調律され、林彰見が担当していた。

 ゲルト・チュルクの美声で、ヴェルシクルスが語られ、輝かしくレスポンソリウムが応対する。高めのチューニングに拘わらず以外に地見目に感じた。華やかにアレルヤ。素晴らしい北イタリア、ヴェネツィアの世界だ。詩編のディキシット・ドミヌスのカノン風に始まる素晴らしさ。合唱の奥義を窮め、知り尽くした天才の為せる技だ。次にソプラノ二人によるリトルネッロ〜テナー二人のリトルネッロへ。輝かしい管楽器も素晴らしく、3つ目のリトルネッロは合唱で。中間では、押さえた表現になるが、再び輝かしくアーメン。 今度は後ろから清澄なミニマル的な響きが聞こえてきた。モンテヴェルディの傑作に挿入していく新作なんて無謀だと思いつつ、しかし、魅力的ではないか。試みは成功だ! また、前のステージが明るくなって、コンチェルトが始まった。ヴァン・デイクが立っている。ガンバ、リュート、オルガンの伴奏で、難しい静かな「ニグラ・スム----」が進む。そして詩編112の合唱が静かにはじまる。ソプラノ二人からテナー二人へ、そして、素晴らしい合唱「グロリア・パトリ・エ・フィリオ----」が重厚に重なる。素晴らしい!!

最後はテナー二人で、静かにアーメン。 後ろからの交唱Uは厚みのある音で、今度は合唱が入った(ジェローム・ローゼンバーグの詩)。次のコンチェルトはソプラノ二人とリュート、ガンバ、チェンバロの伴奏で。二人の声質はよく似ていて、鈴木が第1Sで波多野が少し低めを受け持つ第2S。そして、静かに始まる詩編121がまたまた素晴らしいこと!後半「グローリア・パトリ〜」から管楽器群(トロンボーンとコルネット)が活躍。 交唱Vはテナーが裏声で歌っていた。合唱もシンプルでよかった。引き続いてシャコンナは器楽の遊びの要素が強くミニマル・シンフォニックな心地よい響きがしていた。コーダがあっけなかったが、余韻が強烈に残っている。この世を突き抜けていくような響きだ。 コンチェルトはテナーが3人で、陶酔的な響きを披露した。「二人のセラフィムがお互いに----」この世のものとは思われない音楽とはこういうものを言うのだろう。正に天上の響きだ。詩編126は全員の合唱で比較的縦割りのリズムが勝った明確な指揮で進んだ。グロリアの部分は重みをもって輝かしさをもって、そしてアーメン。 交唱Wはナンシー・ウッドの詩による。独唱(MS)に合唱が加わり、オルガン、ガンバ、ダルシマーの伴奏風にテナーが入る。そして合唱。 コンチェルトはゲルト・チュルクが素晴らしい喉を聴かせ、天の声は後ろの方からヴァン・デイクが隠れて「アウディ」など応答を歌っていた。最後のアーメン以下「ベネディクタ・エス、----」の素晴らしさ! 詩編147は全員の合唱と合奏で。「グローリア・パトリ」以下、アーメンまでの素晴らしさは、もう言うまでもなかろう。本当に素晴らしい感動を持って休憩!

 休憩後は藤枝の交唱Xから。ちょうど8時だった。これもナンシー・ウッドの詩による。箏3人とオルガンにより導かれ、女声独唱に合唱が加わった。 ソナタ。コンチェルト・パラティーノの5人の腕の冴えが聴かれた。5人のソプラノの天国的素晴らしさ!「サンクタ・マリア---」ガンバやリュートなど合奏が大変そうだった。次にイムヌス「アヴェ・マリス・ステッラ----」が合唱と合奏で感動的に。最後の「フンダ・ノス・イン・パス----」「我らに平和を与えたまえ」を聴いて本当にそれを実感し(クリスマスぐらいは全世界の人々が平穏な生活)、至福の時間を過ごした。合奏の間奏風が入って、リトルネッロが5つ、合唱〜ソプラノ、鈴木〜ソプラノ、波多野〜バス、マクロード〜合唱 。バッハのマタイ・パッションでも同じ旋律が何回か出てくるが、あの効果を想起してしまう。 交唱Y。箏から出て、オルガン、ヴィオラのソロ、笙のソロが続き、合唱が「サンクタ・マリア」を歌って、二人のソロに再び合唱が重なって、盛り上げ、静かに終わった。 さて、最後だ。1、「マニフィカト」が天上の音として聞こえてくる。何という響き! 2、テナー二人の重なり。アルトの4人が背景で。5のソプラノの響き。7、でのコルネットの巧みさ。9、のソプラノ6人の見事さ。11、のテナーふたり(コンチェルトの「アウディ」のところと同じで)による掛け合いが天国的であり、12の本当の最後が全員の合唱で、重々しくアーメンで閉じられた。実に合奏力と合唱の総合的な実力がいかんなく発揮されたマニフィカトだった。

 クリスマスに(少し前だが)、こんな素晴らしい幸福な時間をもてるなんて、おとといのコンサートに続いて幸せ感いっぱいで、満たされて、会場を出た。当然一人で、だが。