N0.10 New Making

出身高校・美術部OB展に初出品  ストラド型

5.May '05

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2005年の2月の下旬、高校時代の恩師・N先生から突然の電話・・。

内容は、どうやら6年上の先輩(13回生)の発案で、美術部のOB展をやろうというのだ。

ところが、この先生、美術部の顧問でもなければ、美術に関して研鑽を深めたという印象の先生ではない。

ともかく、初めての試みとして、ぜひ成功させたいからその先輩たちに協力してくれ、という話。

会場は、高校があるN市、駅から徒歩3分ほどの商店街にある老舗・書店の三階にあるギャラリー。

しかし、小生、油彩の道具はいつでも使える状態にありながら、もう、30年以上も筆をとっていない。

それでもN先生、『むかし描いた作品があるだろう』、とおっしゃる。

作品?といえば、新作を製作中だったヴァイオリンしかないといったら、 『それも立派な木工品、いいじぁないかァー』と、N先生かるくおっしゃる。

その後、同期のM君からも確認の電話があり、ほぼ80%できていたので、ひと月をかけて、じっくり?と完成させた。

といえば、まぁ〜格好がいいのですが・・・、それで、取り急ぎ、急遽、仕上げて出品することにしたわけ。

裏板は このページ下に続きます。
パフリングに特殊工具?を手製
展示会場
木彫『裸婦像』も同時出品
あとがき

表板がこの写真

(画像をクリックすると、少し大きな画像を見ることができますが、
その後、
「戻る」ボタンでこのページにお戻り下さい。)

 裏 板 (富士山のカエデ) 

裏板は、何年か前に削ったのだが、ちょっと気に入らないところがあって
永らく放置していた富士山のカエデ材。

これは、富士山周遊道をつくったとき伐採され、永い間、
地元の製材所に在庫品としてねかされていたもの。

独特の斑模様や、ヴァイオリン杢(虎斑)も入っていましたから、民家の床の間や、書院づくりの、一部の化粧用に使われていたもの。

古さと、長期保存のための組織の劣化で、褐色の斑模様、
その一部は組織がもろく、スクレーパーで少し深く彫り込んで
しまったところがあったりして、やむなく「ボツ」したもの。

それでも、ヴァイオリン杢はきれいに出ているし、なんといっても
独特の斑模様が全面に浮き出している。

ボツにするより、練習のつもりで再び思い立って造り始めたという次第。



画像をクリックすると、少し大きな画像で見ることができます。

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画像をクリックすると、少し大きな画像を見ることができます。

 表 板 

表板も同様、写真のようにスクレーパーやペーパーをかけると、中の白い地肌が出てくるほど、自然の光線で表面が薄茶色に焼けてしまったもの。

しかしながら、この北米産のホワイト・スプルースにしても、
目の詰み方も細かく、決して悪い素材ではない。

この表板も裏板も、同じテンプレートで切り抜いたストラド型。

このように、裏・表板ともすでに荒削りしてあったので、あとは板厚調整と
パフリングを入れるだけで仕上がったのと同じ。

 こまかな仕上げ 

パフリングやエフ字孔は、もうすでに回数を重ねているだけに、
それぞれ約半日程度で荒彫りができた。

とくに、今回はパフリングの溝について、とりわけ「深さ」に対しては
ごく均一に彫りたいと考え、専用のツールをつくり、試した。

つまり、巾だけではなく深さが均一であることは、パフリング材がしっかり入るし、固定されるわけで、必要にして十分という条件と考えたからだ。

市販されている彫刻刀タイプのクリーナー(パフリングの溝を彫る専用の、特殊な刃物)でも、よほど刃の切れ味が良くないと、底の部分を平らに削ることは至難である。



画像をクリックすると大きな画面が見られます。



画像をクリックすると大きな別画面が見られます。

 
 特殊クリーナーを自作 

そこで、鉄ノコの刃をディスクグラインダーで削りだし、写真のような
パフリング溝の、底・ならし道具をつくったというわけ。

この、鉄ノコの刃数にして10目ほど、刃のギザギザ部分を残し、
溝の左右の壁をひっかき崩さないように、刃の部分を
市販のクリーナーのような形のヒールをつけた。

これで、底を軽くこするだけで、思った以上、楽にならすことができた。

 ネックや小物も・・ 

ネックの荒削りも終わり、ペグホールやペグ穴も実際の状態でほぼ完成。

あとは、小さなスクレーパーやペーパーで仕上げるだけ。

指板やナット、サドルも縞黒檀の原木から切り出し、製作。

 

 ニス仕上げ 

あとは、組み上げてニス塗りをするだけで、写真は下塗り段階が完了。

ニスは、アルコール系の着色剤と下塗りをそれぞれ2回ずつ塗り、
仕上げはオイル系を溶剤で薄めて、10回以上は塗った。

仕上げのオイル・ニスにしても、レッド・ブラウンやブラウン、 アンバーの
3色を好みの色に仕上がるように適時・適当量をブレンドして使用。

これは、本場ソロバキヤ、S.V.S.Tone Wood社から個人輸入したニス。

ペグやテールピース、スポアーなどのフィッティング部品も、ローズ・ウッドを
使い、 弦は、愛用しているトマスティーク社のドミナントを張った。

 卒業高校OB美術展 ・ 展示会場 

○サン書店の3Fイベントホールに、油彩、水彩、アクリル画、
バステル画、スクリーン(版画)や木版画にまじって、
小生の、異質のヴァイオリンがポツンと並ぶ。

いちばん端のテーブルには、ついでに内型や削り台、各種テンプレートほか
製作用具、 それに、ヨーロッパの原木など、説明文を添えて展示した。

弓もおいて、興味のある方には試奏していただいてもいいとは思ったが、
当番の方たちの精神的な負担も考え、それは止めた。

 端のテーブルに展示 

裏板も特殊なものだけによく見ていただきたいことから、
ヴァイオリンは横向きに置いた。

絵の方たちの条件が、50号程度と10号程度の小物ということから、
小生も、以前、彫った木彫の「裸婦像」もついでに出品。

(写真・中央に立ててある全高30センチほどの小品だが、

本人は立派な木彫品だと信じての出品?)

会場は、蛍光灯と白熱灯のスポットライト混用のため、

実物よりニスの色などがくすんで見えています。

 木彫『裸婦像』 


知人が来て「このモデル、奥さんの若いとき?」と聞かれることもしばしば、 でも、本当のモデルはこちら、本物のデクノボウです。 (写真)



 こちらが木彫・裸婦像のモデル 

昔から、人物画が苦手だったので、若いときにクロッキー・デッサンでも遊びながらやろうと、練習用として衝動買いしたもの。永らく、事務所のインテリアのひとつ。 関節がほぼ人間の動きに近いようにつくられていて、  
自由自在に曲げられるので、ポーズをさせたらまずデッサン。
それから人間らしく肉付けをし、平面、立面、側面と、
それぞれの位置から見た簡単な展開図をおこす。
それから、カーボンで木材に転写、少しずつ彫っていったもの。

この素材は、建築資材、といっても普通の、檜の柱や杉のような部材ではなく、ニス仕上げをかけた造作材の端材。
知り合いの大工さんから現場でいただき、それを彫ったもの。
聞いたら、カエデ材で、床の間の、上カマチに使ったその切り落としたもの。
写真の底部が原木のまま(2.5寸×4寸)で、正方形ではなく長方形の断面。
これも、永らく事務所のインテリアにしてあったものですが
未発表でしたから、今回の出品に際し、細部に少し手を入れ、
彫りなおしたりして見ていただくことにした。

昔つくった、粘土から石膏にとった塑像作品
 

あとから、アップの帽子をとったスッピン写真も撮りましたので、
画像をクリックしてネ!

「戻る」ボタンをクリックして元のページにお戻り下さい。

若いとき、まだ結婚前の頃、衝動的に粘土をこねて塑像(胸像)をつくった経験があった。

これも、そのうちにお金でも拾ったらブロンズ化したいと思いつつ、もう、すでに40年という歳月が流れてしまった。

それで、現在でも石膏像のまま、これも我が事務所のインテリア。
ひと言で石膏の塑像とはいっても、先生はこれまた衝動買いした一冊のマニュアル本。

ただし、本も、A5版程度のモノクロ印刷の決して高くはない代物、内容が分かれば十分、という考えだからだ。

こちらも独学独歩だったため、ずいぶんと手間ひまをかけてつくったものである。

月謝を払わない分、粘土・石膏など、材料の出費だけ・だから、普通の大人が、二三度パチンコで遊んだ積もりでできてしまう。道楽としたら、安いものである。

できあがった粘土像から、一定の大きさでバラせるようにした外型(凹) をつくらなければならない。バラせるということは、絶対、オーバーハングしていてはいけない。

これには、中国の万里の長城を思い描いていただきたい。ともかく、出っ張った山の稜線に沿って長城がつくられているように切り取る感じ。

そのように、凸面がうまく外れるように考えながら、ともかくブリキの切片を、まず、型がいくつかに分割でき、楽に取り外せるようにするために、よく考えて打ち込む。

作品の上から石けん水を粘土の上に塗り、溶かした石膏でしっかりしたメス型になるように塗りつけていく。

目や耳などは溶けた石膏を投げつけるようにして、しっかり、凹みにも石膏がとどいているようにしなければならない。

固まったらブリキにそって外し、丁寧に外型をとり、粘土をきれいに取り去り、残った粘土は水できれいに荒い取る。

その外型を、再び元通りにセットアップ。

さらに、それを石膏と麻ひもで固めて、完全なメス型にする。

そして、その内側にはまた石けん水を塗り、逆さにして、元の台の方から、 やわらかくした石膏を、できるだけ均一になるように、グルグル回しながら流し込み、製品が一定の厚さになるまで注ぎ込む。

しっかり石膏が固まったら、外型をマイナスのドライバーや不用なノミを使って丁寧にはずすと、それで元の粘土像と同じ凸形に成形されたわけだ。

塑像は、間違えても、失敗しても粘土を足したり削れば済むが、木彫ではそうはいかない。切りすぎや、彫りすぎなどの失敗が許されない・・という意味ではヴァイオリン製作と同じだ。

小生、その当時から『My・道具のつくり屋』で、360度回転する製作台からつくったり、竹を割り、そいだり曲げたりしてヘラやコテなど、細部の製作ツールもいっぱいつくったっけ・・・。

夜目遠目・笠の内』、普段は写真のように、より美人に見えるように、
長女が昔、使っていた麦わら帽子をかぶせてゴマカシ?ている。

そうやって振り返ってみると、ずいぶん若いときから、ヴァイオリンのような女性的な曲線の美にたいし、 特別な憧憬の念をもっていたように再認識している今日この頃・・・。
 あとがき 
家内も同じ美術部員の一年後輩、作品こそ出さなかったが、「おぃ後輩、手伝ってくれ〜ッ!」と搬入には同行。

会場がN市・商店街の中心であり、駐車禁止であることから、半分は車の運転要員として連れて行き

帰りは小生だけが電車で帰ればいいと思っていたが・・、気が変わって、家内は最後の懇親会まで付き合った。

それでも『昔取った杵柄』、額の位置が高いとか低すぎるとか、彼女も、喜々として飾り付けも手伝ってくれた。

さて、先輩諸氏、それに、ずっとずっと後輩の主婦
WさんたちのCG作品などにふれ、大きな刺激を受けた。

とりわけ今回の呼びかけに応じ、何十年ぶりかに筆をとったという6年先輩のOさんの『早春の箱根・駒ヶ岳』、

また、昔、在学中は音楽部だったというM先輩の『ヴェネチアの夕景』などの色づかい、筆使いにいたく感銘。

次回には、30号程度の油彩で再挑戦したいと作画意欲だけは満々、大きなエネルギーをいただくことになった。

モジリアニやルノアールなど、後期印象派が大好きな、ヴァイオリンづくりを楽しむ初老の駄作と美意識に、
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。 
m(_ _)m

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