バックナンバー(三)  第二十二話〜第二十五話

「あの男はな、消えたんやない。まあ、ここからは消えたんやけどな。そやなぁ、戻った、と言ったほうが正解やな。」
「戻った?。どこへ戻ったんだ?。・・・・まさか、生きていた時の、現世へ戻ったというのか?。」
「そうなのよ。現世へ戻ったの。ただし、生き返ったんじゃないのよ。あの男の魂は、無理やり、強制的に現世に戻されたのよ。」
「うーん、よくわからん。どういうことなんだ。俺にもわかるように言ってくれ。」
俺の頭は混乱していた。魂が現世へ戻ることなんてあるのだろうか。もし、あるのなら、俺自身戻ることができるはずなのだ。

「あのな、あの男は、葬式もされてへん。せやから、本来は、ここへは来られへんのやな。葬式をされて初めて死者は、この死者の行く道にやって来るんや。死出の山にこられるんやな。葬式をされてへん者は、ここへは来られへんのやな、普通は。ここへ来ないで、現世の地で彷徨っている者になるんやな。つまりは、幽霊や。葬式をされんと、普通は、そういうものになるんやな。
せやけど、死者の中には、葬式をされんでもここへ迷い来る者がおるんや。たまにやけどな。魂が、フラフラ彷徨っているうちに、ある道を見つけてしまうんや。それは、死んだものにしか見えへん道や。」
「それは、ここにつながっている道なのか。」
「そうなの。この死出の山につながっている道なの。で、葬式をされていない死者の中で、その道に迷い込んでしまう者がいるわけ。あの男もその一人だったのよ。でもね、葬式をされていない、ということは、ここでは存在できないのよ。当然、葬式後の供養も無いし、お経も無い。お線香を焚かれるわけでも無い。お供えも無い。ここで生きていくには−−表現が変だけど−−そういう供養やお経、お供えや線香などが必要なのよ。」
「ということは、あの男は、ここでは存在できないものだった、ということなのか。」
「そういうことやね。せやから、現世へ戻されたんや。というより、必然的に戻ってしもうたんやな。」
「なるほど・・・・・。じゃあ、あの男は、消えてしまったのではなくて、現世に戻ったんだな。現世で存在しているんだな。」
「そういうことね。現世の世界で、ちゃんと存在しているわ。幽霊としてね。」
「えっ?・・・・・。あぁ、そういうことになるのか。そうだな・・・・。しかし、俺たち魂は、さっき山おんなさんも言ったように、お経やお供えや線香が供えられないと、たちまち力がなくなってしまうぞ。あの男の場合、そういうものは期待できないんじゃないのか。と言うことは、現世に戻っても、力尽きて、クタバッテいるんじゃないのか。」
「そうとは限らないのよ。魂の力って、結構しぶといものなのよ。あの男の場合、もと生きていたところ−彼の場合はホームレスだったから、生活していたその公園ね−そこに戻されているわ。で、そこで彷徨うことになるんだけど、確かに、初めのうちは力が出ないと思う。でもね、食べ物の気って、今やどこにでも漂っているでしょ。」
「あっ、そうか・・・・。例えば、料理屋の換気扇の下とか。食べ物屋はいっぱいあるから、気を吸おうと思えば、困ることはないのか。」
「そういうこっちゃ。幽霊になっても平気なんやな。初めのうちは、力が出ないけど、すぐに気付くんやな。そこら中に漂っている食べ物の気にな。で、それを吸ってみると、何と力が出るやないか。これで、めでたく存在できるようになるんやな。」

そういうことだったのか。あの男は、葬式をされていなかった。ならば、本来ここへ来ることはできなかったはずだ。しかし、彼はたまたま、死出の山に通じる、死者にしか見えない道を見つけてしまったのだ。それでここにくることができた。しかし、誰もあの男の為にお経を唱えるでもないし、線香を焚くわけでもなく、お供えをするわけでも無い。となると、ここでは存在できない者になってしまうわけだ。だから、この場所から消えたのだ。現世に強制的に戻されたわけだ。
現世に戻ったあの男は、現世には食べ物の気があふれていることに気付く。その気を吸いさえすれば、幽霊ではあるが、存在することができることに気付く。しかし、それでいいのだろうか・・・・。
俺は、考え込んでしまった。

「はー、それでいいわけはないやろ。彷徨う魂は、所詮救われんさかいに。だんだん、穢れていくし、心休まるときはないやろうな。それに、犬の幽霊とかに傷つけられたり、とかあるやろうしな。」
「な、なんだそれ?。犬の幽霊ってなんだ?。」
「人間って、すごく勝手でしょ。飼い犬とか捨てたりするじゃないの。その捨て犬とかが死んじゃうと、幽霊になるのよ。捨て犬って、人間を怨んでいるし、飼い犬のように供養されたりすることも無いでしょ。だから、犬だって幽霊になるわよ。で、そういう犬の幽霊は、人間を怨んでいるから、あの男のような幽霊がいると、襲い掛かってくるのよ。」
「魂を喰われてしまう・・・・・・のやな。」
マ、マジなのか。なんだか、恐ろしい話になってきたぞ。まるで、ゾンビのような・・・・。

「そ、それ、本当の話なのか?。マジでそういうことがあるのか?。」
「あぁ。ホンマの話やでェ。せやから、あの男もこれから大変やな。うまく逃げ回るか、避難所を見つけるかせんとな。魂を喰われてしまう。魂を喰われたら、どこにも存在できへんからな。完全な消滅や。」
「避難場所って・・・そんなところもあるのか。」
「そうねぇ。お寺の門前とか、神社の鳥居前とか・・・・。中には普通は入れないからね。結界があるから。あとは、波長が合った生きている人に縋りつく、とかね。」
「それって、とり憑くということかい?。」
「そうともいうわね。」
「そうとも言うって・・・。それって・・・。それでいいのか。」
「ま、しゃーないな。みんな自分で撒いた種やからな。あの男かて、自分のプライドにこだわらんと、なんでもいいから働らいとったら、ホームレスにはならへんかったやろ。今ごろ、葬式もされてやな、家族も悲しみにくれとる頃やろ。そういう道を放棄したんやから、あの男は。あんたもそう思わんか?。」
「そりゃ、まあ、そうだけどね。自業自得、といえば、そうなるんだろうな・・・・。」
「そやろ。なら、いらん同情はせんほうがええでぇ。同情しても助けられるわけやないし。生きとるもんやったら、下手に同情すると、とり憑かれてしまうでぇ。」
「そんなもんなのか・・・・・。そりゃ、まあ、俺があの男のことを心配してもどうすることもできないんだけどな。それでも、心情的に、かわいそうなヤツだな、とは思うよ。」
「それはそうよね。普通は、少しは気に掛けるわよ。でも、その程度で割り切ったほうがいいわよ。それよりも、自分のことを考えたほうがいいかもよ。」

その時、俺は、俺が死んだ時の和尚の話を思い出した。確か、和尚は、生きている時に、ものすごく強い執着心や恨みや怨念を残したりすると、現世に留まって幽霊になる、というようなことを言っていた。あの世に行くことを拒否したものが幽霊になると・・・・。
あの男の場合は、葬式をされないがためにここへは来られない。そして、現世に幽霊として存在することになる。魂のみの存在になるわけだ。
強い恨みや執着を残したり、あの世に行きたくないという強い思いを残したりしても、幽霊になる。その場合は、たとえ葬式をしても・・・・・。
また、中には、犬の幽霊もいるという。人間の身勝手で捨てられた犬が、死を迎えると幽霊になるという。人間を怨むがために。供養されないがために・・・・。

「それだけやないけどな。」
「えっ?、それだけじゃない、というのは、幽霊のことか?。」
「あぁ、そや。幽霊は、それだけが原因でなるんやない、ということや。」
「つまりね、幽霊というものは、どんなものか、ということなのよ。幽霊、という存在は、この死の世界に来られないもの、来ることを拒否するものに分かれるの。で、来られないものの場合、結構複雑なのよ。」
「そうやがな。そこがややこしいんや。ま、簡単に教えたるさかいに、よう聞けや。ほな、山おんなはん、頼むわ。」
「えっ、私なのぉ。ま、いいわ。そんじゃ、教えてあげるわよ。
まずね、この死の世界に来ることを拒否するもの、というのは、わかるわよね。あなたが考えていたように、現世にすごく強い未練を持った者や、すごい執着心を持った者や、めちゃくちゃすごい怨みを持った者が、ここへ来ることを拒否するのよ。
あなたも葬式が終わったあと、勝手に魂がここまで運ばれてきたでしょ。死出の門まではどうしようもないわよね。身動きが取れないの。ここへ来ることを拒否する魂も、葬式をされれば、例外なく死出の門までは来るのよ。でも、死出の門をくぐったと同時に現世に戻ろうとするの。ものすごいエネルギーでね。私たちも止められないほどよ。もっとも、止めたりはしないけど。止めちゃいけないことになってるから。
でも、怨みのエネルギーってすごいわ。この死出の山から、現世に続く道を見つけてしまうんですもの。普通は見えないのにね。
こうして、未練のために、あるいは、その怨みを晴らすために現世に戻っていくわけ。幽霊となってね。
これが、ここには来ない、ここへ来ることを拒否する者たちよ。」
この死出の道を行くことを拒否するほどの未練、執着心、怨みとは、いったいどんなものなのだろうか。俺には想像できないものだった。死を拒否するほどの怨念とは・・・・・。

「ちなみに、動物たちは、死ぬと別に行くところがあるんだけど、野生のものは、死というものを本能的に知っているからちゃんと行くべきところへ行くのよ。だけど、人間に飼われていたペットは別ね。行くべきところを知らないから、送ってやらないといけないのよ。
でも、さっき山おとこさんが言ったように、捨てられたペットはダメね。行くべきところへ送ってもらえないし、人間に怨みを持っているから、現世に留まることになるの。もとペットの幽霊になるのよ。ペットたちには罪はないのにね。で、生きている人間に怨みを晴らそうとするのね。誰彼なしに・・・。ペットを飼うのなら、最後まで責任を持って欲しいわね。」
人間は、そんなところにまで、迷惑をかけているのか・・・・・。邪魔になったからといって、ペットを捨てる・・・・。いとも簡単に。あとのことは考えずに。人間の身勝手さは恐ろしいものだ。死の世界にまで迷惑をかけている。
そんなこと、誰も知らないだろうな。自分が捨てたペットが、その死後幽霊になっているなんて・・・・。しかも怨みを持っていて、誰にでも襲い掛かるなんて・・・・。ペットを飼っている人は、最後まで責任を持って欲しいものだ。

「まあ、そういうことね。怨みを残すことはよくないからね。
さて、もう一つの、この死の世界に来られないもの、なんだけど、これにはね、大きく分けて二つのパターンがあるのよ。」
「二つのパターン?。」
「そうなのよ。それはね・・・・。」
山おんなさんの話は続いたのだった。

「この死の世界に来られないものには、二つのパターンがあるの。
一つは、さっきの消えた男みたいに、葬式もされず、ひっそりと死を迎えてしまったものよ。葬式もされない、この死の世界に送り込まれない、あとの供養もされない、そういう者は、ここには存在できないのよ。それは、わかるわよね。」
「あぁ、わかるよ。あの消えた男のようなパターンだろ。たとえ、この死の世界に来ても、強制的に現世に戻されてしまう、というわけだろ。」
「そうそう。そういう人たちは、強制的に現世に戻されて、結局、幽霊になってしまうのよね。ここへ来ないものも含めて、現世で幽霊として漂うことになるの。まあ、それは、仕方がないわよね。状況が状況だから。ところが、もうひとつの方が、実は困りものなのよねぇ。」
「二つのパターンのうちの、もうひとつの方に問題あり、と言うことなのか。」
「そうなのよ。」
山おんなさんの声は、ちょっと言いにくそうな、そんな感じだった。


「あのね、本当は、この話しちゃいけないんだけど・・・・、この先のことも教えてしまうことになるから。でも、まあ、いいか。相手があんただからね。実は、この先、あなた達死者は、裁判を受けるんだけど、それは、もう知ってるわよね。」
「あぁ、聞いてるよ。確か、全部で七回あるって聞いたような・・・。」
「あら、よく知ってるじゃないの。馬頭(めず)ね。アイツもおしゃべりだわ。」
「いやいや、あいつだけやないで。こっちの世界のものは、結構おしゃべりやな。あんたも含めて。」
「あら、あんたいたの?。やな人ねぇ、それは、あなたも同じよ、山おとこさん。まあ、いいわ、そんなこと。
で、その裁判だけど、この死出の山を越えると、1回目があるの。あんたももうすぐね。」
「そ、そうなのか。もうすぐなのか・・・。」
「そうよ、もうすぐよ。大丈夫?。現世で悪いことしてなぁ〜い?。ふふふ。」
山おんなさんは、怪しげな声で、甘ったるく笑ったのだった。甘えられているようで、勘違いしそうな声だった。

「変なこと考えてないの!。まったく男って・・・。でね、その裁判が終わると、ある境界線を越えることになるの。実は、その境界線を越えると、自由に現世に戻ることができるのよ。」
「な、なんだって!。帰れるのか?。現世へ帰れるのか?。」
「そう。四十九日が終わるまで、という期限付きだけどね。」
「期限付きなのか。四十九日が終わるまで、というのはどういうことなんだ。」
「人はね、死んだ日から、7日目に1回目の裁判があるの。で、そのあと、ある境界線を越えて、その後、死んだ日から14日目に2回目の裁判があるのね。こうして、7日ごとに裁判があるんだけど、とりあえず、7回目の裁判が最後なのね。それが、死して49日目なの。で、死者は、死後7日目の一回目の裁判を受けて、ある境界線を越えると、自由にこっちの世界と現世とを行き来できるようになるのよ。ただし、7日毎の裁判の時は、こっちの世界にいないといけないけどね。それ以外は、自由なのよ。現世に戻っていいの。」
そうなのか。戻れるのか。裁判の時だけ、こっちの世界にいればいいのか・・・・。あっ、待てよ。ということは、そのまま現世に留まるヤツも出て来るんじゃないのか?。いわゆる脱走者、というか・・・・。

「そういうことなのよ。脱走者、というか、裁判になっても戻ってこない者が出てくるのよ。」
「そりゃ、そうだろうな。現世に残してきた家族に会えるのなら、こっちに戻って来るのが嫌になるだろう。それは、そう思うよ。誰しも納得して死を迎えているわけじゃないからね。現世や家族に思いを全く残していない、なんてことはないだろう。生き返れるのなら、誰だって生き返りたいよ。戻れるのなら、誰だって戻りたいよ。」
「そうなのよねぇ。その気持ち、わかるわぁ。だけど、こっちに戻ってこない、ということは、現世で幽霊になってしまうのよ。生き返るわけじゃないから。だから、普通は、みんな戻ってくるのよ。一応、裁判の日には。」
「そうなのか。でも、さっき、戻ってこない者が出て来る、って言ったじゃないか。」
「そう、戻ってこないものも確かにいるわ。それはね、死者のせいじゃないのよ。何ていうか・・・。
生きている側、現世に残された側の問題なのよ。それが原因で、こっちに戻ってこられなくなる者がいるの。」
『な、なに?。意味がよくわからない。どういうことなんだ?。』

「ふぅ・・・。」
山おんなさんは、ため息を一つついた。
「現世に残された者、残った者が持つ未練が問題なのよ。
あなたの場合で、例えて話をするわね。あなたの場合、まだ若い奥さんがいて、お子さんも小さくて、あなたにもいろいろと未練があるでしょ。でも、あなた自身は、もう割り切っているわよね。だけど、現世に残ったものたち、あなたの場合では、奥さんやお子さんね、その人たちが、あなたの死を受け入れることを拒んだらどうなる?。あるいは、いつまでもあなたの死を悲しんで、メソメソ泣き通しの日々を過ごしていたら、あなた、どう思う?。そんな姿を見たら、あなた、どう感じる?。」
「そ、そりゃ、そんな姿を見たら・・・・、生きていれば、肩を抱いて、悲しむなよ、って声を掛けたくなる・・・なぁ・・・。うん。」
「いつまでもそばにいてあげたい、って思わない。」
「ああ、思う、思う。できれば、いつまでもそばにいてあげて、慰めてあげたい。・・・・あっ、そうか。そういうことか。」
「わかった?。そういうことよ。生きている側が、いつまでも愛するものが死を迎えた、という事実を受け入れずに、或いは、受け入れても、未練をいつまでもかけていると、死者もこっちで気持ちを落ち着けられないのよ。
自由に現世に戻れるようになって、悲しんでいる家族の姿を見ちゃうと、こっちへ戻りにくくなるの。通常の悲しみ方なら、そんなに悲しむなよ、程度で済むんだけど、異常に悲しんでいたり、ふさぎ込んだり、立ち直れないくらい悲しんでいたり、泣き暮らしている姿を見たりすると、死者は、こっちへ戻りたくても戻れないじゃない。そばにいてあげたい、と思ってしまうでしょ。そうなると・・・。」
「幽霊になってしまう、わけだな。」
「そういうことよ。」
「それが、もう一つのパターン、ということだな。」
「そうなの。ちょっと、悲しいパターンよね。愛しい家族が亡くなったら、悲しむのは当然よね。でも、あまりその思いが強いと、死者も困ってしまうのよ。裁判に戻らなきゃいけないのに、戻れない。残った家族のことが心配になってしまい、その思いにとり憑かれてしまうの。心配で心配でたまらなくなるわけ。そうやって、こっちの世界から、いわば脱走してしまい、現世に残ってしまう。で、行き着く先は幽霊、となるのね。」
家族の悲しんでいる姿を見るのは、確かに辛いものだ。できれば、そんな姿は見たくない。この場合の幽霊は、いわば、現世の遺族が生み出すものなのだ。
俺は、密かに、自分の家族が自分の死を受け入れていることを願った。少しは悲しんで欲しいが、悲しみで打ちひしがれて、泣き暮らしているようなことがないよう、そっと願ったのであった。

「そうね。あなたの家族も、あなたの死を受け入れてくれているといいわね。でも、これは、人間の場合は、そんなに多くないのよ。よほど、現世の家族が、未練を残していない限りね。多いのは、ペットの場合なの・・・。」
「ペット?。犬とか、猫・・・・?。」
「そう。ペットを飼っていた人って、そのペットが死ぬと、結構ショックが強いでしょ。可愛がっていた分、思いが強く残るのよ。いつまでもいて欲しい、という思いが強いのよね。家族に対する愛情とは別の、そう、溺愛でしょ、盲目的な愛よね。だから、その可愛がっていたペットの死を受け入れない人が多いの。
前にも言ったように、動物は、死ぬと別のところへ行くわ。動物には動物の行くべきところがあるわけ。でも、ペットは、野生とは違って、行くべきところを忘れてしまっているの。だから、その行くべきところ、いわばペットのあの世へ送ってやらなければいけないわけ。」
「あぁ、そういえば、ペット専用の霊園とかあるなぁ。ちゃんと、葬式のようなことをしてくれるよ。それでいいんだろ。」
「そう、それでいいんだけど、ほら、問題は、死んだペットじゃないのよ。ペットを亡くした側。」
「あっ、そうか。可愛がっていたペットの死を受け入れず、あるいは、忘れることができず、いつまでもメソメソしている、ペットの飼い主側が問題なんだね。」
「そうそう。いつまでも悲しんでいると、ペットは、死を受け入れないで、いつまでも残ることになるのよ。飼い主の周りでウロウロすることになるのね。」
「それは、ペットの幽霊・・・・。」
「そういうことね。これはね、結構問題なのよ。ペット自体は、死んでいるんだけど、自分が死んでいるとは思っていない。確かに葬式をしてもらった時点では、ペット自身も死んだことがわかるのね。でも、飼い主が悲しんでいるから、あの世へいけず、飼い主のところに残ってしまうわけ。で、そのうちに、勘違いが激しくなるの。飼い主は、自分がいないとダメだ・・・・・、とね。」
「ひょっとして、その死んだペットが、飼い主にびったりくっついてしまう、ということかい?。」
「そう。それで、その飼い主に近付いたりするものに、敵対心を表すようになるわけ。おまえなんか、邪魔ダァ〜ってことね。ペット本人は、生きているつもりだし。」
ということは・・・・。もし、飼い主が、違うペットを飼い始めたらどうなるんだろう。けんかになるのかな???。

「そうね。けんかになる場合もあるわ。飼い主次第よね。飼い主が、結構あっさりしていて、ペットが亡くなったら次を飼えばいいか、ぐらいに思っている場合は、ちゃんとあの世へ送り届ける儀式、つまりペット用の葬儀をしてあげれば、あの世へ行くわよ。問題は、飼い主が未練を持っていて、そのペットの死が忘れられず、いつまでも悲しんでいる場合。その亡くなったペットの代わりに新しいペットを飼ったりすると、死んだつもりのないペットと新しいペットがけんかすることは、あるわよね。」

それにしても、未練とは、恐ろしいものだ。亡くなった者にせよ、遺族側にせよ、強く未練を持ったりすると、幽霊を生み出すことになってしまう。
現世に対する未練、現世に残してきたものに対する未練、遺族側の死者に対する未練・・・・・。
それらすべての未練をきれいに無くせ、というのは無理な話だろう。未練があって当然なのだ。しかし、その未練にいつまでも執着することが、いけないのだろう。
死の世界へ行くことを拒否するほどの恨みや復讐心、執着心・・・・・。
死の世界に行く機会すら与えられず、彷徨うもの・・・・。
落ち着いている死者を現世へ呼び戻すほどの強い遺族の悲しみ・・・・。
いずれしても、あまりにも「思い、想い」が強過ぎることから生まれてくるのだ。その強すぎる思いが、また、不幸を呼ぶのだろう。
死んだ者は、現世に留まるべきではない。やはり、いわゆるあの世に来るべきなのだ。死者には死者の、生者には生者の存在すべき場所があるのだろう。
それが、死者にとっても残された生者にとっても幸福なことなのだろう。

「そうやな。そう思うわ。それが秩序、というもんやろな。死んだ者が、現世に留まっても仕方がないことや。ほとんどの人間には見えへんのやさかいに。存在に気付かれへんのやったら、死んでるのも同じやからな。そやから、気付いてもらおうとして、悪さをしよんねん。幽霊や、って騒がれんならん。で、また罪を重ねていくんやな。そりゃ、浮かばれんって。」
「あぁ、よくわかったよ。俺もせいぜい気を付けるよ。この先、家族の元に戻っても、こっちへ戻れなくなるような、そんな思いにとり憑かれないようにね。幽霊にはなりたくないからね。」
「そうね。気をつけてね。」
「せやせや。気を付けなはれや。ま、あんさんの場合は、そない心配はいらへんけどな。それにしても、えらい道草させてしもうたな。もうそろそろ、あんさんが死んで、7日目や。死出の山ももう終わりやな。」
「えっ?、もう死出の山も終わりなのか。ということは、もうすぐ裁判か・・・。あっ、でも、出口が見えないよ。」
「話が長かったから、死出の山を最後まで行けなかったようね。まあ、ほとんどの人が、最後まで歩いていけないから大丈夫よ。」
「せやがな。あんたも吐き出し組やね。ま、もう少ししたらわかるわ。」
「えっ、どういうことなんだ、それ。吐き出し組って・・・前にも聞いたよな。話が長かったから、最後まで歩けなかったって、どういうことだ。出口まで行かなくていいのか。」
「ふっふっふ・・・・。いいのいいの。さ、もうこれでお別れよ。きっと、もう会わないわ。元気でこの先も取材続けてね。あ、死んでいる人に元気で、っていうのもおかしいわね。それじゃあね。」
「はっはっは・・・・。ほなな。がんばって取材続けなはれや。ほな、さいなら。」
「あ、あ、あ、ちょ、ちょっと、おい、ちょっと待ってよ。そんな、俺ひとり置いておかないでくれよ。待ってくれよぉ〜。」
俺の声は、死出の山に虚しく響くだけだった・・・・。

俺は、ひとり寂しく山道をとぼとぼと歩いていた。しかし、山おとこさんや山おんなさんの話によれば、それももう終わるらしい。俺が死んでもうそろそろ7日がたつという。ここに居ると、日が沈むわけではなく、いつも曇った日の夕方のような状態だから、何日たったのか、サッパリわからない。まあ、それがわかったところで、どうと言うこともないのだろうけど・・・・・。
それにしても、吐出し組とは、いったいどういうことなのだろうか。山おんなさんは、それでいいのだ、と言っていたが。出口まで行かなくてもいいとも言っていた。いったいどういうことなのか・・・・。
その時だった。目の前に突如としてトンネルが現れた。トンネル、と言ったが、それが本当にトンネルなのかは定かではない。ただ、目の前に、トンネルの入口のようなものが現れたのだ。しかし、通常のトンネルよりも中が暗かった。暗いと言うより、真っ暗、闇の中、といった感じだ。俺はその暗闇を見つめて立ち止まってしまった。
「まさか、この暗闇の中に入れというのか?。本当に入っていいのか?。何だか・・・。しかし、他に道はないし。」
俺は、ゆっくりとその暗闇に近付いていった。ゆっくり、ゆっくりと・・・・。

その暗闇のすぐ近くに来た時だった。俺の身体は、その暗闇の中に吸い込まれそうになったのだ。
「う、うわっ!、な、なんだ、これは、吸い込まれるぞ!。た、助けてくれ〜。」
俺は、その暗闇に吸い込まれないように、何とか抵抗を試みたのだが、それは虚しい行為だった。その暗闇が吸い込む力は、とてつもなく大きいものだったのだ。
「あ、ああ、あぁぁぁ〜。」
俺は叫び声を上げながら闇の奥底へ吸い込まれていったのだった。
「ええねん。吸い込まれてええねん。これで、ホンマにお別れや。達者でナ。」
「大丈夫よ。それでいいの。元気でね。結構楽しかったわよ。」
闇の奥へと吸い込まれながら、俺は、山おとこさんと山おんなさんの声を聞いたような気がした。


どのくらい闇の中にいたのだろうか・・・・。長かったようでもあり、一瞬であったようでもあり・・・・。
「うっ、うわっ・・・・。」
俺は、いきなり明るいところへ出てきた。出てきたというより、放り出された格好だった。思わず、転びそうになってしまった。頭が少しぼんやりしていた。
「おい、次のお前、釈聞新だな。早く並べ!。」
そう俺に声をかけてきたのは・・・・・馬面だった・・・・。しかも、そこには二人(二匹?)の馬面がいた。
「何をぼうっとしているんだ。さっさと並べ。次が詰まってしまうだろ。」
「あ、あんたは、死出の山の門番だったんじゃ・・・・。」
何が何だか、訳がわからないままに、俺は思ったことを口走ってしまった。
「えぇ?、馬鹿者!、あんな野郎と一緒にするな。よく見ろ。俺のほうがいい男だし、有能だ。」
「はは、はぁ・・・。そうなんですか。」
その馬面は、大声で怒鳴り返してきた。同じ馬面でも、どうやら違うらしい。俺にはどう見ても同じとしか思えなかったが・・・・。
「と、ところで、何をやっているんですか?。ここはどこですか?。」
「あのなあ、俺は忙しい。お前の相手はしてやれない。裁判の順番を間違えると大変だからな。あぁ、そうだ。新入りのこいつに聞け。おい、新入り、この釈聞新さんはな、こっちの世界を取材している変な方だ。だから、質問にお答えしてやれ。」
「はい、わかりましたぁ。わたくしがお相手を致しますぅ。何でもご質問くださ〜い。」
相手をしろ、と言われた馬面は、妙に丁寧だった。そういえば、この馬面は、「忙しい」といっていたもう片方の馬面よりも若く見える。なるほど、新入りなのだ・・・・。

「うわっ!、何だこりゃ。」
その時だった。俺の横に、いきなりおじいさんが転がり出てきたのだ。俺はびっくりして飛び上がってしまった。
「驚かなくても大丈夫ですよぉ。この方も吐き出し組なんですよぉ。死出の山を歩いて越えられなかったんですねぇ。だから、ここへ吐き出されたんですよぉ。」
若い馬面が、何も聞いていないのに教えてくれた。それにしてもしゃべり方に変な癖があるようだった。
「必殺院釈主水だな。よし。この男の後ろだ。並べ。」

そういうことなのか。俺は、何となくわかってきた。
「なるほど。死出の山を時間内に越えられなかったものは、ここへ吐き出されてくるんですね?。その入口があの真っ暗なトンネルだったんだ。」
「そういうことですぅ。しかも、亡くなった順番は変わりませーん。たぶん、あなたは、多くの方を死出の山で追い越されたと思いますが、順番は元通りになっているんですよぉ。」
そう言われて、俺は前を見た。今まで気がつかなかったが、俺の前は、あの長ったらしい戒名を持った元経済人の爺さんだった。そして、その前には、自称霊能者のオバサンが並んでいた。その前のほうにも、確かに死出の山で追い抜いた、じいさんやばあさんが並んでいたのである。
「あぁ、確かに、俺が追い抜いた人たちが、俺の前に並んでいるなぁ・・・・。そうか。死んだ順番は変わらないんだ。」
「そうなんですよぉ。あ、そうそう、歩きながらお話しましょうかぁ。少しずつですが、進んでおりますので。」
確かに、少しずつではあるが、俺の並んでいる列は、前に進んでいた。そして、その列の前のほうには、霞がかかっていて、よくは見えないのだが、大きな建物が建っているようだった。

「あぁ、あの先に見えますのは、第一裁判所ですねぇ。もうすぐよく見えるようになりますよぉ。その話は、その時に致しましょう。まずは、死出の山のシステムについてお話いたしますぅ。ぐふぐふ。」
その若い馬面は、そう嬉しそうに言って、話を死出の山のことに戻した。どうやら、話の順番があるらしい。まるで、観光案内のような感じだ。

俺が若い馬面と話している間に、また次の死者が吐き出されてきた。もう片方の馬面がその死者の戒名をチェックして列の最後尾に並ばせた。
「この死出の山はぁ、よぉーくできておりましてぇ、山の中では亡くなった順番は変わってしまうのですがぁ、出てきたときは、ちゃんと元通りになっているんですよぉ。それは、吐き出し口があるからなんですねぇ。最初の裁判の日が近付いてきたら、亡くなった順番通りにきっちり吐き出してくれるんですよぉ。ですから、亡くなった順番を間違えると言うことはありませーん。本来ならば、ねぇ。しかしぃ・・・・・。」
「しかし?。」
「はぁ・・・。たまーになんですがぁ、吐き出されない者が居るんですよぉ。自分で越えてくるわけじゃなくぅ・・・・。」
「それは、現世に戻っていってしまった連中じゃないですか?。」
「そうですそうです。よぉーくご存知ですねぇ。何を思ったのかぁ、死んでいるのにぃ、死出の山の門をくぐったと同時にぃ、現世へと帰ってしまう死者がいるんですねぇ。困ったものですぅ。ですから、ここで一応調べているんですよぉ。」
「なるほど。それがあなたたちの仕事なんですね。現世に帰ってしまった死者のことは、死出の山で教えてもらいましたよ。山おとこさんや山おんなさんにね。」
「そうでしたかぁ・・・。それはそれは・・・。取材が進んでいるようで結構なことですねぇ。」
その馬面は、少し不服そうな表情を見せた。本当は、現世へ帰ってしまい、幽霊となってしまう死者についても説明がしたかったようだ。

その時だった、もう片方の馬面の怒ったような声が聞こえてきた。
「なんだ、お前か。戒名がないという死者は。なんで戒名をつけてもらわなかったんだ。」
「はぁ・・・私にはわかりませんが、うちの宗教がそういう宗教だったようで。」
「ははぁ〜ん、新興宗教の一種だな。最近多いんだ、そういうのが。確か仏教系のはずだったが、その新興宗教。なのに、なぜ戒名がないんだ。」
「はぁ・・・。そう言われましても・・・。」
「まあ、いい。俺がとやかく言うことじゃないからな。裁判で決められることだから。かわいそうだけどな。そこへ並んでろ。」
ここでも、戒名がないことが取り上げられていた。確か、死出の門のところでも、その男は馬面に「かわいそうに」と言われていたようだったが・・・。

「すみませんねぇ。お騒がせ致しましてぇ。先輩の馬頭さんは、仕事熱心な方なのでぇ。どこまでお話いたしましたかねぇ。
あ、そうそう・・・・。私たちは、ここで死者がちゃんと来ているかチェックしているんですよぉ。戒名と照らし合わせてぇ。それと、吐き出し組じゃなく、ちゃんと歩いてきた死者が順番を間違えないようにしてあげなければならないんですねぇ。まあ、滅多にないのですが。ほっほっほっほ。」
「あぁ、そうか。ちゃんと歩いて来た死者は、吐き出し組と入り混じることになるから、順番を間違えやすいんですね。歩いて来る方は、そんなにいないんですか?。」
「そうですねぇ。あまりいないですねぇ。ほっほっほ・・・。死出の山は、そんなに甘くないですからねぇ。ふふふふ。」
「いつもお二人でチェックしているんですか?。」
「いいえぇ〜、そうじゃないですよぉ〜。いつもは、一人でやってまぁーす。あの馬頭さんは、今度違うところへ栄転されるんですぅ。で、そのあとを私が引き継ぐんですよぉ。今日は、引継ぎの日なんです。でも、この仕事なら、よくわかっているしぃ・・・。大丈夫なんですよぉ。」
それにしても、変なしゃべり方だ。こっちの世界にもいろんな連中がいるようである。

「ところで、死出の山で、現世に戻ってしまったものを追っかけたりはしないんですか?。地獄の番人が、現世にやってきて死者を連れ戻す、とか・・・・。」
「そういうことは、しませんねぇ。それは、死者を供養するものたちの仕事ですからぁ。こちらの世界のものは、タッチしないんですよぉ。死者を出した家で、ちゃーんと供養していれば、いったん現世に戻って幽霊になったとしても、いずれこっちの世界に帰ってきますからねぇ。」
「そうなんですか。ちゃんと供養されていれば、こっちへ帰ってくるんだ。」
「あまりひどい場合は、そういうわけには行きませんけどねぇ。そういう時は、こっちに送り返すことができる僧侶の方が処理してくれるでしょう。そこの施主なり、依頼主なりに頼まれればねぇ。」
「そういうものですか。なるほどねぇ。よくわかりましたよ。ところで、先程の、戒名ない方は、どうしてああいう風に言われるんですか?。戒名がないと何か不都合なことでもあるんですか?。」
「そりゃあ、ありますよぉ。でも、ここでそれについてお話するわけにはいきませんねェ。裁判所でなら、はっきりとその理由が聞けるでしょう。そのことは、裁判官に聞いてください。」
「はあー、そうなんですか。それは残念だなぁ・・・。」
俺は、さも残念そうにして、この話し好きの若い馬面が、話し出さないかと水を向けてみたが、どうやらそのことに関しては、口出ししてはならないのか、それっきり口をつぐんでしまった。

気まずい雰囲気が流れた・・・・。仕方がないので、質問を変えてみた。
「ところで、ここはどこなんですか。死出の山の一部なんでしょうか。」
「あ、あ、すみません。まだ、それを言ってませんでしたねぇ。そうそう。ここはね、第一裁判所通り、というんですよ。この通りは、まっすぐ第一裁判所に向っているんですぅ。今は、裁判を受ける順番を待っている状態ですねェ。」
「これ、並んでいるのは、裁判の順番を待つために並んでいるんですか?。」
「そうなんですよぉ。この列は、裁判を受ける順番待ちなんですよぉ。あなたの順番ももうすぐですねぇ。ほら、裁判所がはっきり見えてきましたよぉ。」
そう若い馬面に言われ、俺は列の前方を見てみた。そこには、大きなお寺のような建物が建っていた。
「大きいでしょ。ああ、でも、現世でも大きなお寺がありますよねぇ。それとたいして変わらないかぁ・・・。」
「裁判官は、一人なんですか?。」
「えぇ、そうですよぉ。お一人です。お名前を・・・・。それは、中に入ってからのお楽しみですねぇ。ほっほっほ・・・。」
若い馬面は、そう言って笑った。

「さぁ、いよいよ、近付いてきましたねぇ。あなたの順番ももうすぐですよぉ。私は、中には入れませんので、ご質問があれば、今のうちにしてくださぁい。」
第一裁判所は、大きな建物であった。京都や奈良などで見ることのできる、大きな寺院のような建物だった。ただ、屋根などは、どちらかと言うと、中国風の建築物のようであった。

「そうなんですか。あなたは、中には入れないんですか。」
「そうなんですぅ。私の担当は、この第一裁判所通りなんでぇ、中には入れないんですよぉ。中には、中の担当の者がおりますのでぇ。」
「どんな方なんですか、中の担当者というのは。」
「それは、中に入ればぁ、すぐにわかりますよぉ。くっくっくぅ〜。ほら、随分、近付きましたよぉ。くっくっくぅ〜。」
その若い馬頭は、変な笑い声をあげていた。どうも、笑いをかみ殺しているかのようだった。

徐々に、裁判所が近付いている。建物ばかりに気を取られて、今まで気が付かなかったが、裁判所は塀で囲まれ、この通りの先には門があった。建物の割には、小さな門であった。門では、また別の馬頭が名簿のようなものを片手に、死者の名前をチェックしているようだった。
「あの門のところでぇ、一応、チェックがありますぅ。途中で逃げ出すものがいるといけないんでぇ。」
『ここまで来て、逃げる者がいるんですか。』

その時であった。裁判所の中から、叫び声が聞こえてきたのだ。
「そ、そんなぁ〜。そんなこと、聞いてないですよぉ〜。な、何とか、助けてください!。じ、地獄だけは・・・。何とか、そこのところを・・・・。」
最後の方は、泣き声だった。
「くっくっくぅ〜。やってますねぇ〜。みんな裁判官の言葉にショックを受けているんですねぇ。うひ、うひひひひぃ。仕方がないですよねぇ。」
若い馬頭は、妙に嬉しそうに言った。
「この声を聞いてぇ、並んでいる列からぁ、逃げ出そうとするやつがいるんですよぉ。やましいところがぁ、あるんでしょうねぇ。ムフフフゥ。」
「なんで、助けを求めているんですか。中でいったい何をやっているんですか。」

続いて、別の声が、また叫んでいた。
「そ、そんな。まさか、そんな・・・。勘弁してください。じ、地獄だけは・・・・。」
馬頭は、ニヤニヤしながら言った。
「こんな声を聞いていると、な〜んか、不安になってくるでしょう。生前、悪いことをしていたものは、余計に不安になって、逃げ出したくなるんですよ。」
「ど、どうなっているんですか。地獄だけは勘弁してくれって、どういうことなんですか。この列を逃げ出したものは、どうなるんですか。」
俺は、不安になってきて、馬頭に聞いてみた。
「逃げたやつぅ?。そりゃぁ、地獄行きでしょう。逃げちゃあ、ダメですよねぇ。まぁ、逃げるやつは、あんまりいませんけどねぇ。中でやってることは、中に入ったら、わかりますよぉ。まぁ、裁判ですからねぇ。うひうひ。楽しみだなぁ。さぁ、あなたも中に入る番ですよぉ。大丈夫ですよぉ。中に入って、すぐ裁判になるわけじゃないですからぁ。私は、ここまでですから。さぁ、どうぞぉ。そこで、チェックを受けてくださいねぇ。いってっらしゃ〜い。」
馬頭は、ニヤニヤ笑うばかりで、質問には答えず、俺を裁判所の門の中に押し込むようにして、送り出したのだった。

俺は、不安を抱えつつも、門の中に入った。門番の馬頭は、一人で、ただ機械的に死者の戒名を読み上げ、そのものがいるかどうかを確認しているだけであった。
列の先は、建物の入口であろう、そこに続いていた。その入口らしきところには、牛頭が二人いた。
あいかわらず、建物の中からは、びっくりしたような叫び声が聞こえていた。よく観察してみると、パターンがあるようだった。裁判所の中から
「え〜、それは、本当なんですか?。地獄へ行かなきゃいけないんですか?。」
という叫び声が聞こえてくると、その後は、しばしの沈黙だった。その間、俺が並んでいる列は、動かない。そんなに長い時間ではない。再び、列が動いた。一人が建物−裁判所−の中に入ったのだ。列の動きは止まる。しばらくして、
「そ、そんなぁ〜!。それじゃあ、私は地獄へ行くんですか。な、なんとか助からんのですか・・・・。」
と言う声。そして、沈黙・・・・・。建物の中に一人入る。列が動く。そして、叫び声。沈黙・・・。
この繰り返しだった。列が進む速度はゆっくりである。しかし、裁判を待つ死者の数は、あまりかわっていない・・・ように思う。実際、俺の後ろに並んでいる数は、一定のようだ。列の最後尾は、あの吐き出し口のところだし、先頭は、この裁判所の入口である。一人にかかる裁判の時間と、現世で死者が出る時間は同じなのだろうか。或いは、どこかで調節しているのだろうか。一度に、大量に死者が出た時はどうなるのだろうか。裁判のスピードアップをするのだろうか。
俺は、そんなくだらないことを考えていた。裁判所から聞こえてくる叫び声には、もう慣れていた。慣れてしまえば、あまり不安もない。耳にも入らなくなってきている。慣れとは恐ろしいものだ。

くだらないことを考えているうちに、列は随分前進した。裁判所の入口は、もう目の前である。
「次、霊法院釈尼妙香中に入れ。」
俺より前の前にいた、例の自称霊能者オバサンが牛頭に呼ばれた。オバサンの顔は、やや引きつっていたようだった。しばらくして、あの強欲爺さんの長い戒名が呼ばれた。
「次、強欲院金泥腹黒厚顔大居士。中に入れ。まったく、長い戒名だ。フン。」
「なんじゃと、ワシに文句でもあるのか。おい、この牛面め!。」
「何とでも言ってろ。中に入いりゃ、お前もショックを受けるさ。さっさと、中に入れ。」
強欲爺さんは、まだ、何か言いたそうだったが、もう一人の牛頭に(こいつはいかにも屈強そうな身体つきだった!)無理やり、裁判所の建物の中に押し込められた。

一人が、裁判所の中に入ると、しばしの時間があるはずだ。俺は、このチャンスを逃がさなかった。ごつい姿の牛頭は怖そうだったが、ビビッてもいられない。俺は、戒名をチェックしている方の(ごつい方じゃない)牛頭に、やんわりと聞いてみた。
「あの、ちょっと質問してもいいですか。」
「おぉ、釈聞新か。お前のことは聞いている。手短に聞けよ。後が詰まると大変だからな。」
口調は横柄だったが、取っ付き難い感じではなかった。
「ここの裁判所で地獄行きが決まるんですか。先程から、叫び声が聞こえていますが。」
「そいつには、答えられないな。中に入ってのお楽しみだ。他のことを聞きな。」
いきなりのノーコメントだった。仕方がないので、質問を変えてみた。
「ここの裁判官は、一人なんですか。何ていう名前の方なんですか。」
「裁判官は、一人だ。お名前は・・・・中に入ったらわかる。」
まただ。結局、何も答えないつもりなのか。
「一人にかかる裁判の時間はどれぐらいなんですか。そんなに長くはないように思えるんですが。結構簡単に判決が出てしまうんですか。」
「ブッブー。時間切れだな。釈聞新、中に入れ。」
「えっ、ち、ちょっと待って、他にも聞きたいことが・・・・。」
「仕方がないな。中に入る時間が来たんだ。俺はね、他のやつとは違って、口が堅いんだ。中でも聞けるから、安心して進みな。じゃあな。」
「そ、そんな。あんた、最初っから答えるつもりがなかったんだな。あッ、あッ。そんなに押さなくても、ちゃんと中に入るよ。わかったよ。」
俺は、腹が立ってきた。が、あの屈強な牛頭が、俺を裁判所の中へと押し込んでしまったのだ。結局何も聞けずに俺は裁判所の中に入ってしまい、扉が閉じられてしまった。

中は真っ暗だった。何も見えない。
「釈聞新だな。左に曲がれ。そして、そのまま真っ直ぐだ。」
真っ暗の中、そう指示する声が聞こえてきた。俺は言われた通り、左に曲がり、ゆっくりと真っ直ぐ進んだ。と、誰かにぶつかった。
「痛いな。誰じゃ、ワシにぶつかるのは。」
「あッ、すみません。見えなかったもので・・・。」
俺がぶつかったのは、あの強欲爺さんだった。順番の列は、この中でも続いていたのだ。強欲爺さんは、それ以上、文句も言わず、黙っていた。どうも、この爺さんらしくない、なんか変だ。妙に皆、黙りこくっている。
そこで、俺は、誰にともなく、聞いてみた。前の強欲爺さんでもいい、俺に指示をしたものでもいい、とにかく答えてくれればいいかと思って、声に出してみたのだ。
「あッ、あのー。ここは、裁判所の中ですよね。真っ暗なんですが、裁判官はどこに・・・。」
「釈聞新。質問したいのはわかるが、今は、静かにしていろ。そのまま、黙って少しずつ前へ進んでいけばいいのだ。後で、説明がある。」
答えてくれたのは、「曲がれ」と、指示をした者だった。しかし、どうやら、ここでも質問は、一切受け付けないらしい。仕方がないので、
「わかりました。そうします。」
とだけ答えて、俺は黙っていることにした。想像するに、前の強欲爺さんも、注意をされたのかもしれない。否、ここに並んでいる者は、みんな、一度は「黙っていろ」と言われているのかもしれない。騒ぐと、捕まったりするのかも知れない。現世での法廷でも、騒ぐと退廷させられる。それと同じなのだろう。だから、一様に皆黙りこくっている。
或いは、
「そ、そんなぁ・・・。そんなこととは知らなかった。じゃあ、私は地獄へ行くんですか・・・・」
という泣き叫びの声を聞いて、恐怖に慄いているのかも知れない。
そう、あの「地獄行きなんですか。助けてください。」という叫び声は、建物の外より、より鮮明に聞こえているのだ。いよいよ、近付いているのだ。裁判は、もうすぐなのだ。だから、ここに並んでいる連中は、不安でいっぱいなのだろう。誰しも、地獄へは行きたくないのだから・・・・。

しばらくして、目がなれてきた。真っ暗でも何となく、薄っすらとではあるが周りの状況が見えてきた。
そこは、細長い廊下だった。建物の感じからすると、いずれこの廊下は右に折れるはずだ。そこから中に入るのか、それともまだ廊下は続くのか・・・。ひょっとすると、この廊下は、回廊式になっていて、その中心にいわゆる法廷があるのではないだろうか。
強欲爺さんが少し前に進んだ。俺もそれに続いて前に進んだ。すると、後ろで扉が開き、また一人入ってきた。
「必殺院釈主水だな。左に曲がれ。そして、そのまま真っ直ぐだ。」
俺と同じように指示する声が聞こえた。しばらくすると、誰かが俺の背中にぶつかった。
「あ、あ、すみません。」
「あ、いや、大丈夫です。皆さん、そうやってぶつかるようですから。」
「そうなんですか。よかった・・・・。」
「おい、静かにしろ。黙って立ってろ。いいな。」
やはり、ちょっとでもしゃべると、注意が来る。それは、あの「助けてくれ!」という叫び声をじっくり聞いていろ、ということなのだろう。地獄へ行かなければいけないかもしれない、という恐怖を味わえ、と言うことなのだろう。
こんな重苦しい状況では、誰も話したがらないのは、当たり前だ。

また、一人分前に進んだ。扉の開く音がする。中に人が入る。左に曲がるように指示される。後ろの男に誰かがぶつかる。謝る声がする。注意される・・・・・。
その繰り返しだった。そうして、少しずつ、少しずつ、俺たちは前に進んでいった。俺の予想通り、廊下はやがて右に折れ曲がった。しばらくすると、また右に曲がった。また、しばらく進むとまた右に曲がった。そのまま進めば、一周したことになる。
どうやら、一周したところでこの真っ暗な廊下は終わるようだ。というのは、この先で、また戒名を呼ばれ、扉が開き、中に入れられるのだ。おそらくその中が裁判をする法廷に当る場所なのだろう。
俺の順番が徐々に近付いてきた。緊張が高まってくる。あの自称霊能者のオバサンが呼ばれた。
「霊法院釈尼妙香、中に入れ。」
そう呼ばれたオバサンは、「はい」と神妙に答えると、勝手にあいた扉の中へ入っていった。その途端
「ひ、ひえぇ〜。こ、これは!」
というオバサンの叫び声が聞こえてきたのであった。





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