51S-1復活日記・・・JH2CLV/T.MOCHIZUKI(Oct 22. 1993-Jul 21. 2010〜)
1984年11月15日、三才ブックスが発行したあの「魅惑の軍用無線機」(通称赤本)。今まで見たこともない業務用受信機のオンパレードに驚嘆。
その中でひときわ眼を惹いたのがR-390Aと51S-1。しばらくすると兵庫の神戸電子機械から
R-390A
を購入する事になっていた。対応して頂いたN氏によれば「一番良いのを選んだ」との事だった。
しかしCW/AM全盛時代の受信機は、SSB受信には不十分なところがあり、それなりの受信テクニックが必要だった。 すなわち、2極管検波回路へ注入するBFOレベルに見合ったIF出力レベルの管理が求められた。
この操作はRF/IFフルゲインで聴く昨今のSSB時代には大変煩わしいものだった。後から出現する専用SSBコンバータは驚く程大きく高価。そのため外付けSSB検波器を製作したり、IFユニットにSSB検波基板を組み込むなどの工夫で実用に供していた。
この時点で名機と言われる無線機の評価には、それなりの心構えが必要であることに気付く様になった。それは製造された時代の無線技術の正確な把握と噂に惑わされない客観的評価を持つことである。
さて、そのR-390Aの後継機と言われる51S-1は、SSB対応をはじめ作りを全く異にしていた。民生機器であるKWM-2Aや32S/75Sラインと同様な塗装色で、とても業務用とは思えなかったのだ。
赤本の解説は言葉巧みに読者を洗脳させその気にさせてしまう魔力を持っていた。噂を信じ込みドツボにはまり込んで行く読者は少なくなかった筈。
しばらくすると円高時代が始まり、米国のラジオ・ショップがCQ誌上に広告を出すまでになった。そして1993年10月、ついに待望久しい51S-1Bを$1095余りで個人輸入することになる。実は、このためにわざわざクレジットカードなるモノを作る程の気の入れ様だった。
以下は購入当時に記したドキュメントをほぼそのまま掲示したものである。やや私的・業界用語を含み難解な部分もあるが、当時を偲ぶ意味で殆ど修正を加えないようにした。
購入から17年経った2010年、米国の友人のサポートで欠品部品を入手しメンテナンスを再開している。 新たに写真を撮影し文中に散りばめてみたのでご覧いただきたい。写真は実家の木製ラックに納まった51S-1B(Serial No.65)。
51S-1Bを購入した1993年頃のメモより・・・。
【1993年10月22日(金)】
米Davilyn Corpに発注した51S-1、ヤマト運輸が訪問するも不在だった。
左はDavilyn Corpの1993年度版カタログ(画をクリックするとCollinsのページを見られる)。
CQ誌の広告
を見てカタログを請求したものだが、国内では考えられないような商品の数々、品揃えの豊富さに圧倒された。またインターネットは未成熟の時代で、こうしたカタログは米国文化を知る格好の材料だった。
その後Windows95の登場で本格的ネット時代になったが、暫くしてDavilyn Corpはこの業界から姿を消した。ネット上には未だリンクの痕が見られるがサイトは閉鎖されて久しい。 【1993年10月23日(土)】
ヤマト運輸に電話を入れ、13時頃の配達を依頼する。そしてついに配達。届いた。 紛れも無い、51S-1Bだ!。関税は直接配達員に渡す、\4Kだった。昨晩は、名古屋のヤマト運輸迄届いていることが分かっているため、子供の頃の「遠足の前夜」であった。
相当古い奴が来ると覚悟していたが51S-1Bタイプで、この型は初期の製品ではないハズ。内部のコンディションは悪くはなく綺麗な方である。しかし、オリジナル・パーツの欠品が以外と目に付く。マネージャーのM.Kobayashiさんが言われたのはこの辺だったのかと今理解している。
しかし前面パネルは相当綺麗だし、コリンズマークも有り電気部品はオリジナルのままのようだ。$1095では運賃・関税を含めても\13万台だし、日本では破格といって良いだろう。
PTOの直線性にはおそれい入った。100KHz毎のfズレは2〜3KHz位に納まれば良い(三才ブックスの赤本による、R-390Aはそれ以上)と思っていたのが、なんと500Hz以内に納まるではないか。
それから周波数安定度。20年以上も前の製品とは思えず、最新の製品と混在しても遜色ない。もう驚きと感激だ。
【気が付いた事】
*PTO周波数安定度・直線性予想以上に良好
*受信不良バンド有り(対象バンド未確認)
*バンド間受信感度差大
*Sメーター振れず・・・・感度調整VR接触不良修理
*メーター照明ランプ欠品・・・・ランプ装着
*メーターランプブラケットに錆び・・・・・CRC塗布
*IFフィルタートリマー(6個)に錆び・・・・・CRC塗布
*ランプソケット(ダイアル及びメーター)接触不良・・・・対策済
*ギヤトレイングリス重い
*メインノブ非オリジナル
*MEGACYCLE CHANGE KNOB非オリジナル
*ケース非オリジナル
*AUDIO出力端子ビスワッシャー一組欠品
*T-3(IFT)上部変形
*真空管シールドケース8個欠品
*スラグラックシールドカバー欠品
*RFコイルパックシールドカバー欠品
*電源コネクター中心ガイド破損 【1993年10月24日(日)】
町内ソフトボール大会(1回戦敗退) NGバンドがないか調査開始、以下の事が分かった。
ローカルOSC(V2B/6EA8)のアクティビティが落ちているバンドが有る。
@7〜8MHz・・・・・Y6/10MHz→10MHz:不安定fずれ
A9〜10MHz・・・・・Y8/12MHz→12MHz:レベル小
B15〜16MH・・・・・Y13/9MH→18MHz:発振せず
C17〜18MHz・・・・Y6/10MHz→20MHz:発振せず又は微少、fズレ
D28〜29MHz・・・・Y20/10.33MHz→31MHz:発振やや弱
E29〜30MHz・・・・Y12/16MHz→31MHz:発振やや弱
この内問題なのは@〜Cである。特にBは一度も受信動作していない。また@Cは同一水晶である。DEはハイフレのためか?。
試みにディップメーターにより水晶のアクティビティを確認した。ディップメーターの水晶端子から、51S-1の水晶切り替えロータリースイッチまで布線し発振の強度をっ確認。それによれば、上記B/Y13は全く発振せず、A/Y8は発振弱、@(C)/Y6は発振せずであった。全体に言えることは、水晶のアクティビティが原因と思われる発振レベルの変化が相当大きい。
対策として、特注は時間とコストの問題で取り敢えず控え、最近のディジタル用の物を物色してみる。切りの良い数字であるので(10,12,9/18)、巧くいけば全て入手可能だろう。但し発振回路は5極管の変形ピアーズでは無いので、周波数の精度が何処まで満足出来るかやや?だが。
この調査中接触不良と思われる発振停止があり調査すると、R137(47Ω)が焼損で半断を発見、取り敢えず直付けしてある。機械的衝撃で抵抗値が大きく変わり、発振の条件を満たさない時が有ったものと思われる。
昨日からV2を交換したりすると発振しなかったり、シールドケースをさすと発振停止していた現象は、回路のアクティビティの低下ではなく単純な抵抗断である事が判明した。 【1993年10月26日(火)】
前記3バンド分の水晶振動子(\200〜\250と安い!)を購入(タケイ無線及びカトー無線/10MHzのがタケイではHC-25Uが無かったため)、水晶ウエハーを外して交換する。その前にGDMによるアクティビティのチェックと、回路に接触させての動作確認を行なう。一番問題であった15MHzバンドが見事に受信できるではないか!。
心配していた周波数の精度は10KHzのfズレが有った7/17MHzは完璧にOK、15MHzバンドに1〜2KHz程度のずれが残っているがこれは校正の範囲である。また他のバンドは全て調整の範囲内にあり問題ない。
思いもよらぬ水晶交換となったが、15MHzに使ってあった物はGDMでも発振せず、完璧に「死に体」であった。しかし他の2個はGDMで発振していたがアクティブティに問題があった。
100KHzのメカニカルカウンタの桁代わりを95KHz以上に持っていった。今までは80KHz台だった。
前日のR137(47Ω)を挿入した。
*問題点
以前から、IFTをジャストチューニングするとモーターボーディングが発生する
→ゲインを絞る事で対策してある。
毎日遅いため今日は26日内に休むことにした。 【1993年10月27日(水)】
朝7時電源投入、JOCKにダイアルを合わせた、良好に受信できる。ところが。朝食をすませてくると、〜1MHzバンド迄がNG、局発が死んでいるようだ。他のポジションの6EA8と入れ替え様子を見たが問題なく動作している。
それにしても「いいおもちゃ」である。ケースに納まり他の無線機と同列に並ぶのはいつになるのだろうか?。
夜、フロントパネルを外しメカニカルダイアル部分を洗浄。変質もあるのかとにかくグリスが重い。これを拭い取り、CRCを塗布、ダイアルシャフト駆動部の芯合わせを行いメインノブが劇的に軽くなった。
これにてケースに納めることにした。 【1993年10月28日(木)】
朝棚にのせた。それでJOCKを聴きながらこの文章を打っている。ところが突然受信出来なくなってしまった。2日前にもあって、球を入れ替えて有ったのだが再発したようだ。今朝は仕事のため余り時間が無いので帰宅してから様子を見よう。
【1993年10月29日(金)】
昨夜は、ワールドカップアジア予選で日本はイラクと2−2で引き分け、本大会出場は果たせなかった。
昨日のJOCKの受信不良について。やはりローカルOSCが発振していない様子。電源を投入してから数分から十数分間は良いのだが、その後突然受信不能になる。一度電源を切ってから再投入すると、最初は良くてもすぐ受信不能になる。
以前やったように、近傍の6EA8と差し替えてSメーターの振れを見ると、40dB振るものから20dBも振らないものまで様々である。チューニングの問題かもしれないが、それにしてもこの数字は開きすぎだ。
今日の段階では、チューブ箱にあった6GH8がいちばんアクティビティが良いようなのでこれを差してある。特性の良く揃った球を購入する必要がある。
熊本のHAMSに、51S-1チューブセットとブリストルレンチを発注(担当松浦氏)。同時に補修パーツについて問い合せてみた。マニュアル(オリジナル最終版新品)は近日入荷予定、メインノブは\15Kで在庫有り、MEGACYCLE CHANGE KNOBは輸入で何時になるか分からない、シールドカバーも同様、一般的に51S-1は\200K以上だろう・・・・松浦氏弁。その他頼めば、コリンズ関係の色々な事を教えてくれる。
【1993年10月30日(土)】
本日休暇取得。 今朝もJOCKである。昨日6GH8に局発チューブを変えてから調子が良い。突然の受信不能(局発断)は無くなっている。昨日チューブセットとレンチを発注し到着が楽しみである。朝はそれと15.29MHzのVOAの英語プログラム「スペシャル・イングリッシュ」を聴くのが日課になってきた。
51S-1を受け取ってから早いもので1週間たった、色々な意味で忘れかけていた楽しみを提供してくれている。補修をすることで、それから実際に受信することで、さらに受信内容に、忘れかけていたことが幾つも有った。Thanks 51S-1B!。
事故発生!。RF系のメンテナンスをやろうと、棚の所定の位置からわずかに(と思う)前にずらした。前のゴム足は外れて、後のゴム足で後方が持ち上がっている。何かをしようとして書庫の引き出しを引いて出し切った瞬間、51S-1Bは顔面から墜落、メインノブはシャフト部とスカート部が割れてメチャクチャになった。幸い本体のシャフトやパネル等には変形は無いようだ。メインノブに救われたのかもしれない。昨日HAMSにメインノブの事を聴いたものだから、こいつヘソを曲げたのかも知れない。
情けない気持ちで一杯になる、なんでこんなんに・・・・くそっ!、自分が情けない、注意していた筈なのに。おまけにLuxの小型スピーカーまで落とし角をつぶしてしまう。 メインノブは、破片を集めアロンアルファで修復し、何とか使える状態にした。それにしても色々な事がある。 RF系のコイルのチューニングを実施、0/28/29MHzの各バンドはゲインがCALで見ると落ち込んでいたが、他バンドとの連続性を保てるようになった。スラグラックには触っていない。
【1993年10月31日(日)】
本日休暇取得。 昨日のメインノブの破損事故がまだ脳裏に焼き付いている、悔しい。元々オリジナルでなかった事もあって、気持ちはオリジナル製品の購入と既に決まっていた。
メカニカルカウンター周りのグリスを落としCRCを塗布した。これによりメインノブのタッチが大分軽くなった感じだ。
新潟の関本無線、兵庫のBM電気、東京のファインアンテナ(休み)に電話を入れコリンズの補修部品について問い合せてみた。手持ちは無いとのこと。BMの方はDavilyn Corpが広告を出さなくなったのは、返品が多いからという話をされていた。極上の物を最初から望む人は確かにそうだろう。しかし\10万ちょっとであることを考えるのと、多少手を入れることを前提とした当局の場合は、殆ど返品なんて考えられないし考えたことも無かった。
スペアチューブとブリストルレンチの届くのが楽しみだ。また明日、メインノブについてファインアンテナに問い合せHAMSより安い場合そちらに発注、高ければHAMSに発注する予定。\15Kがボーダーラインだ。
SIDE TONE入力に音声を放りこんでみた。良好に動作する。信号元のインピーダンスが低いと51S-1B内の音声回路がオーバーロードになり、出力音声レベルが低下するので注意が必要だ。
本日もJOCKは終日良好に受信出来ていた。しかし200KHz〜のバンドは本当にスプリアスが多い。専用のチューナーを考えても良いくらいだ。
【1993年11月1日(月)】
ブリストルレンチとスペアチューブセット届く。不在だったため郵便局まで取りに行く。スペアチューブは6BA6が1本不足でその代わり他の種類が1本多かった。先方のリストと照合すると合っているため、リストから勘違いしているようだ。球の程度は新品ということだが、全てが完璧とは言えないようだ。6EA8の1本は、例のローカルOSCで発振しないものがあったし6DC6は現状の物がゲインがあった。まぁ、予備にしておけば問題ない。
メインノブを回し切った時のダイアルずれは、ブリストルレンチでないと締められない。この締め付けネジはアンチバックラッシュギアにあるため、また前面パネルを外すハメになった。最終的に若干の微調整はPTOのCで行なった。
この作業の最中、勘違いしてスラグラック・ドライブギアの締め付けネジを緩めてしまい、スラグチューンがずれてしまう。29MHzバンドに上がり、バンドエッヂ迄のトラッキングを取り直した。また他のバンドでもバンド内の上下の感度差を調整し、受領時に比べ大分良好になったようだ。
HAMSにメインノブ(ウェイトノブ)を発注した。
【1993年11月2日(火)】
実は昨夜は大変だった、51S-1BにIC-750Aからのアンテナケーブルを接続した瞬間に漏電NFBがトリップ。IC-750Aの受信ANTリレードライブ回路がNGになり、25時頃まで修理をやった。詳細は別のDOCに書いてある。
おまけに三男の耳が痛みだしカミサンが労災病院に連れ込んだ。これも2日になってからだ。
51S-1B対応で毎日遅いため、朝が眠たい毎日である。
ノブが届いているかと思ったが未だ届かない。 【1993年11月3日(水)】
文化の日で休日。みんなで自転車の整備。15年ぶり位にJA5CIC/奥村氏と7MHzでQSO、受信機はもちろん51S-1B。/2で岡崎市在住のようだ。QRVされているのは知っていたが中々声を掛けるチャンスが無かった。
クリアーカムKB-111A用の薄手の木製ケースを製作した。目的はもちろんOB-VANのホットライン用である。
今日の51S-1BはJOCKの受信が中心で、文化の日と言うこともあって朝から特別番組が多かった。コメの問題の議論、コメにまつわる番組等・・・。
今朝思ったのであるが、Sメーターの表示がJOCKで毎日違うような気がする。今朝は60dBを切っていたが、夜は越えていた。
メインノブ早くこい、明日には届くと思うが。 【1993年11月4日(木)】
今朝のJOCKの受信レベルは70dBもある。ウェイトノブは今日届くだろうか?。もしそうなれば、あとは欠品のMEGACYCLE CHANGE KNOBとスラグラックのシールドカバーが欲しい。
ウェイトノブが届いたが不在のため、配達員さんは持ち帰ったようだ。 【1993年11月5日(金)】
今朝のJOCKは、電源投入直後なんと45dBまで落ち込んでいる。
7時55分小幡郵便局にウェイトノブを受け取りに行く。ずっしりと重く樹脂製とは全く感触が違い素晴らしい。しかし問題が・・・・・ダイアルシャフトが一番深いところまで入らない、どうしよう。取り敢えず、現状で取り付けてある。 【1993年11月7日(日)】
ウェイトノブが一番深いところまで入らない原因は、過去ノブのイモネジの締め付けによりシャフトが変形していたもので、本日ヤスリ(長男の物)をかけ解決を見た。
一段と風格が益した。ダイアルタッチも、以前の樹脂の物に比べ比較にならないくらいに良好になった。 【1993年11月8日(月)】
休日だが、HM-87(T-1)をシェーディング調査のためメーカーに送ってきた。帰りに9/18MHzの水晶を探しにカトー無線とタケイムセンを回った。15MHzバンドでの約1.5KHzのfズレが気になっているからである。カトーには無くタケイに向かう。途中ボントンに立ち寄ったが無いようだった。タケイでは前回9MHzのを買っており、全く同じだと同じ結果になるので、18MHz(2逓倍して使用するため)の物を求めた。\250であった。昔なら\1Kは下らないと思う、便利で安くなったもんだ。
昼食に多治見までラーメンを食べにカミサンと友人と往復。
さっそく、51S-1Bをケースより取出し、水晶を回路に当て動作を確認し周波数を見たが、これでは正確に計れない。9MHzの水晶(以前取り替えた物)を買ってきた物に交換。水晶ウェハーの取り外しはもう慣れたものである、鮮やかに交換できる。
これにより、15MHzバンドは見事に調整の範囲に納まった。思惑は見事に的中した。若干のアクティブティの劣化が見られたため、局発のプレートチューニングを取り直した。
これに合わせて、メカニカルカウンターの100KHz台の変わり目を98〜99KHzにもって行った。
益々コンディションが良くなっている51S-1Bである。 【1994年1月15日(土)】
過去にSメーターの変動について書いたが、原因が判明した。SゼロアジャストVRの接触不良で、オリジナル品を外し、日本製を取り付けた。 MEGACYCLE CHANGE KNOBをDAIWAアンテナチューナーCNW-419のBAND切替えノブと交換、多少「らしく」なった。
今年になってなぜか兄貴分のR-390Aに灯が入ることが多いのだが、その理由はIF帯域幅の選択の多さだと感じている。JOCKなど16KHzで聴いたら本当にハイファイである。51S-1Bはむしろ通信専用と言う感じが強い。 【1994年4月6日(水)】
本ドキュメントでは番外だが、R-390Aが通電中に突然受信不能になった。外観だけでは分からないため、中をのぞく。IFユニットの初段アンプ6BA6が余り熱くない。その球を揺すると、時々不安定であるが受信できる。他の6BA6と入れ替えているうちにヒーターがついていない事を発見。予備チューブを挿入して回復させた。10年以上も前にアメ横で買った、中古のフィリコかどこかの球である。 【1995年12月17日(日)】
久々のドキュメントである。子ども達の成長と共に、生活スペースが減少する名古屋丸山ハイツである。
既に51S-1とR-390Aは実家に持ち帰った。それにしても両者の受信音は最高だった。今使用しているIC-760PROのAM音など聞けたモノではない。AGCは叩かれっぱなしだし、故障かと思う。前記してある、IC-750Aも実家に持ち帰りHFのメイントランシーバーとなっている。名古屋をIC-760PROに替えたからであるが、何時だったか記憶が定かでない。LOGを見れば分かるとは思うが。
今日は休み、次男と三男と一緒にユカリでお好み焼きと焼きソバを食べた後、金城山を登り小幡緑地へ自転車でサイクリング。途中、水溜まりに取り残された魚や海老を水の有るところへ移動してやった子ども達に感激。
昨日は吹上にNECのパソコンフェアに行ってきた。職場の先輩古橋さんと会場で逢った、好きな人は好きなんだなぁとつくづく思った。中心はWindows95とインターネットであったが、NECの巻き返しを見る想いがした。また、その客層が数年前に比べ非常に広い事に驚いた。
しかし、今のパソコンから入る人達は大丈夫だろうかと、お客さんを見て感じた。買う事は出来ても、どう使うかの目的が本当に有るのだろうか、ファッションと同列で考えているような気がしてならない。また製造メーカーもそこを読んで、また期待している様な気がする。
そのほか、サードバーティやソフトハウスからの出展も数多くあり、結構楽しめた。地元のMELCOやIOデータ機器が頑張っていた。
【2010年6月19日(土)】
もうこのまま非オリジナル部分を残したまま一生を終えるのかと半ば諦めていた2010年5月。
米国のGordon/N6WK要請でHIROSEの角型コネクタ等の融通を行っているうちに自前の51S-1の話になった。
「メガサイクルチェンジノブが無いんだよねぇ」と伝えると、UKの御仁を紹介していただいた。
ところがその御仁どうも怪しく、その旨をGordonへ伝えると恐縮しUSAでノブを探し送ってくれた。大感謝だった。
7月3日未明ノブを持って帰省。床に就く時間も惜しみオリジナルへ変更・・・ラジオ少年の心意気だった。 【2010年7月14日(水)】
続いてスラグラックカバーも欠品と話を続けると、誕生日プレゼントだと言ってウィングエンブレムとダイアルアルミ化粧板と一緒に贈ってくれた。
【2010年7月17日(土)】
届いたノブやカバーそしてエンブレムは実家の51S-1Bに装着されていった。
その様子を伝える写真を数枚を送り、さらにRFコイルパックシールドカバーも欠品である旨を図々しくも伝えると快い返事。
購入から17年経ってこのような嬉しい展開を見るとは思いもよらなかった。Thank you Gordonである。
現状でも概観からは全く欠品は分からない。ケースを外した状態と収めた状態にソフトな明かりを調整して写真を撮るのも楽しい。
1993年当時はFaxしか連絡手段が無かった我慢の時代、今はインターネットの我慢が必要ない時代になりその変わり振りに驚いている。 【2010年7月20日(火)】
随分と歳月が流れた。書き出したこの51S-1メモファイルが行方不明だった。無理も無い国民機PC-9801時代のテキストファイルだから。実家のMOディスクにBuckUpしてあったのをようやく発見し、再び追記を始めた次第である。
【2010年8月8日(日)】
夏休みで7日深夜に帰省。Gordonから届いたボトムシールドカバーと調整ドライバを持ち帰る。締め付けビスはRFラジオラボの上銘氏から30本届く。
シールドカバーを取り付ける前にロータリースイッチの接点を無水アルコールで拭く。シールドカバー内側には銀メッキの銅メッシュがリベット留めされ、そこまでやるか!の印象だ。
ビスも数えると19個も必要でその多さに苦笑。また既に仮実装していたスラグラックカバーもビス4本で締め付けた。
これにより17年を経てようやくほぼ欠品の無い状態に復帰した。
シャシ裏を眺めると、半分近くがバンド切替え機構やその回路で占められているのが分かる。
半世紀も前に、電源も含みこの大きさと重さに収め切ってしまったCollinsの技術力の高さに驚嘆する。
なおこの作業にあわせて
AGC時定数の変更
を行った。
現在220KΩに並列に抱かせた0.47μFでリリース時間が設定されている。
この値だとSSB音声受信時にシャワシャワ感が残るため、更に2.2μFを並列に追加しリリース時間を延ばした。
写真の中央に並列接続された220KΩ(Red/Red/Yel)と0.47μF/25Vが見える。追加した2.2μFは手持ちの関係で250V耐圧。半田付けも絡げ配線はせずチョン付けだ。
抵抗とコンデンサの下側がAGCライン。上側はRF-GAIN(VR)のから利得調整-DCやカットオフ-DCが印加されるスタンバイライン。
AGCラインからアース間に2.2μFを接続する手もあるが、この場合はRF-GAINを回したときに-DCでバイアスされるのを嫌った。
大した違いじゃないが、時定数回路はRFから検波生成されたDCのみを印加したい。
私見だが、時定数回路は220KΩは1MΩ程度に上げCはそのままとし、アタック時間低減も考慮する方がベターかと思っているがどうだろう…0.47μF+2.2μF=2.67μFは余りにも大きいと思う。
独特の作りのバンドスイッチ。 4角絶縁棒が大型円状ガラスエポキシのスイッチウェハーを軸方向に遊びを持たせ貫通。
ウェハーにはバンドコイルをはじめコンデンサや水晶発振子が整然と搭載され芸術的でもある。
スラグラックのコイルはウェハー奥のシャシに固定されていて見難いが、ウェハー上のコイルはそれに比べると随分と小型だ。
MF帯の受信は明らかRF回路のQ不足を感じイメージや不要信号が多い。強電界下でも安定した受信を期待するには、
55G-1
(JK1VXEさんのWebサイト)の様なプリセレクタの併用が必要になる。したがって当初よりMF帯は余り意識していなかったのではと推測したくなる。
シャシに固定された接点部(青色部分)がウェハーを前後から緩やかに挟んで接触し回路を構成する。
電気的特性はもとよりコンパクトで保守性が抜群に良く、お見事である。
【番外編"Two Shot!"】
51S-1Bの復活作戦がほぼ終焉を迎えた2010年8月9日の深夜、棚に実装した様子をR-390A/URRとのツーショットで撮影。 明かりは天上の蛍光灯のみ。白紙で下からアオり上からの影を押さえてみた。
妙な湾曲歪みを嫌いレンズは最大望遠、カメラは廊下の窓まで下がり撮影。ラジオ深夜便が響くシャックの雰囲気が出ているだろうか…。 下は2007年5月20日、静岡単身赴任時代に上足洗のアパートで撮影したKWM-2Aとのツーショット。知らぬ間にCollinsファンになっている自分がいる。