JH2CLV's Topics & Memorandam
April 2010

Apr 30. 2010  GooleAnalytics1年・・・国際郵便為替の換金終了
GoogleAnalyticsを導入した昨年5月から1年間の当サイトへのセッション数。オンマウスはページビュー数。総数はセッションが172671、ページビューが607880。セッション数はTopPageカウンタの凡そ10倍に相当する。日頃のご愛顧に感謝している。
ところで28日の国際郵便為替換金、本日昼そのばん回戦を決行した。事前にゆうちょ銀行担当者へ「個人宛水道料金領収書のの入手は不可能」である旨を伝え昼休みに担当者を訪ねた。別室に通され、今回は特別である旨を告げられ換金対応をして頂ける事になった。すかさず現在エアメール中の為替がある旨を伝えると、それについても担当者を訪ねへ欲しいと伝えられ名刺交換した。ただ今回は為替裏面に記入する住所はHomeQTH(静岡)の住所を書く様に指示された。表面記載の住所と異なりますが良いのですね?と確認までして記入し署名・捺印。こんな事を言っては恐縮なのだが、自行は関わりたくないとする匂いを感じてしまったが失礼だろうか・・・。今日のレートは1$≒\94なのに、ここでは1$=92.93だった。大の大人が複数日の行ったり来たり、大都市でも同じ理解なんだろうか・・・とてもIT時代とは思えないがどうだろう。

Apr 28. 2010  どうにかならないものか国際換金ルール
3月5日、ゆうちょ銀行で国際郵便為替の換金で時門前払いの如き体験をした事を記した。実は本日、前回の反省のもと満を持して印鑑と公共料金領収書(市ガス)を添え換金に出向いた。ところが又もや門前払い。渋々帰路に就く事になった。領収書が条件に合わないと初めて知らされたのだ。マニュアルによれば、領収書は水道料金の領収書でなければならないらしい。しかし前回はガス料金の領収書で換金できた。持ち合わせていた複数枚の同領収書も提示し、為替に記された住所氏名は明らかに自分であることを訴えた。しかし規則ですと断られる。じゃ前回の換金はどう説明されるのかと押し問答。らちがあかないので上司を呼んで欲しいと伝えると、出て来られた方はこれまたマニュアルの塊のような御仁。裁量の余地がない。預金や保険も含め郵便局から見たらたいそうな客である筈なのに何とも歯がゆい。一体どうなっているのと言いたくなる。水道料金の領収書を持って出直し、同じ窓口を訪ねるなんてゾッとする。もう少し現場に裁量を与え柔軟な対応を期待したい。この間約45分、子供の使いの様で情けない。しかし家の水道料って共同払いだから個別の領収書などない。自家水道じゃどうするの…矛盾だらけで困惑する。

Apr 24. 2010  初体験・・・新郎新婦の親の一日
早いもので11月で結婚29年。当時のシーンが目に浮かぶ・・・。今日は名古屋で長男が結婚する。間際にならないと慌てない性格だから、1年前から分かっていても直近まで気が入らない。しかしとうとう当日だ。昨日はバスの段取りや車中での飲食類の準備、それに衣装類の確認、寸志の準備等で時間が過ぎた。今朝はHanaの散歩と動物病院へ宿泊依頼。平行してカミサンの着付が始まる。親父はシャツに腕が通らずネクタイの結びも怪しくヘルプ。次男は小金井から自力移動。昨日帰省する筈の三男は曜日間違いで自力となった。バスは9時15分発、親戚を拾い10時半東名静岡から高速に入る。清水は雨上がりだったが静岡駅付近で土砂降りに遭遇。往路はアルコール自粛宣言したが、酒好きには効果がなく期せずして酒宴に。名古屋は快晴だった。昔とは一風異なる演出で式や披露宴が進行。サプライズも多い。しかし、結婚を祝福する気持ちは昔も今も変わらない。長男の目に普段は見せる事の無い涙。それを見て母親も父親もそれに付き合う。14時のリハーサルから19時半の終焉まで緊張の連続。しかし何とか親の役目は果たせたかなぁと帰りのバスでカミサンと呟く。来た道を逆に辿り帰宅すると24時。オメデトウ!の一日だった。

Apr 22. 2010  忘れられないあの頃と先生
週末の所要準備で昨晩帰省。24時を過ぎても木曜なのでETC深夜割引は半額の\3750で、土日の\1000にはとても及ばず苦笑する。
4月10日、友人の市議M君のBlogで「教え子達の開く大瀧隆三彫刻小品展」の案内を発見。お祝いの一文を託した。・・・私は隣の4年2組、その手前が大瀧先生の1組でした。先生自作の歌集を手に「みんなの歌」が聞こえ、図画工作やサッカーに興じる大瀧学級は羨望の的でした。4年の時、ソフトボール部に入るまでの数ヶ月間、図工部でお世話になりました。私が描く定点観測のクロッキーを見て、アングルを変えたアップやミドルサイズの手法を指導して頂きました。この捉え方はずっと私の中にしみ込み、現在も仕事に生きています。辻小へ異動されてからはソフトボールでお世話になりました。辻小のエースでスラッガーだったF君のご両親(ユニオン無線)には今でもお世話になっています。大瀧先生と皆様方の益々のご発展をお祈り致します・・・。今日はカミサンに後押しされ会場の清水文化センターを訪ねた。44年ぶりに先生との再開が実現。展示された作品や資料の数々を拝見していると、先生のクラスの一員になりたかった当時の想いが蘇ってくる。しかしこの距離感も中々良い・・・先生ありがとう。

Apr 14. 2010  再びUSAからの依頼に応える
先月米国のGordon/N6WKがヒロセの角型コネクタ(P1316/S1316)を探しているとヘルプメールが届いた。マルツ電波を探したが見つからず、誤買までする始末で諦めの境地だった。ところがネット検索で某ディーラーで存在を確認。その旨伝えると6個欲しいと連絡があり、代理購入しEMS便で9日発送。現地では入手出来ず藁にもすがる気持ちだったようだ。送金はPayPalでどう?と聞いてきたが国際郵便為替で頼む!とやり取りしている最中の13日に現物が届いたらしい。続けざまに感謝のメールが複数届いた。その日は病院でカテーテル治療を受ける日だったらしく大騒ぎだったようだ。彼はKenwoodの旧型機械の愛好者で接続ケーブルに使うらしい。それに気を良くしたのか、彼はヒロセの型名で日本語サイトを探し、更にリーズナブルなディーラーを見つけてきた。何と半額!。その図々しさよりも高い物を買わせてしまった申し訳なさから、再び入手(10個)支援する事になった。確かに手を煩わすが、人のお役に立てれば本望だとばかり取次ぎが始まった。物持ちの良さとお人好しは永遠の性格のようだ。ところでこの日と翌15日は、富山八尾で所用があり一泊で往復した。富山方面へは初めてのドライブで北陸自動車道は貸切状態だった。

Apr 10-11. 2010  3週振りの帰省
先週は腰痛に苦しみ帰省を諦めた。今週は何とかしたいと思った。9日20時半福井を発ち24時半清水に帰省。腰は完治しておらず、長時間座っていると固まってしまい降車が辛い。困ったものだ。田舎はこの時期、タケノコの成長が早く竹藪通いが日課になる。しかし腰痛でタケノコ掘りなどままならず、タケノコを茹でる係に徹する。釜で火を焚き約2時間近く茹であく抜きをするのだ。この火の番をカミサンから仰せつかった。役立たずで申し訳ないことしきりだ。しかし火の番て簡単そうに思えるが、お湯が噴き出さないように火力を調整しながらの2時間はそれなりに技術が要る。直ぐ燃えてしまう竹などは焚き付けにするが、長時間の火力調整には程々に水分があるミカンの木等が良い。タケノコは掘ってから直ぐ茹でない根元まで柔らかな食感を得られない。スーパーで皮付きタケノコを見るが、良く買って行くなぁと苦笑する。調理しても堅くて食べられないのではと・・・。写真は釜と、オンマウスは茹で上がったタケノコ。作業は深夜に及んだ。しかしこの日は職場の懇親会があり途中から中座…後ろ髪を引かれる思いで静岡へ向かう。ヘロヘロ状態の帰路は清水駅のトイレで苦しんでいた。シャッターが降りるのをぎりぎりクリアしタクシーで帰宅。
10日朝食後Hanaと散歩に出る。Hanaの行きたがる方向に歩き、久し振りに杉山橋を渡り山切川の西側を歩いた。上隣の杉山地区だ。子供の頃はこの辺は良き遊び場だった。杉山報徳社・庚申堂・消防小屋・青年学校・火の見やぐら・・・皆懐かしい。消防小屋の橋で折り返し川の東側を下る。こちら側が我々の山切地区。現在の住所では標記しないが、地元では昔から古屋敷(コヤシキ)と呼んでいる。ちなみに実家付近は伊野川原(イノガワラ)と呼ぶ。4月も中盤に差し掛かると辺りに春の訪れを感じる。道端にはタンポポ、そして川沿いにネコヤナギ、家の柿木も柔らかそうな葉っぱを広げている。そしてふと川に目を下ろすとハヤの群れが軽快に泳いでいる。こうした自然の移り変わりを昔の風景の中に探すのは贅沢か。忘れ掛けた季節を毎年知らせてくれる草木はまるで時計のようだ。写真は杉山青年学校前から山切川を下流方向に見たスナップ。満開の桜に・・・数える程しか通らない定期バスが停留所を出たところか。この川は昔、水遊びで賑わったこともあった。オンマウスは実家の柿木のとろけるような新緑。この日は午前中カミサンと昨日茹でたタケノコのお裾分けに回ったりの所用を済ませ、昼食後12時半福井への帰路に就いた。

Apr 8. 2010  福井市「さくら通り」・・・桜満開
6日朝快晴。通勤途中にある幼稚園の桜を携帯カメラで撮影し出勤・・・空バックに桜が映え綺麗だった。今年は3月初旬に暖かい日が続き、下旬には開花するだろうと誰もが予想していた。ところが陽気は逆戻りし月末には雪まで降る始末。それで開花は4月2日にずれ込んだ。しかし決定的な気温上昇にはならず、その後の開花はノロノロ。おかげで例年になく長い桜を楽しんでいる。写真は市街を東西に走る「さくら通り」本日8日の桜で満開と思われる。オンマウスは6日昼休み、所用で中央郵便局を往復したときの県庁前のスナップ。この時は青空がなく時折日が差す程度のお天気だった。城址に咲く桜と石垣がマッチしてるが、何故か背後に県庁や県警のビルがそびえ雰囲気を壊していいる。しかし3年も経つと不釣り合いに見えた風景に違和感を覚えなくなるから不思議だ。世の中桜桜と浮かれているが、情報元が余りにも太平洋側に偏っているような気がする。田舎は情報の取捨選択をして賢いし動揺しない。全国的には未だツボミの地域が多くある筈なのに、全国メディアが興味を示すのは最初の桜で遅い桜には余り関心が無いようだ。「行く春や・・・」と桜を惜しむ日本人の心は、何処でも変わらないと思うのだが…如何だろうか。

Apr 4. 2010  思わぬ腰痛で最悪の週末
今週末は最悪だった。先週の木曜日朝、ラジオ体操第1の5番で前に屈んだら腰がゴリッ!。大した事ないと出勤したら午後から腰や背中が曲げられなくなりチンパンジーかゴリラの様相で後半休。翌金曜の回復を期待したが全くダメで状況は悪く休暇。週末は帰省して家の所用を行う予定だったが、腰は痛みつかまり立ちするのがやっとの状況。早6時過ぎ、カミサンへ週末は帰れない旨の苦渋の連絡。それが本日午後になりようやく2本足で立て、何となく歩けるようになった。本当に哀れなもので、セキをしても声を出しても痛み、昨日は最悪だった。カミサンとの電話連絡も十分な声が出せず可笑しな会話になっていたに違いない。健康のためのラジオ体操で腰を痛めるなんて、カッコワルイの一言だ。おかげでPCやHandmadeも手付かずの状態が続いた。食事も柔らかめのご飯にツナ缶やオニオンにマヨネーズとフリカケなど随分と怪しいモノで凌いだ。さて、昨日の郵便でOCXOとQSLカードが届いていた。写真はOCXOを取り出し実験中のGPS基板に乗せ様子を見ている様子。ようやく作業できるようになった午後だが、OCXOはいきなり1E-8をクリアし思わず「流石」と呟いてしまった。腰痛の中、XOのGPS/1ppsロックへの吉報だ。