20日から夏期休暇中。20日〜23日名古屋、23日〜24日清水、24日〜静岡と慌しい帰省活動を続けている。24日はカミサンと3男が静岡の借間を訪れ、持ち込んだフローリングにカーペットを敷く作業を手伝ってくれた。 また25日深夜は、数日来南方から北上してきた台風11号が、徐々に東に進路を変え、伊豆半島をかすめて通過し関東に上陸した。県下では局地的に24H雨量が300mmを超える地域があったり、強風による倒木があったり、吹き飛ばされた物に当たって亡くなった人もでた。TVが大量の時間を費やして特別枠でニュースを送出していたが、台風に関係の有る地域や無い地域の皆さんには、TVで流された東海や関東の様子がどのように写ったのだろうか。 26日の未明に静岡市内を通ったが、風で振り落とされた木の葉や枝が道端に散乱していたり、バス停の時刻表が倒れたりしている光景が目に入った。写真は26日12時頃に駿府公園北門辺りから県庁方面を撮影したものである。まばゆいばかりの光だけ見ていると昨日の騒ぎが分からないが、足元に目をやると歩道に落ちた木の葉や小枝が目に留まり、昨晩の様子を伺わせる。 |
移動局免許が今年12月20日、固定局免許が来年4月19日に切れる。免許切れ1ヶ月前までに再免許申請をしないと局免許が失効する。逃すと開局申請から行う必要がある。受付は1年前からだが、移動も固定もこの条件を満たしており一緒に再免許申請を提出した。清水市から静岡市清水区となった設置場所は、地区地番に変更が無いので自動読み替えされ変更申請は不要との事。またカミサンのは再来年4月だが、記入を済ませ時間を待つだけにした。 写真はJARLが販売する再免許申請書。Web上にある書式をダウンロードして使用する手もあるが、新様式に変わった事も手伝い、このJARL版を使った。大きく変わったのは電波形式の呼称や工事設計に書き込む時に表記(一括記載コードと言うのが出来た)がまるで違うので注意が必要である。また申請手数料が昨年末より\3050になっている。工事設計書は変更が無ければ「工事設計書の内容に変更が無かった」と記入して無線機の概要を省略できる(今までと同じ)。また用紙の方向がA4縦置きだったのが、全てA4横置きに変わっている。5年に一度の恒例行事と言え、忘れていて申請を失念すると後が大変なので十分に注意したい。 |
昨日から夏期休暇で名古屋に帰省した。群馬の知人から頼まれた文豪ディスクのコピーをミニ7RXで始めると突然電源が切れた。可笑しいと思い様子を見ると何やら匂う…あの電気の匂い!。又かと思いつつ分解し電源部を確認すると5V/9.3V/47Vが大きく低下しF651/5Aが断(穏やかに)。IC601/MA2430側が受け持つ系統である。早々にヒューズを交換したが変化なし。トランス1次側発振レベルの低下と判断、各部品の状態を当った。まずMA2430(発振パワー素子)を交換、変化なし。続いてMA2430ミュート用Q601/2SD773、同制御用Q602/2SC20002とフォトカプラPC602/PC717Cを取り外し確認するが正常。可笑しい1次側は問題ないぞ!…2次側DCラインの絶縁をテスタであたると47Vラインの220μF/100Vが数Ω。これじゃ完璧にオーバーロードだ。MA2430の発熱が殆ど無かったため、2次側は問題ないと決め付けたのが発見を遅らせた。代替部品はPC用SW電源から270μF/200Vを取り外し実装、全面復旧。写真はカバーを外した文豪ミニ7RX。オンマウスで分解した様子が伺える。中央茶色が電源基板。クリックするとNGだった220μF/100Vのケミコンが見える。ヒューズは5V/9.3Vのリターンにあり断の原因は不明。 |
愛媛県西条市の知人K氏から「軍用無線機概説」(JA1BA/石川俊彦氏著)が届いた。煮ても焼いても結構だと言うことなので、お言葉に甘え貴重な資料として保管することにした。 この本は著者の石川氏がアマチュア無線局JA1AB開局40周年を記念して200部を自費出版された中の一冊である。出版は1992年8月25日となっているから既に13年の歳月が経過する事になる。そういえば秋葉原ラジオデパートの電波堂書店で立ち読みしたような記憶があるが・・・違っていたらゴメンナサイ。 石川氏はあの三才ブックスの赤本こと「魅惑の軍用無線機」の巻末で、国内のJA7SSB/斉藤氏やJA2AGP/矢澤氏らと軍用無線機について熱く語られている。 石川氏は元々BCL/SWLやアマチュア無線がスタートで、その後職業として軍用無線機に関わられたとの事であるが、アマチュアの視点を貫いておられ我々には大変読みやすくなっている。また一部は「モービルハム」誌に連載された内容が割付けられているので、どこかで読んだような記憶が甦って来る。読み物としても資料としても貴重な一冊と言えよう。 |
朝、家の中にニィニィゼミが迷い込んでカーテンにとまった。子供の頃の昭和30〜40年代、田舎では温州みかんの根っ子付近に脱殻がいっぱいあって、成虫が桜の木に群れを成してとまっていた。それが農薬の使用と共に家の周りには姿を見せなくなっ。これは実家のある静岡市清水区山切地区での話である。あの何処にでもいて、ジージーとうるさく鳴き、動きが鈍く、簡単に手で捕まえられた、一番安っぽいニィニィゼミ・・・それが。 その後久しくニィニィゼミを見るチャンスが無かったが、昭和の末期に興津川の西里キャンプ場で見たのが最後となった。その時のニィニィゼミは安っぽさが消え非常に敏感なセミに変身していた。手で捕まえるのは、ツクツクボウシやヒグラシと同等の難易度になっていた。セミも大家族で生活していると天敵に対して鈍感になるが、少数になってくると非常に敏感な反応を示す。人間がやや自然の流れを操作してしまった事が彼らの人生を変えてしまっているのかと感じた。あの大きいクマゼミやアブラゼミは昔と変わらない場所で鳴いているが、ニィニィゼミは耐え切れず逃げ回っているのだろうか・・・物凄い歳月をかけて。写真は約20年振りに再会したニィニィゼミ。 | |
この写真を見てピンと来る方は余りいないだろう。これはMaxel製のBSアンテナに組み込まれているLNB(LowNoiseBlock)である。実は本日9時半頃実家からBSが写らなくなったと電話連絡が入った。実家には81になる両親が健在だが、楽しみといったらTVワッチ位しかないので何とかしようと自転車で1時間かけ駆けつけた。聞くと改装中のトイレ脇に設置してあったBSアンテナを業者が落としたらしい。打ち所が悪かったようでFコネレセプタクルがLNB筐体からもげ、IFケーブルごと脱落していた。さすがに業者はそのままには出来なかったようで、Fコネを押し込んでビニールテープで固定してあった。しかし電気的には断であるし、ビニールテープだけの固定で・・・一体何を考えていたのか?。壊された事もその処置の仕方もプロの仕事とは思えないが、それより一言も告げずに返ってしまう神経を疑いたい。 色々と苦言はあるが、とにかく応急処置を行った。Fコネレセプタクル芯線に1mmのスズメッキ線を巻き付けリードとし、LNBに差し込み基板まで配線。グランド側はグラグラするため、メッキ線をFコネに巻き付け最寄のビスへ引っ張り込んで固定し完了。無事BSが写った。写真中央下はもげたFコネレセプタクル、右はLNBで左はカバー。 |