27日より年末年始休みになったのだが残務整理と単身アパートでの整理などがあり帰省の途に就いたのは28日夜だった。例によってETCの深夜割引を使い24時15分頃帰省する。途中の休憩は時間調整で入った日本平PAのみだった。翌29日は午前中ミカンの整理と職場への荷造り発送。午後はカミサンの用事で中央市場を訪ねるが、向かいのカワシマ自動車を覗き四半世紀振りに旧友川島夫妻と懇談。30日は餅つきと家の大掃除に正月のお飾り準備等など。31日は家に祭る神様にお餅やお神酒を供え、いよいよ正月体制確立。実は実家では仏様以外に5つの神々を祭る事になっている。都会育ちの方には信じられないだろうが、複数の神を信仰することで広く家内安全と無病息災を願った先祖の知恵の歴史があるのだ。歳神・恵比寿・大黒天・火神・地神がそれで、年に一度の事だが正月準備は結構忙しい。お飾の他に榊の入替えやお神酒や鏡餅など供物のセットがあるが、それぞれで飾り方が異なるので去年の写真を見ながらやる。親父の言う事で大丈夫だろうと昨年の写真を見ると、これが結構違っているから可笑しい。意外といい加減なのだ。写真は歳神様の設営状況とこの地方独特のだるまの整列。オンマウスは地神様。 |
昨日は世の中御用納めだった。仕事もひと区切りで、昨夜は22時から打ち上げが行われ24時過ぎに帰宅。確かに寒かったが朝起きてみると写真の様に雪化粧。福井市街は確か今年3度目の積雪だ。アパートから下りて道路を歩くと5cm程度だろうか。雪は明け方に上がったが気温は上がらずしんしんと冷える一日だった。 先月から挑戦していた液晶ディスプレイLCD72VM-Rの修理がようやく完了。当初は高圧電源が不良ではとインバータを突いていたが、チェック用に購入した破格同型機の部品を使い確認すると新展開。犯人はいわゆるバックライトに使うCCFL(冷陰極蛍光管)だった。それが判かっても同型CCFLを入手するには情報不足。神頼みとネット検索するとある所にはあるものだ、専門業者がしっかりと多様なCCFLを扱っていた。昨日電話を入れサイズを打診すると適品が見つかり発注。早々に発送してくれた。本日昼到着し早速実装する。電源投入まで正直な所半信半疑だったがオンマウスの如く完全復旧。左が復旧品で右はチェック用に購入した品。紆余曲折があったが技術的好奇心をくすぐられ新たなノウハウも残った。今日はこの外にヘアドライヤー修理やデジカメ修理を行う等で電気屋&エコ三昧だった。 |
10月末友人のY氏と再会した時、我々の仲間で故人となられたS氏の話題になった。S氏は1975年頃清水市でソロの音楽活動をしていた。オーナーは当時コンサートのPAを支援する活動を行っていた。幸か不幸か当時の録音が整理されないまま実家で眠っていた。その中にS氏のソロ演奏があった。整理してCD化し御家族へ届けようと思い付いた。手始めに1975年12月7日清水市民会館別館(旧清商講堂)で行なわれたコンサートのカセットテープを聴く。暖房も無く隙間風が通る通称「別館」のあの頃が思い浮かぶ・・・と、ところが大変。デッキの不良で付いたと思われるシワ・ネジレが全編に・・・酷い所はテープが裏返り音が出ない。その一つ一つを引出しシワ・ネジレを延ばす作業が始った。帰省時に始めたが時間不足で福井へ持ち帰った。ところがこちらにはデッキが無い事を忘れていた。それで朝からハードオフを尋ねミニコンポを\2Kで買い求めた。デッキのみで良いのにSPまでセットの一品だ。カミサンの顔が浮んだがこれ位なら何時でも捨てられると言い訳を考えた。写真は懐しいTDK/D・C90からテープを引出した様子。爪先でネジレを戻し綿棒の軸でシワを延ばす。オンマウスは\2Kとは思えないケンウッドのミニコンポRXD-SG3MD。 |
この帰省は稼業支援。カミサンが収穫や出荷で頑張っている。親父は体力が落ちたが動かないと気が済まない性格で早朝から作業に加わる。姉夫婦も途中から加わり週末は結構作業が捗る。たまに帰省する自分はバツが悪いが家族で世間話しながら作業出来る事が心地よい。真青な空、冬至なのにポカポカ陽気。どうなっているのかと思う程の天気だった。19日夜中帰省、20・21日作業、21日夕食後福井へ発つ。福井IC24時を目論むが、木之本-敦賀間が事故で通行止。ここで判断を誤る。何時開通するか分からないから闇雲に待つのは意味がないと23時10分木之本ICからR8へ出た。手前の神田PAで50分待ち24時を迎える手があったはず。ところが帰宅時間を優先しこの選択となった。22-24時は3割引と思っていた事も手伝った。しかし土日はNGと後で発覚。結局割引成立は、R8で辿り着き乗った敦賀-福井間だけ。これで24時40分帰宅。50分待ち木之本までを半額割引にすると25時半、開通した24時半を待つと25時45分の帰宅だったはず。開通時間は読めないから50分待ちで24時に木之本ICを出る選択がベターだったか・・・と後の祭で現金な性格を露呈。写真は日没直前青空に映える青島温州、オンマウスは夕暮れの実家周辺。 |
帰宅すると郵便受けに「月刊59」。頁をめくると巻末にJA7SSB斉藤OMの訃報。食い入る様に読むと12月2日夜逝去とJA7IC柳沼OMからの案内。エェッ!と驚きJA7SSBでネット検索。間違いない。そこかしこにOMの訃報を伝える書込み。最近CQ誌で近況を拝見した時、随分とお歳を召されたなぁと感じていたが、その矢先の事であった。振り返ると私は密かに斉藤OMに師事していた様な気がする。8年程前のメールを紐解くと「OMは私にとって憧れの存在で、昨夜は興奮して床に就きました。OMがJA3のコールを2つお持ちで、その一つはお勤めだったトランス会社名と同じ綴りだった事、そこでアマチュア用AM変調トランスを設計された事、アンカバ時代に捕まり開局が遅れた事、学生時代に京都のR局でDX情報のDJをやっていた事などをすらすらと思い出す事が出来ます。楽しい初交信を有難うございました。」と記していた。そしてOM執筆の実用真空管ハンドブック、初歩のラジオへ寄稿の「私のハムライフ」、CQ誌30年誌への寄稿など、あの名調子が脳裏を駆け巡り止まらない。ご冥福をお祈りします。写真は初交信後に送られてきた在りし日のお姿。 |
朝は曇っていたがにわかに回復し夕暮れまで青空の一日となった。これ幸いと洗濯をするのは当然だが、本格的冬を前に屋上アンテナの整理を実施。1年前、SuperRadアンテナでBBSが盛り上がり一時はどうなるかと思った事があった。アクセス回数が毎日300〜400もあり驚いたものだったが、時が経つと忘れられてしまうから面白い。時々3.5MHz受信用として使っていたが、傾斜Dipoleでは取れない信号が浮き上がる事が往々にしてあった。ところが今秋、10MHzのZeppアンテナを張った事で切替器の口が無くなったため、思い切って撤去を決断。残ったマストにはATUを取り付け、ラジアル代わりのワイヤーを1本にまとめ約28mを屋上にコの字展開。主エレメントはグラスファイバーポールに緩やかに巻きつけた約13m。という事で変則的だが、長さとしてWindomアンテナを構成するようにした。これにより給電点が電流腹と電圧腹の間になり、ATUの負担が大幅に軽減される。シャックからテストするとHF全バンドで良好なチューニングが行なわれていた。屋上にはHF用変則Windom、10MHzZepp、V/UHFのGPの3本が残っている。写真はATU(SG-230)越しに見るグラスファイバーポール。TVアンテナは金沢民放受け用だが使われていない。 |
11日木曜は職場の忘年会、12日金曜は客人の歓迎会が続きややグロッキー状態の朝だ。アルコール効果で手先の動きもチト可笑しい。巷は不景気で多少の呑会が出来る事を素直に感謝。これをひと事と考えないようにと自問自戒。12月も中旬に差し掛かり、もう喪中挨拶も無いだろうと、思い切って年賀状印刷を実施。また訳あって2回路2接点の同軸リレーが必要となりその製作も敢行。銀行経由で福井中央郵便局へ赴きインクジェット式年賀葉書を数百枚購入。ついでにマルツ電波を回りアルミダイキャスト箱とNコネを買い求める。印刷は極めて順調。昨年まで文豪ミニ7を騙しながらやっていたのが嘘の様だ。ところが裏面印刷時、用紙設定が普通紙になっている事に気付き大慌て。半分位い過ぎていたから、それまではやや荒い顔写真が印刷されてしまった。まぁ年相応だぁと自分で納得する事に。しかしECXELとWARDのリンクはグッドだった。同軸リレーでは久し振りにハンドドリルやシャシパンチで金属加工。そこへNコネとリレーを組み込み完成。こんな物が休日の昼下がりの一時で作ってしまうのはやっぱりオタクか・・・。写真は印刷終了間際のプリンタ周辺の様子。オンマウスは自作2回路2接点同軸リレー及び内臓したリレー。 |
昨日降った雪で歩道はグチャグチャの状況だ。天気が良く融けるのが早い。久し振りに穏やかな朝を迎えたと思っていたら10時前にカミサンから電話「今米原駅11時3分に福井に着く」といきなり・・・。まずいと一瞬思いながらも嬉しい気持ちもあり、文句を言われないようにせっせと部屋の掃除を始めた。ゴミはゴミ部屋へ押し込め、とりあえず掃除機でホコリを吸い体裁を整えた。気付くと10時50分。遅れるとバツが悪いので駆け出すが前日の雪で歩道は歩き難く焦った。念のため、と言うより遅れても文句を言われない様に、11時頃電話を入れ状況を確認する。あと3分とかで未だ車中だった。何とか間に合ったが、駆けて来た事もあって息は絶え絶えだった。駅のホームを電車が通るとゴトンゴトンと天井が鳴るので到着の様子は分かったが、なにしろご婦人方はトイレが近いのでどんなタイミングで現れるか分からない。自分の視力も余り冴えないことも有り、改札口通過は見逃してしまい、気付くと上手からカミサンがフレームインしてきた。凡そ1年ぶりの来福だ。本当は福井に着いてから電話をしてやろうかとも思ったらしい・・・怖い!。その後9日まで滞在。写真はJR福井駅西口前の様子。オンマウスは病院で読み進む「電子立国日本を育てた男」。 |
会社のOBや同僚の集まりが三国町安島の料理旅館かささぎであり出かけてきた。この民宿は11年前の1月あのロシアタンカー・ナホトカ号た辿り着いた場所が目の前に位置する。5日夜に到着した時は既に日没で真暗で分からなかったが、写真(6日9時過ぎ撮影)の様に直ぐ目の前が海で年中潮騒が響くロケーションだ。11年前は原油の流出で大変な状況だった様だが現在は完全に元の状態に戻っているとの事だった。実はそれ以来のお付き合いだと幹事殿(JA9LSZ)や女将殿から初めて知らされた。この季節はやはり越前カニ(ズワイガニ)。夕食には最初から写真の如きカニが並び我々を圧倒してくれた。更にカニ焼きにカニ鍋・カニ雑炊と続き、最後までカニ三昧だった。そして女将殿の絶妙の解説が入り混じり夕食は大いに盛り上がり気が付くと23時。このままじゃ家を守るカミサンや親父達に申し訳なく、是非この味を届けたいと女将殿に宅配をお願いする事になった。9時過ぎに帰路に就いたが、玄関で最後まで見送ってくれた女将殿の姿が印象的だった。6日朝の安島は比較的暖かだったが福井市に近づくと雪がちらつき、市内ではついに積雪の状況になった。オンマウスは最初に並べられていたズワイガニ。 |
昨年の3月の事だったと思うが、友人のサイトで左の「電子立国日本を育てた男」が話題になっていた。この表紙に映る顔写真全てが分かる方は相当な通と想像する。
早々にAmazonでゲットしたが、けっこう緻密な取材がしてあって面白そうだった。ただ、文字が小さく本も厚い。まとまった時間が必要だと思い、実家の本棚で文字通り棚上げ状態になっていた。
その後「大気の海」など別の本に浮気していたが、一定の区切りがついたので前回の帰省時に持ち帰り読み始めた。丁度今朝は混雑した病院の待ち時間と重なり、冒頭の30ページ程度を読み進んだ。 八木アンテナの開発者八木秀次氏とその関係者のドキュメンタリーだった。副題に「八木秀次と独創者たち」とあるように、八木氏と八木氏に関わりのある学者や周辺人物との関係を描いている。湯川秀樹・朝永振一郎・江崎玲於奈・西澤潤一など早々たる学者先生との関係も、著者の松尾博志氏が、かなりプライベートな領域まで入り込んで書かれている。どのように取材されたのかと感心する場面もあり、相当な時間と努力があったものと想像する。1992年10月15日の初版。八木氏は理学から工学に及ぶ広い視野を持たれ、学会や業界にも大きな影響力があったようだ。また晩年も時代を読む目や舌は衰えなかったようだ。JARL会長時代に触れた部分があるかと期待を持っているが、どうもアマチュア無線は方角違いのようで残念である。文字数とページが多く何時飲み終えるか分からないが、新しい発見をしそうな予感がしている。 さて病院の所用とは、健康診断でややデータが悪かった項目があり尋ねたが、来週また検診して貰うことになった。病院へこの種の目的のために通うのは記憶に無いことだ。 |