JH2CLV's Topics & Memorandam
December 2020

Dec 30-31 正月支度と大掃除…東久佐奈岐神社の清掃
いわゆる年の瀬は何故か忙しい。自分のことより家のこと、家のことより地元のこと…そんな感じだから、無線三昧など夢のまた夢の感じがする、今のところHi。
写真は12月30日の大掃除の様子。神棚の横に並んでいる杉山ダルマを下ろしてきて、ダスキンモップで1年間の埃を落としている様子。家には神様として崇める複数の神(神社の神、火の神、地の神、大黒、恵比寿、歳神)が祀られている。年に一度それらの掃除を行い餅や酒を供え榊を飾る。その作業をこの30日に行っている。今日的ではないのかも知れないが、先祖からのしきたりを引き継いでいる。これ以外に家周りの清掃や車の洗浄、お世話になった方への挨拶など、大晦日までその忙しさが続く。 オンマウスは大晦日の8時から始まった、恒例の東久佐奈岐神社の清掃。1区と2区の組長さんが対応してくれた。前日吹いた強風で、杉の枯れ枝が落ち、カエデの枯葉も殆どが落ちた。かなりの量になるが、境内ではそれらを集めて点火。サツマイモがあれば良い焼き芋が出来そうな灰が残る程だ。
あと僅かで2020年も終わり新年を迎える。コロナウィルス感染対策が二転三転する状況に苦慮するが、均一じゃなく本当に困窮しているところを見極めて救う措置が必要だと思うが、どうだろう。それから人は、自分のこととして学者の意見に率直に耳を傾けるべき事態だと思うのだが…国が危ない。

Dec 28 リモートシャックでSmartLink(FLEX6500)の再設定…年明け出荷目揃会
FLEX6500のWAN側からの制御がイマイチだったが、取りあえずSmartLinkはつながったので、27日リモートシャックへ復帰させてみた。意気揚々で引き返してくると、友人からつながらなくなったとメールが届いていた。そんなぁと、自宅でガラホ携帯のテザリングでWAN側からつなごうとすると本当だった。幾度かトライしても状況は変わらない。それで本日、リモートシャック側からSmartLinkの再セットアップを試みた。写真はその時の様子。キーボードとハンディトラックボールをUSBでスティックPCへつないでいる。トラックボールは東京時代に秋葉で買った20年選手。マウスが使えない場所で重宝している。ディスプレイも外付けをつないでいる。何もないときはスティックPCはグッドだが、何かを設定する時はこのスタイルになってしまうので、収容箱に常備している。それでSmartLinkだが、自宅LANをWi-Fiで延長しているだけなのに、どこかに設定忘れた有るのだろうか。IPアドレスが変わってしまっても設定し直しているから問題は無いと思うのだけれど…。またまた課題が増えてしまった。
ところで今日は年明け出荷する青島とポンカンの目揃会が行われた。オンマウスはポンカンのサンプルを手に家庭撰果のポイントを説明するJA技術指導員。家庭撰果のレベルは、照明など環境が家毎に異なるため、統一するのは中々難しく永遠の課題に思える。

Dec 25 SmartLink(FLEX6500)ようやくつながるも…今年最後の農薬散布
友人からFLEX6500がQSYして来たのが今年の7月。早々に試験投入しLAN内のリモート動作を確認。Etherネットケーブル1本で繋がってしまうSDR機は素晴らしいの一言。バンドスコープやウォーターフォール等、これまでの無線機の常識が完全に塗り替られた。その後WAN側からの接続を試みていたのだが、どうも可笑しい。TeamViewer等のデスクトップリモートの様に行かない。今年もあと僅かになった先週、ようやく真面目に対策が始まる。ルーターのUPnP設定を疑う友人の声もあって、PR-400MI(NTT)の設定を見るがさっぱり。設定を確認したいのだが公開アドレスの内臓サーバーにそのメニューが無い。ネット検索すると、取説に無い内臓サーバーにつなぐヒントを発見。そこで案内するURLの指示に従い、ようやくUPnP設定を完了。何日も電話してやっとつながったNTTサポートには、そこまでの情報は無かった。ところが、これで解決するかと思いきや、やっぱりダメ。頭を抱えるが、SmartLinkのウィンドウに記されたNameとCallsignが友人のになっていて、その下段のUser情報と違う。自分のモノに書き換えると、何とガラホ携帯のテザリングで一発でつながった。ところが音声はOKだが、バンドスコープやウォーターフォールが写真の如く妙。またまた問題…色々と楽しませてくれる。 オンマウスは本日行った舞台スルガエレガントの農薬散布(落下防止・防腐剤)あと。収穫は大寒前の予定。後方に自宅タワーとアンテナ。

Dec 23 QTC!…TL-922バンドスイッチ要望調査
今年になりTL-922のバンドスイッチを要望する連絡が複数件あった。製造メーカーへ働きかけ、長年バンドスイッチ頒布活動をボランティアでされているJA1IIV窪寺氏と連絡を取ると、彼の所にも同様の打診があるとのことだった。TL-922のバンドスイッチは彼のところも既に底を尽き、当局の所有していた最後の一つも東京のOM経由でEu方面へ旅経った。バンドスイッチの不具合(主にチューン時の寄生発振による放電で接点溶解)により、特定のバンドが死んでいるTL-922は相当数に上ると思われる。所有者の皆さんは、新型の半導体アンプへ乗り換える前に、出来ることならスイッチ交換で救済したいとお考えの方が多い。そこで窪寺氏と相談して、どれくらいの数の方がこのバンドスイッチを希望しているのか調査することになった。関連情報は拙作BBSにも記載した。このページやBBSをご覧になられバンドスイッチを希望される方は、オーナー宛にメールで連絡(住所・氏名・電話番号・コール・個数・その他)をお願いします。数がまとまれば(10個以上)、実費で製作が可能と思われます。
Kenwoodが補修終了宣言してから、複数の製造メーカーとコンタクトを取り続け、20余年に渡り頒布活動を続ける窪寺氏には、ただただ敬意を表するのみである。写真はガラエポシャフトのKOJIMA製バンドスイッチ。他に佐賀電気製もあったが今は廃業している。

Dec 22 セトカの収穫・・・寿太郎貯蔵体制
12月16日に初氷が張り、その後今日まで18日を除く全てで氷が張っている。このままだと、実を付けているセトカが危ない。元々当地より暖かい四国とか瀬戸内方面で作られた柑橘なので、この寒さが続くと果皮細胞が死んでしまう可能性がある。昨年は一度も氷が張らなかったが、例年は氷点下5〜6℃程度まで冷え込むため、柑橘は殆どの場合年内に収穫を完了する。ただ、甘夏系は着色のタイミングもあるため、我が家は1月の大寒前に収穫いているが、条件の良い園地では木生りのまま春までおくこともある。寒気にやられると果実がガラス玉の様に氷で覆われ、その時間が長いと果皮細胞が死に、落下したりス上がり(水分が無くなる)が発生する。という事で寒さによる悪影響を避けるために、生きている内に収穫し貯蔵することにしている。
写真は収穫前のセトカ。今年は表年で相当数の摘果を行ったが未だ足らなかった感じがする。セトカは試験的に2本植えてあるが、収量は80kg程度だった。オンマウスは予措を済ませた寿太郎を貯蔵庫のモロブタに入れ収容した様子。昔はこの様は貯蔵方法が当地では一般的だったが、作業に相応の腕力を必要とするため、今では余り使われなくなった。

Dec 20 自宅でテストするFLEX6500・・・中華製ソーラーLED街灯設置
設備共用する友人からFLEX6500が届きリモートシャックでテストしていたが、インターネット経由での接続が思わしくない。クライアントPCから、インターネット経由でFLEX6500の確認は出来るが接続がダメ。意を決しリモートシャックからFLEX6500を持ち帰り様子を見ることにした。友人からの支援を仰ぎ、ルーターを中心としたネットワーク系の設定が可笑しいのではと話が進んでいる。ルーターはNTTのPR-400MI(三菱製)で、設置から既に15年以上経過している。ブラウザでサーバーを覗くと、UPnP設定メニューが何処を探してもない。ネット上を調べると、最近のVerと明らかにメニュー構成が違う。一体どうなっているのかとNTTのコールセンターへ電話を入れるが、10回近く掛けても全て話中。止む無くメールに託して返事を待っている状況だ。写真は散らかったサイド机に置いたFLEX6500。FLEXには何の罪もないのだろうが、近くに無いと設定や確認がやり難い。年末でまとまった時間も取れず苦慮していたが、あともう少しの感じだ。
オンマウスは、自治会の瓶缶回収用(ゴミ集積場)に20日朝設置したソーラーLED街灯。日没で薄暗く点灯し、人感でフル点灯する。日照が無くても1週間程度はリチウム電池が持つらしい。これは通常品の倍と取説にある。アルミダイキャスト製で中華製にしては良く出来ている。灯りが欲しいのは日の出の遅い冬季だが、夜間の防犯効果も期待している。

Dec 18 奇形の太田ポンカン・・・忘れられないキスカ
16日の初氷以降、毎朝氷が張っている。しもやけに悩んだ子供の頃の様だ。さて、後拾いを残していた伊野の太田ポンカンを昨日から切り出した。昨日と今日の午後に切り、明日19日には終わる予定だ。着色が遅い実の色を待っていたのだが、寒さにやられると元も子もなくなるので潮時と考えた。後拾いと言っても1トン近くは有りそうなのでそれなりの作業になる。写真は意外と多い太田ポンカンの奇形。奇形にも着色の早い遅いがあって面白い。普通温州ミカンに比べ、圧倒的に奇形が多いのは中晩柑特有の現象なのだろうか。
オンマウスは歯科医院の図書コーナーで目に入った本「キスカ撤退の指揮官」(将口泰浩著) 。キスカ島の名前は小学4年の1964年、親父と新清水周辺にあった映画館で「駆逐艦雪風」を見に行った時に、予告編「キスカ」として上映され覚えていた。親父がそれを見てキスカだ!と呟いたことも鮮明に覚えている。一瞬の出来事なのにずっと忘れない記憶力は何なんだろう。公開された映画は見ることは無かったが、翌年1965年に上映されたとネット上の資料にある。それで、歯科医院で冒頭を読みだすのだが、診察が始まりストップ。毎回同じことを繰り返していたが、書籍情報をメモしてAmazonでゲットした。勇気ある撤退の指揮官の言動は、現代の修羅場にも通じ大変興味深い。連日の農作業の合間に、活字に眼をやるのもたまには良いなぁと思っている。

Dec 16 初氷張る!・・・ミカンの貯蔵体制
16日の朝は寒かった。朝6時45分頃起床し玄関の温度計を見ると0.2℃だった。ひょっとしたらと毎年バロメータにしている車庫前のステンレスバスタブの水を見に行った。期待していたのだが、氷は張っていなかった。その後、昨日から始めたミカン畑の施肥(御礼肥)。伊野、田んぼ、舞台を回って屋敷の畑に戻ると、カミサンが初氷だね!と呟いた。嘘だろと言うと、畑の南東角の地べたにあった素焼きの器を指差した。急いで覗くと間違いない、初氷だ!。地面の草には霜が降りていたが、まさか凍っているとは。写真はその初氷の様子。結構厚く、器の水がすべて氷になっていた。
ところで収穫したミカンは貯蔵前の予措を行っている。写真は貯蔵器西室で木箱で積んだ青島。果皮から水分を飛ばし腐敗防止や果肉の水分消耗を防ぐ。もう暫くしたら扉を閉じて低温多湿で貯蔵を行う。手前は南室の太田ポンカン。収穫した時のコンテナのまま予措している。ポンカンは果実が固めで、変形しにくいのでこの形を取っている。ここは南向きで日中はスリガラス越しに陽が当たり高温になるため、ポンカンの熟成を促進させ、完全着色と糖度アップを狙う。今年は酸が少ないので、年明けには独特の味に仕上がると思っている。写真のフレーム外だが、左側にははるみのコンテナが積まれている。こちらは予措が終わったら木箱へ移して貯蔵体制となる。

Dec 11-13 寿太郎・はるみ初切り
一昨年から実を生らせている尾羽畑総の寿太郎。8日に防腐剤散布、11日午後初切りして、翌12日午前中に切り終えた。6本しかないのであっけないが、子供と同じで成長するのが早い。初日は一人で切り始めたが、途中からカミサンが加勢。2日目は小雨を気遣いカミサンと切り出したが、早々に止み午前中に切り上げた。今年は400kg程の収量があり、Mサイズの手ごろな玉が中心に実った。来年は倍の800kgが目標だが果たして・・・。寿太郎は青島の亜種で、貯蔵が利き3月頃に最高の味になる。これも寒波にやらなければギリギリまで生らせておきたいのだが、天気は気まぐれなので難しい。今でも普通に食べられるのが寿太郎の凄いところだ。昼食後田んぼへ移動し南側からはるみの初切り。ここも8日に防腐剤を散布。8月に帯状疱疹や寒気で体調が乱れ、適時の摘果や農薬散布が滞り、小玉中心で害虫の影響も受け反省しきりだ。翌13日は姉夫婦の加勢があり、午前中にほぼ完了。 写真は寿太郎の木。剪定のタイミングを逃し、主枝がはっきりしない枝振りで、実が成長すると枝が大きく垂れ下がっている。内生りの実にも陽が当たるので、全体に色付きが良好と苦しい言い訳。シーズンオフには枝を詰める予定だ。オンマウスは小振りのはるみを手にしてポーズのカミサン。実は大玉よりこれ位のサイズが味が濃く美味しい。OrangeVillageで頒布するワケアリもこのサイズが中心になると思うが、大玉より評判が良い。

Dec 9 太田ポンカン初切り
この時期になると伊野の太田ポンカンの収穫に気をもむ。急に冷え込むと雨焼けになったりするから、寒くなる前に切りたい。でも今年は例年以上に暖かいので、ギリギリ木生りのまま置いておきたい。昨年の記録を見ると12月10日が初切りになっていた。ところが隣の畑のN先輩は11月最終週に収穫を終えていた。またご自宅前の木はそれ以前に雨焼になり慌てて収穫したらしい。他の柑橘の収穫タイミングも有るので一概には言えないが、毎年12月1日頃に収穫されるのを拝見して、自前の畑の収穫日を探っていた。それが今年はどうも分からない。12月9日と10日の2日間で色付きの遅い実を残して1次収穫を終えた。次はもう少し時間を置いて色付きを見て一斉に収穫する予定。収穫後の貯蔵で温度を与えれば色が来るので、寒波で実が痛む前に全てを収穫する戦略だ。ただ、生成りでギリギリまで置くのと、早めに切って貯蔵で色を付けるのとどちらが確実なのかは、実のコンディションで違うので、その判断は中々難しい。
写真は太田ポンカン切りに励むカミサン。女性はこの種の仕事を頼むと、やたらと忙しそうに、またせっかちに動くので見ていて可笑しい。オンマウスはたわわに実った太田ポンカン。ちょっと生らせ過ぎの感もあって、枝が悲鳴を上げ折れたりするモノもある。今年は酸抜けが早く、この時期でも十分な味を出している。

Dec 8 OrangeVillage開村
今年も本日昼、OrangeVillage2020を開始しました。13時頃、ユーザーの皆さんへ、恐縮ながら早生ミカン(ワケアリ)の頒布案内をさせて頂きました。
写真は貯蔵庫北室の撰果台とその周辺。腐敗果の混入を避けるため、全体を転がしてみて一つづつ拾い上げている。これ結構面倒な作業だが、腐敗は味より気になるので止むを得ない。頒布案内とともに数百kg分の注文がメールで届き、ミカン切りの合間に箱詰めを行っている。ワケアリと言っても、JA出荷時に着色不良のボーダーラインぎりぎりで落とされた実は、時が経つと殆ど着色するので、どうしてワケアリか分からない。
オンマウスはレモン好きのユーザーのリクエストで、未だ完全着色前のグリーンレモンを早生ミカンに忍ばせた様子。

Dec 6 防災訓練は「情報伝達訓練」
12月6日は県内一斉の防災訓練の日。例年だと地区の河川敷にある公園で、炊き出しや防災グッズを使った訓練が行われるのだが、今年はコロナ完成防止のため行政より3密は御法度との指示。学区では「情報伝達訓練」を行うことになったが、当自治会は、たまたまデジタル簡易無線機を整備したこともあり、情報伝達や統制にこの無線を取り入れた。
写真は本部となった自治会館事務室。写っているのは自主防災会長・自主防災部長・消防班長。4つの区毎に、組長が収集した情報を所定の場所へ持ち寄り、区長が集計して本部へ無線連絡する。本部はそれを集計して総本部へFAXする。本部が的確にMCすれば、統制が取れスムーズな情報伝達が可能であることが、参加者は理解できたと思う。携帯やスマホがダメな時には相応の威力を発揮するだろう。ちなみに情報伝達のみでは寂しいので、消防により消火器使用のデモも行われた。 オンマウスは多々良谷橋に集合した2区の組長さんたち。区長さんが情報収集し無線で本部へ連絡をする様子。マスクをしてソーシャルディスタンスを取っているが、顔が判断出来ないのがチト困ったもの。消防団員が手にはデジタル簡易無線機のIC-DPR7。本部固定局はIC-DPR100。開始宣言や会長挨拶も無線で行い一風変わった訓練となった。関係の皆様ご苦労様でした。

Dec 2 早生ミカン最終出荷…青島ミカン初切り
先月末より、早生ミカンの収穫と撰果、そして出荷に明け暮れていたが、今日12月2日をもってJA向け出荷は最後とした。実は未だ収穫していない木が2・3本あったりするのだが、後に続く青島ミカンの収穫が手付かずだったため、早生ミカンに見切りを付けた。近所の先輩から早生ミカンの畑をお預かりしたこともあって、その作業量が読めず長引いてしまった。青島は貯蔵が主で7部着色で収穫できるのだが、完全着色の早生の色付きを待っていると青島が送れる。限られたパワーを有効に活用するために来年はチト考える必要がありそうだ。青島の次は太田ポンカンとはるみが待っている。平行して早生の後拾いや個別販売作業もある。一年で一番忙しい月になった。
写真は出荷した最後の早生。写真で見る限りでは結構いい感じだと思う。実は翌3日も出荷予定だったが、2日に選果場を2往復して出し切った。オンマウスは青島の老木を相手に収穫を始めたカミサン。脚立で作業している内は良いが、高いところは手が届かず木に登ることになる。知らない人にはサーカスに見えるかも知れない。でも作業能率は悪いし安全を考えると如何なものかとも思う。何処かでも書いたが、今時木に登ってミカン切りする風景は殆ど見られなくなった。ちょっとした風物詩かも知れないが・・・。 それにしても1年は早い。こんな調子だと人生もそうなるのだろうかと焦ってくる。

Nov 28 恩師の個展…
このところの日の過ぎる速さには驚く。ミカン切りとその選果に出荷に明け暮れていると時間の経つのも忘れる。そして今日11月は28日は親父の七回忌。もう7年目に入ったのかぁと、これまでの出来事を振り返ったりする。知らぬ間に時間ばかり過ぎるといけないので、日記を付けながら代表的な話題をこのコーナーで紹介しているが、最近は後追いが多くやや苦戦気味でもある。
写真は本日28日午後、庵原小学4年の時の恩師の個展を尋ねたときのスナップ。先生を囲んで、左から友人のA君とTさん、そして本日初対面のKさん。恩師は担任ではなかったがクラブ活動(図工部)でお世話になり、独創的な指導が羨望の的で憧れの先生だった大瀧先生。先生のクラスだったメンバーと、転出先の辻小学校の担当クラスのメンバーが協力し合い、先生の米寿を祝うこの個展が企画された。25日から30日の予定だったが、気付くと28日で慌てて赴いた…遅れ馳せながら。背景は会場となった庵原交流館・郷土資料館昭和54年。昭和54年、青年団時代に自分たちの手で建てた旧連合青年団事務所だ。今は郷土資料館と看板があるが、会議や打ち合わせで使うことが多いらしい。恩師の個展が、自分たちの手で建てられた建物で開かれるのは、ちょっと感慨深い。オンマウスは先生の作品をあしらった案内カード。