JH2CLV's Topics & Memorandam
July 2015

Jul 28-31 連日のポンカン畑冠水作業…DVDプレゼント案内
今週は連日35℃前後の気温が続き大地の乾きが異常に進んでいる。3年生太田ポンカンを今春移植した伊野の畑では土が乾き、ポンカンなど晩柑で且つ若木は辛い状況だ。葉の一部が黄緑色化しているもモノも散見される。それで陽の昇る5時過ぎ、または陽が沈んだ18時過ぎに水500リットル程を車で運び、DC式のポンプで水を掛ける。発動機のポンプだと騒音になり昨今では近所迷惑となるため、音の出ない電動のポンプを使用している。出勤前または退勤後の日課になってしまった。
ところでJA1AEA/鈴木OMより送られてきたDVD、OMの計らいで数枚を読者へプレゼント出来ることになった。ただ抽選するだけでは面白くないので、著書の中に隠された文字抜けを探して貰うゲームを行うことにした。詳細はBBSでご案内しているので参考にされたい。なおどうして文字抜けになったのかはよく分からない。まさかOMが最初から仕込んでおいたとか…。たまたま「タ」の文字が抜けているため、「タヌキワッチ懸賞」と名付けた。
写真は29日(火)18時45分頃、仕事から帰ってから伊野の太田ポンカン3年生に水やりをする風景。こんな感じで1本に1分間水を流す。

Jul 25-26 ミカン畑の農薬散布など…とにかく暑い
今週末は遅れていた田んぼミカン畑の農薬散布を行なう。25日(土)、7時過ぎから水600リットルで薬調(ダイセン・モスビラン)、そして散布開始。ところが9時過ぎ、仕事でヘルプが入り佐久間を往復するハメに。カミサンは無言で送り出してくれたが、内心は穏やかではなさそう…せっかく始めたのに。それでも残りを掛け切り600リットルを空にしてくれた。戻りは19時半で全く頭が上がらない。翌26日(日)はリベンジ戦。前日より早い7時には散布が始まり、再び600リットルを空にすると10時。気温は既に30数℃。パンツ1丁にカッパ姿でも暑くてやってられない。カッパの内側を汗が流れ長靴の中が水溜りになっている。熱中症になっても可笑しくはない。農薬の終わりで作業を一旦中止。陽が山の陰に隠れる16時頃、再び水250リットルで薬調し残りの散布を行う。日陰とは言え、気温は30℃を超えていて、カッパの中は相変わらずの汗と灼熱地獄。でも太陽の直射を受けるよりは負担が緩和されている。しかし61歳にはこの暑さは堪える。
写真はJA1AEAより届いたDVD。タイトル写真の撮影風景が動画で記録してある限定盤だ。オンマウスは25日(土)に尋ねた佐久間-水窪間の山中。ここに辿り着く前の水窪からの山間には、民家が点在していて驚く。街道沿いから外れて生活して来た歴史や背景に興味が及ぶ。この地域はこの日35℃超を記録した。

Jul 22 JA1AEAの「自傳的アマチュア無線史」届く…最近購入の単行本他
写真の中央は本日届いた「JA1AEAの"自傳的アマチュア無線史"」(鈴木肇氏著)。周辺にこの1ヶ月前後で購入した図書類を並べてみた。左に「はやぶさ2の大挑戦」(山根一眞氏著)、その上に「現代新・真空管技術辞典」(海老沢徹氏著)、真上に「電気通信物語(城水元次郎氏著)、右は番外だが映画「シェーン」のDVD。
「JA1AEAの"自傳的アマチュア無線史"」はCQ誌で連載したものがベースになっているが、加筆と写真の追加が行われている。CQ出版社は単行本化には興味が無かった模様で、ビープレス出版からの自費出版となったとのこと。そして販売も通常の書店網ではなく、Amazonのネット販売となった。ビープレス出版は、アマチュア無線関係の図書を扱うのは不慣れで、いわゆるハム用語が通じなくて、編集子に手取り足取の指導をされた裏話があるそうだ。
自傳となっているが、物作りを中心としたアマチュア無線に憧れていた我々の世代には、読み物としても資料としても十分楽しめる内容である。CQ誌連載を読めなかった人も、60〜70年代にラジオ少年だった人も、先輩方のDXingを指をくわえて見ていた人も、著者の視野の広さと深さ、そして物作りの拘りを再発見するに違いない。
ところで周辺の図書も読み応えがあって楽しい。DVDは数十年振りに見た、あの感動の「シェーン」。それが¥290とは…。

Jul 18-20 何でも有りの3連休…ipadこれじゃMicroSoftはAppleに負ける
昨晩17日(金)は職場の送別会があり深夜まで盛り上がった。当然車では帰られないので、会社のソファで休み夜明けを待って帰路に就く。一昨日サムウエイ社より夏祭りの案内があったが、急な話で掛け持ちできず、そちらは断念(残念)。
さて18日(土)は朝から忙しい。伸びた髪を友人のヘアサロンで散髪して貰うが、相変わらずのトーキングマシンで、今回もまた喋り捲りの彼に唖然。その後富士市大渕で所用がありR1で往復するが、下界は晴れなのにこちらは曇りか霧。天候不順の中、こま切れのキコリ作業となっていたが、予定の内容が完了してひと安心。隣人K氏が行うヒノキ伐採を見学させて頂いたが、木を中吊りにし、倒す方向をコントロールする手法や専用の道具に「なるほどプロ!」。午後帰宅すると今度はお盆の片付けの終盤。祭壇を飾った盆グッズをたたみ、所定の位置(天袋)へ収納。次のご出馬は来年の盆、いや親父の1周忌か…。家を守るって平凡道を非凡に行く感強だ。
写真は業務用に支給されたipad、そして自前のWindowsPC。ipadを使ってみるとWLなのにそのレスポンスの良さに驚く。これじゃぁWindowsがいくら頑張っても太刀打ちできないと直感。特にMobile系から始まった若者にはWinodwsの世界は満足できないに違いない。
19日(日)朝、伊野ポンカン畑の藪枯らし(ヤブガラシ)が気になり見に行く。草刈り機を持参したが、早々に草むしりが始まる。わずか2週間ほどの間に1/3程のポンカンに巻き付いている。これを引きずり出し根っこを引き抜く。山間でも8時前には陽が昇りやたらと暑い。9時過ぎまで作業をして帰宅。そして次は静岡護国神社で行われる祭事に参列するため9時半に家を出る。10時半より大東亜戦争で亡くなられた皆さんへ鎮魂の祭事が行われた。そう、我が家は殉国者の家で、叔父が昭和19年8月にバシー海峡で戦死している。その直後連添いを病気で喪い、女ばかり(祖母・母・叔母)になった祖母の心境はいかばかりだっただろうか。そこへ父が婿入りしたことで家系が繋がって行くのであるが、戦争により翻弄された家族や人々が当地には実に多い。2度とそんな事はあってはならないと先祖を思いながら手を合わす。万人が自由に物を言え表現できる時代が続く事を願う。この暑さ、青々とした神社の杜、響き渡るシャンシャンゼミの音…何故かこの祭事にマッチする。
この3連休は連日仕事のアラームが届き、自宅に居ながらipadとにらめっこして業務指示を発する。使命とは言え、このヒモツキの生活が何時まで続くのだろうかと苦笑していた。
20日(月)午前、通称バリカンを出して発動機のロープを引く。何十回もトライしたがダメで、エアフィルタを外してチョークの様子を確認しながら引くと何とかトボトボと始動。田んぼミカン園のマキの木の剪定が始まった。剪定ばさみではらちが明かないと思っていたが、始動には時間がかかるし、手を伸ばす高さまで持ち上げるにはそれなりに重労働だ。それでも午前中に大道側の50m程を刈る。しかし気温は既に30数℃、昼食後の再開は断念。結局日が落ちた16時過ぎに再開。今度は軽トラ上から高さを合わせながら刈って行く。カミサンがアウンの呼吸で軽トラを移動させて…。
ところで2月に購入のRAID方式のNAS、2・3日前からDisk1で通信エラーが発生していた。可笑しいと思いながらもRAIDが効き実害はなかったが気持ちが悪い。それで過去FreeNASで使っていたHDDを取り出し、大そうな時間を要しローカルでバックアップ。そして、当該NASを購入先のアプライド静岡店へ持ち込んだ。当然保証期間中であったが、問題は購入時のレシート。山盛りのレシート群を捜索する騒ぎになったが、無事発見でき修理依頼となった。その場でHDDを入替えるのかと思っていたら、全てメーカー対応らしい。この間、データはローカルHDDで取り扱う予定だが、ネットワーク上にないと制約が多く不便極まりないと後で分かった…。

Jul 14 お盆本番…孫たちが帰省…Nゲージ再び
13日(月)深夜長男一家が帰省。25時を回っていて、到着を見届けてそれぞれ床に就いた。新盆の訪問客は12日(日)で終わりかと思っていたら何の何の、13〜15日も数は少ないとは言えそれなりの数。おかげで用意したお返しが底を尽き、急きょ追加発注するハプニング。
14日(火)は休暇を貰い、接客対応に奔走したが、カミサン曰く「私は毎日だけど」・・・そう言われると全く頭が上がらない。孫たちはマイペースで遊んでいたが、午後になりお客さんが減った頃、大芽が再び「Nゲージ」と口にした。なるべく避けて通ろうとしたがやっぱり無理だった。早々にTVの間の隅にNゲージのレールを展開し、ブルートレインを走らせる。これで暫らくは満足していたが、ふと「DD-51」と口にした。やっぱりそう来たかぁ!。ブルートレインは基本セットに収まっているが、DD-51とその貨車は別の入れ物。それを、いかにも大切そうに取り出して来ると、大芽がスケールを使ってレールに流し込んだ。4歳なのに手慣れたものだ。結局いつものフルセット近くまで発展、TVの間はNゲージの音が響いた。そして遠方には祭壇があって何とも奇妙な光景だった。
写真はその様子。オンマウスはTVに見入る孫の大芽といづみ。長男一家は21時過ぎ帰路に就いた。新盆も終盤だ。

Jul 11-12 31℃超の当地・・・7月盆
当地区のお盆は7月だ。昨年暮れに親父が亡くなり我が家では新盆になる。 写真は法事や新盆の時にだけ設置する祭壇。例年の盆は仏壇の前へ簡易にセットするのだが、新盆になるとこのように力が入る。供え物や飾り物は乾き物ばかりではなく、野菜や果物の生物があったりするから、気温が上がるこの時季は大変だ。これは先週の5日(日)の写真だが、既に早々4日(土)頃から訪ねてこられるお客さんもあった。したがって時として2週間近く供え飾る場合がある。
そこでさすがカミサン、今回は傷みそうな果樹は樹脂製の「もどき物」を用意して難を逃れている。これが、この後8月の新盆を控える姉の家へ回るらしいから、女衆はなかなかやる。
オンマウスは31℃を超えた7月11日昼頃の温度計。先週まではぐずついた天気だったが、梅雨の中休みなのか一気に夏らしい天気になった。お盆の本番は週明けの13〜15日だが、12日(日)に訪れる方が多かった。隣組の皆さん(17戸)が連なって来られると大変。お茶を出したりお返しを用意したり大騒ぎになるため、姉たちの支援を仰いでしのぐ。 11日深夜に次男・三男も帰省し家族が揃いだす。こうした風景は夏の風物詩と言えそうだ。故人や先祖、そして遠い親戚まで意識できる貴重な時間と言えるだろう。

Jul 4-5 今週も雨の週末・・・ネットワークカメラテスト
3日の晩は、前の会社の後輩E君が退職のため送る会を開催。駅南の賤機はん兵衛を9年振りに尋ねた。18時半開始も気付くと22時過ぎで慌てて閉会の辞。酔っていて前後関係も怪しい。会社の送別会に参加できずサプライズで駆けつけてくれたH女史のCUEが無ければ閉店まで居たかも。皆さんお疲れ様!。その後、会社まで歩きソファで4日朝を迎える。帰宅し朝食を済ませ、雨降り前に畑の草刈り。草刈り機を下げカミサンと2人で2時間程掛かっただろうか。先日刈ったばかりなのに、草って遠慮もなく全く自由奔放だ。さて、5月注文のCOREGAのネットカメラCG-NCBU031Aが先週届いた。5日ようやく開梱しLANケーブルをつなぐ。DHCPでアドレスが振られると、LAN上のPCからカメラを覗ける。将来富士山カメラとして大峰山頂に置く予定だ。同軸ケーブルなど無く、データ転送で映像が届いてしまう技術には驚くばかりだ。POEも可能でLANケーブル1本で動作環境ができてしまう模様。しかしその技術とは裏腹に、説明書はスペック中心の能書きのみ。POE電圧を知りたいのに何も書いてない。POE規格を調べろってことなのか。電力表記は有っても何V供給可能か分らない。変わった世の中になってしまった…とブツブツ。写真は送る会のスナップ。オンマウスはテストで仮留めのネットワークカメラ。

Jul 1 「うるう秒」を楽しむ
マスコミで話題になっている「うるう秒」の確認が出来ないか考えていた。そう言えば5年前に作ったGPSロックの標準機があることに気付いた。しかしUTCで6月30日の終わりはJSTでは7月1日の9時前。そんな時間には家に居る筈もない。それで標準機を抱え、部品箱からGPSアンテナを取り出し会社に持ち込んだ。GPS受信が心配だったが案の定で室内では衛星捕捉が出来ない。雨の窓外にアンテナを出し、窓枠の金属にアンテナのマグネットで吸着させ固定。暫く見守ると衛星捕捉状態になりカレンダーや周波数が表示された。南面2Fの窓外では余りにも受信環境が悪く周波数精度は上がってこない。しかしUTC時刻はしっかりと刻まれ期待が持てそうだ。セットが完了すると後10分程。デジカメを動画モードにして収録再生を試し問題無いことを確認して「うるう秒」を迎えた。写真はUTCで6月30日23時59分60秒の「うるう秒」示した瞬間。オンマウスは持ち込んだ標準機。前後3秒間の動画は別サイトで紹介している。 ところで、家庭用電波時計は正確に秒パルス送出は可能だろうが、リアルタイムに「うるう秒」を表示することが出来たのだろうか。ちなみにNTT時報はポッ・ポッ・ポッ・ピーをポッ・ポッ・ポッ・ピー・ピーと処理していた。僅か1秒のことだが「うるう秒」は我々を一喜一憂の世界に誘ってくれた。

Jun 28 諸々の週末
めったに正面からの写真を撮らせてくれないHanaが、最近じっとレンズ方向を見るようになった。以前はカメラを見ると直ぐソッポを向いたのだが。年で目が悪くなったのか。実年齢で14歳だから、人間でいうと80歳位になるらしい。
オンマウスはご依頼のあったスルガエレガント。前日収穫してきたものを晩になってから箱詰め。無農薬を謳い文句にしているが、表面の汚れを見ると、程々の農薬をかけたくなるが…難しい判断だ。スルガエレガントは5月がベストと思われるが、この時期になっても味は良好で食べ易い。
この日は親戚で年忌があり午前中から赴いた。お寺本堂でのお経や焼香のあと墓地で線香を上げ昼食会場に場所を移した。
和尚殿が掛川の青年団上がりと分ると青年団談義に華が咲き大いに盛り上がった。またサイクリングの愛好家だったことも判明。おかげで慎むべきアルコール量が進み絶好調に。
飲まない姉の運転で帰宅するとそのままソファで睡眠モード。これを見たカミサンが黙っている筈がない。色々言っていた様だが半分死んだ振りをして難を逃れる。しかし、遅れていた前述の箱詰めだけはやっておかないといけないと、陽が沈んでから作業が始まった。