Nov 27. 2005 久々に上る大井川・・・千頭〜長島ダム〜接阻峡温泉〜井川

「長島ダムに行ってみたい!」とオフクロの一言がきっかけで尋ねてみた。7時半過ぎに実家を出てR1バイパスを一路西に向かう。R362で千頭に出る手もあったが大井川の西側R373を選んだ。途中川根本町でR362に入り大井川鉄道の終点千頭を目指す。いつもはSLが迎えてくれるのだが今日は未だ早いのか見当たらない。この辺りは昔仕事で滞在したことがあり懐かしい。町村合併があって中川根と本川根が川根本町と町名を変えていた。千頭には9時半頃到着。ここから県道77を寸又峡方面に数Km上り途中から右に入り県道386で井川方面に進路を変える。トンネルを2つ程抜けると左手に長島ダムが見える。ダムの向こうに井川線が目に入る。ここは99/1000と全国一急勾配でアプト式が活躍している。電車は自力では力不足とみえて2従連の機関車が後押しする。紅葉した山間にへばり付いて走る風景は対岸から見ると絶品である。ここまで自宅から2時間。そのまま引き返すつもりでいたがオフクロの「井川?」の一言で向きを変え、接岨峡温泉を経由し林道を井川まで上った。奥深いところまで民家が点在する風景を見ると、この人たちのご先祖は一体何処からやって来たのだろうかと言う疑問に達する。井川からは県道60/189/27を経由して帰路に就く。道のり約200Kmの紅葉ドライブだった。

Nov 20. 2005 実家に帰省し柿の収穫・・・IC-PW1受領

実家でたわわに実った柿を収穫した。今年は例年にない生り年だった。子供の頃この柿を兄弟で争うように採った。柿は手の届く範囲ならミカン切りハサミで、また脚立や梯子をかけたり木に登ったりしても切る。基本は両手使いだが、片手で体を支え片手でハサミを握り、人差し指とハサミの間に柿を挟んで切る方法もある。慣れてくるとこの「片手切り」が便利。その理由は空いている片手を色々な作業に使えるからである。どうしても手の届かない所には、棒の先にハサミと保持器が付いた遠隔操作ハサミがある。これは柿に付く小枝を押さえ切断するもので、手元レバーで操作する。棒から見て左側に保持器、右側にハサミが並んでいる。枝より右に柿がある場合は棒を180度回転させ柿を落とさないようにする。 写真は柿の木ごしに見る実家のアンテナとタワー。上が14/21/28MHzの4Ele八木、下が10MHz3Ele八木。最近は積極的なDXingはやっていないが、10MHzの明け方Eu方面が強力に入感する季節になった。タワーは建築後17年が経過する。オンマウスすると本日到着したicom社のリニアアンプIC-PW1(中古)が見える。デスクトップと思っていたが、ファン音が予想以上に大きくシャックのレイアウト変更が必要な勢いだ。

Nov 13. 2005 30年振りのアイボールと母校の文化祭

写真は建徳寺住職水谷氏(JA2INO)を尋ねた際にお預かりした真空管の一部。UY-807やUZ-42/6D6/DH3A…懐かしいST管やナス管にGT管が並ぶ。他にミニチュア管がダンボールに2箱あり博物館が出来そうな勢いだ。氏は処分を依頼された電気屋さんから譲り受けたと言う事だが、最終処理場として物好きなオーナーを選んでくれた。申し出て頂ければ皆さんにも喜んでお譲りしたい。座り込んで1時間半程お喋りしたが、お邪魔ではなかっただろうか。無線では幾度かお会いしていたが、アイボールとなると30年振り位になる。DXやアンプの話から最近のハム考に至るまで楽しい時間を過ごさせて頂いた。1981年のCQ-CONTESTの入賞アワードが剥き出しで積んである様子に、氏の屈託のないハライフを学んだような気がする。
またこの日は母校の文化祭(清工祭)があり、建徳寺の近くと言う事も手伝い回ってみた。こちらも既に30年近く経ち、校舎には昔の面影があるが、当時の先生方は既にリタイアされている。無線部(JA2YCH)は展示だけで寂しさを覚えたが、PCを中心としたネットワーク・制御技術と文化系は元気で、これも時代の流れかと納得。2010年には工業高校の統廃合が行われ、静岡工業と併合すると受付の先生の弁。オンマウスすると秋葉山第一古墳からの母校全景が見える。
竜爪穂積神社〜西里キャンプ場

車のバッテリ充電を兼ね6時半頃家を出て北街道を東に向かう。目的地は竜爪穂積神社と西里キャンプ場。長尾川を越え瀬名から北上し平山経由で林道を登り40分程で穂積神社に到着。高山側の尾根に超大型の送電線鉄塔が建ち山の景観を壊している。尾根は控え北側へ下った所に建ててくれれば南側からの景観は保てたものをと独り言。早朝と言うのに穂積神社には登山客がいて驚いた。辺りに車など無いから平山辺りから登って来たのだろうか。写真撮影などをして北側の興津側水系を下る。黒川を経て西里キャンプ場に着いたのは8時過ぎであった。ここは小学時代から通い続けたキャンプ場だ。驚いた事に11月と言うのにキャンプしている物好がいた。その後和田島を通り高山経由で吉原に出て山切川を下り実家に辿り着く。
竜爪と言えば、母校の庵原小では6年生になると遠足で「竜爪登山」があった。今なら平山辺りまで車で行って…と考えるが、当時は庵原小から飯田を経て梅ヶ谷から山を越え平山に出て初めて竜爪登山が始まる。帰りは稜線を歩き高山経由で吉原に降りて庵原まで帰った。この行程を日が暮れる前に完結するのであるから大変なもの。恐らく今の先生方や児童達ではやる気すら起こらないだろう。写真は道祖神ごしの瑞穂神社。オンマウスで西里キャンプ場が見える。

Nov 8. 2005 ハンダゴテTQ-80のコテ先が届く

コテ先が折れて使えなかったgoot(太陽電機産業)のハンダゴテTQ-80のコテ先85RT-Bが届いた(2個)。既に後継機TQ-950などに主役の座を譲っているので、店に置いてあるケースは殆ど無い。したがって補修部品であるこコテ先も同様である。
先日旧静岡市で唯一のパーツショップ「マルツ電波」を尋ねたがそれらしき物は無かった。太陽電機産業に問い合わせたところ丁寧な返事があり、マルツ電波に依頼して取り寄せて下さいとの事だった。半ば諦めており吉報だった。注文は先週末だったから土日を挟んで3日目に到着した事になる。
秋葉原の様に専門で品揃えや在庫が豊かな店は地方では皆無だろう。現在TQ-95を愛用しているが、購入のきっかけはTG-80のコテ先が容易に入手できなかったためである。Test&Dataコーナーにハンダゴテの歴史を紹介している。オーナーにとってハンダゴテは工作ライフの中で最も付き合いの長い道具である。
現用のTQ-95に、新品同様になったTQ-80が加わった。これからどのようなHandMakingを楽しませてくれるのだろうか?。末永く愛用して行きたい。写真は復帰したTQ-80と予備のコテ先85RT-B。

Nov 6. 2005 16年振りに清水無線を訪問

清水の実家へ所用で戻った帰り、平成元年以来の清水無線(静岡市清水区浜田町)を尋ねた。ご夫婦で店を切り盛りされ、お二方ともJA2のコールサイン所持者だ。アマチュア無線から業務無線機に至る販売・設置・修理や代行申請等をされている。店の特徴は船舶や業務用無線機に使用されていた部品が置いてある事だろう。ウィンドウに展示された大型のP球は圧巻。また巷では全く見なくなったタイトリレー等、高周波パーツが雑然と置いてある。オーナーはここで業務機器用のノブを多量に買い込んで使っている。 またアマチュア無線技士の講習会にも精力的で、この地区で約1万人のハムを輩出したと奥さんの弁。写真は本日お昼頃撮影したもの。右奥に奥さんがいらっしゃるが分かるだろうか?。オンマウスすると店外観の様子が伺える。 この日は17年振りで余りにも懐かしく、世間話や昨今の無線事情について店先で1時間近く話し込んでしまった。来年は3級アマの講習会を予定しているとの事で、実技がなくなったため希望者が殺到するかもとの事であった。一度ハムになったが久しく廃局されている皆さんの復活を期待したい。この様子はMyFavoriteShopsコーナーにもアップしている。

Nov 5. 2005 DAIDOGEI WORLD CUP IN SHIZUOKA(大道芸ワールドカップ)を覗く

第13回大道芸ワールドカップが静岡市で11月3日より開催されている。13回を数えるイベントでその存在は当初から知っていたが、訪れるのは今回が初めて。開場の駿府公園は大変な人出だった。今や世界中のパフォーマーに知れ渡る程有名になってしまったらしい。パフォーマーは殆ど路上ステージで演技を繰り広げる。言葉は分からなくても流石にプロ、満足の時間を提供してくれる。司会進行や通訳など運営はボランティアによるもので、市民がやっている感じが伝わり微笑ましい。日が沈む頃になると当日の夕刊が配られる。辺では有り余るほどの食材やドリンクにお土産も販売され、見る人食べる人騒ぐ人…それぞれに楽しんでいる。小型の脚立や潜望鏡を持ち歩く姿。直ぐ小銭を放れる体勢。段取りの良さに13回の歴史を感じる。
大した道具も使わず、これ程人を笑わせ喜ばす空間を作り出す芸。メディアでは伝えられないし味わえない。是非一度静岡に足を運んで欲しい。以上率直な感想である。ちなみに11月3〜4日の2日間で90万人のお客さんが訪れたとTVが伝えていた。写真は米国からやってきたチャーリー・フライさん。オンマウスは演技後、小銭を投げ込みにやって来た子供達に取り囲まれた日本のダンディGOさん。

Nov 3. 2005 旧友からのメール

古い友人から立て続けにメールが届いた。一人はJA2INO水谷氏。古い真空管を200本余り入手したが引き取って貰えないかとの相談。返信したところ携帯に電話があり多忙な旨を伝えて来られたが、13日はOKでアイボールが成立しそう。氏は5歳程先輩で、高3時に7MHzSSBでの交信が最初だった。団体職員を経て家業に入られたが、姉から同じ職場だと聞かされた驚いた事がある。JH2UVL望月氏と30年程前にシャックを訪れた事があり、15年程前にも50MHzで友人のJF2KTV外岡氏と交信中にブレイクして来られた。今日はそれ以来の声。もう一人は1年先輩のJH2AHZ池田氏。HPをご覧になり長文のメールを送って来られた。氏は同期のJH2DOU片平氏と同じ高校の先輩。1972年の夏に片平氏が実家シャックに案内して来たのが最初のアイボール。メールには「自作シャックを見てショックだった!」と記してあった。それ以来アイボールの記憶は無いが、オンエアでは幾度かお会いし「ZLスペシャルANT」の電波を良く聴いていた。古いQSLカードの写真(左)も添付され、それを見ると思わず当時に思いが馳せる。アマチュア無線は、30余年の歳月が過ぎても再びあの頃を思い出させてくれる不思議で素晴らしい趣味である。