JH2CLV's Topics & Memorandam
November 2019

Nov 29  カミサンと初の山歩き…静岡市満観峰…県境に初雪、30日初霜
写真は山頂の満観峰看板越しの静岡市と富士山。ここからだと山原無線中継所の鉄塔を確認できるので、ひょっとしたらリモートシャックの鉄塔も見通しかも知れない。また掛川の粟ヶ岳が丸見えで、反対側を振り向くと日本平も丸見え。ひょっとしたら日本平〜粟ヶ岳のマイクロウェーブルートはこの辺を通過しているのではと思った。やや南の高草山から北へ少し下がった場所で、地形の恩恵を受けているなぁと痛感。1970年頃、このルートを開拓された先人たちの心意気も伝わってくる。ただ、フレネルゾーンが若干食われている感じもあり落葉樹などで季節の変化を受けるかもしれない。などと山登りには関係のないことに思いを馳せたりした。
オンマウスは昼食時、タイマー撮影でポーズ。カミサンと道案内をお願いした義兄との3ショット。義兄は豚汁を作って持参、こちらも負けじとガスバーナーと水2リットルを持ち込みコーヒーやスープの用意をしたが意外と需要が無く、水半分は持ち帰った。バーナーの点火がイマイチだったので、前夜電極の放電間隔や位置を調整するなどして準備を行った。アウトドアはやっぱり楽しい。カミサンは終始喋りっぱなしでご満悦だった。
なお登山口の小坂は、かつては有数のミカン産地だったが、現在は耕作放棄地が目立ち寂しい限りだった。
今朝の気温は玄関の温度計で6.1℃だった。そんなに冷えた感じは無かったのだが、R1バイパスに出て北を眺めると県境付近の稜線が真っ白だった。静岡市側の真富士辺りから奥、そして山梨県側の十枚山などが真っ白だ。その時間に車を止めて撮影すれば良かったのだが、満観峰へ急ぐ途中で叶わなかった。写真は帰宅した16時過ぎ、リモートシャックのある大峰中腹まで上り撮影したもの。朝は東から上った陽を浴びた雪が真っ白くやたらと奇麗だったが、この時間になると既に日没。雲を被っている様子は分かるが一寸暗い画像になってしまった。日中は好天だったから、夕方には溶けて無くなるものと思っていたが結構残っていた。中央のピークが3つある山が十枚山で、清水地区からは良く見える山だ。左下の道路は新東名高速道路。新清水JCTと和田島トンネルの中間付近。実はこの前日の28日、所要で身延へ出かけた帰りに佐野川温泉経由で朝霧を回ったが、みぞれ混じりの雨が降り寒かったことを思いだした。29日の富士山は5合目付近まで真っ白になった。
オンマウスは30日朝、自宅前のミカン畑に降りた初霜。この日の気温は3.6℃で今季最低だった。

Nov 28  早生ミカンの撰果と初出荷
11月26〜28日と連日雨模様の天気だ。幸か不幸かこの時間を早生ミカンの家庭撰果に当てる。21日からの収穫で、1トン半程が貯蔵庫で待機している。そして出荷は、本日11月28日と12月2・4日。
当地は山切川沿いの谷筋にあって日照時間が少なく、成長の度合いが遅い。11月2週目より荷受けは始まっているが、毎年なるべく後ろに出荷を設定している。今年は全体に着色が遅く荷の量が不安定で出荷戦略を立て難い模様。青島温州も良い色になってきており、天候不順もあって早生ミカンの収穫と出荷が板挟みになっている。昨日までに2日出荷分までの撰果を済ませているが、4日出荷分はこの後の天候回復を待って収穫する。
さて、今朝は5時半には起床し、気分転換に10MHzでアフリカ(GABON)と交信してから朝食。その後軽トラのパレットにコンテナ24杯を積み、シートを掛け雨の中を出荷してきた。雨のせいか着色不足のせいか、出荷待ちは無く予定の8時には出荷完了していた。
写真は昨日の撰果風景。立ち作業は辛いのでコンテナを椅子代わりにして、カミサンと向かい合わせに世間話をしながら撰果。当落線状の着色が多く苦慮。落ちた実はあと数日間で着色が進むことを期待する。オンマウスは本日、田んぼの早生の着色を見回った時の老木早生小玉。この時期の雨には腰を折られる…早く上がって欲しい。

Nov 23  東久佐奈岐神社新嘗祭と七五三…保福寺秋の観音会
23日は保福寺の秋観音会と東草薙神社の新嘗祭と七五三が行われた。JAのお役を頂戴している関係で、10時から始まる恒例の観音会を中座し、11時からの神社祭事へ移動する忙しい午前となった。
写真は東久佐奈岐神社境内。祭事を終えて写真撮影で大騒ぎの様子。この年頃だと、カメラ目線に統一するまでに一苦労あり苦笑する。関係者が形態模写をやったり大声を出したりと大変だ。
オンマウスは、たまたま座った席から撮った3歳児達の玉串奉納シーン。自分も60年前はこの東久佐奈岐神社で七五三の祝いをやってもらっている。子供たちを目の当たりにすると、爺になったものだと歳月が身にしみる。自然やその恵みに感謝し、子の健康と成長を郷土全体で願う、この催し事が末永く続くことを願っている。地元の氏子総代や自治会にJA、そして地元紙公報の皆様ご苦労様でした。下は保福寺の観音会。

Nov 22  御殿場市民会館竣工当時の思い出…長南百合子とシルクロード
11月9日の戸田往復後、古いアルバムをめくり1977年頃を探す。戸田の写真の隣に1枚の写真を発見、1977年10月21日御殿場FMリクエストアワー(以下Fリク)収録とある。余りの懐かしさに戸田の件は何処かへ吹っ飛ぶ。…御殿場市民会館竣工記念で公開収録が行われていた…お国自慢西東、外では趣味の園芸…他にも有ったかも。それらの実施日を知りたくて問合せたこともあったが不明だった。発見したFリク収録日を伝えると再調査され、お国自慢が18日仕込み19日収録、趣味園はその後なので自動的に20日と判明。この週を気にする理由は、最終日のFリクゲストだった長南百合子とシルクロードとのやり取りが忘れられないから。当時、東京のバンドでもPA-Mixを客席に置き客観的調整をすることは少なかった。ステージ上で音量の小さいVocalやアコ系をPAするのみで、言わば見込みバランスだった。これだと客席で聴く感じが掴めない。リーダーへ打診し、演奏に必要な音量を出して頂ければ、こちらでバランスを取りますからとなった。これに懐疑的な方も居られたが、リーダーの「やってもらったら!」の一声で決まった。結果は上々で、これがプロの生演奏かと唸るものがあった。彼らも満足気だった。その時のVocalが長南百合子さん。ハスキーな声に魅了され早々にファンになったのだが、30年後の福井単身赴任中にネット上で既に他界されたことを知った。あれから42年、シルクロードの皆さんはお元気だろうか。42年も昔の問い合わせに快く対応して頂いた御殿場市民会館さんに感謝。

Nov 21  早生ミカン初切り
ここ数日の気温の上がり下がりで早生ミカンの色付きが加速した。出荷日を月末と来月頭に控え、ギリギリまで待つと確かに色は乗るが天候や撰果の問題もありここが潮時と、昨日20日に防腐剤を散布。そして今朝7時過ぎより収穫を開始した。思った以上に良い色をしているが、摘果をさぼった木も一部にあったりして苦笑。それでも途中覗きに来てくれた隣組の先輩は、うちは昨日切り出したけど着色が悪く途中で止めたよとこぼし、これじゃ上出来よ!と言ってくれた。着色の遅い木は、あと1週間程の内に改善することを期待して残すが、果たしてどうなるか。11月28日、12月2・4日の3回JA出荷を行い。それ以外は他県業者と個配に回る。そうこうしていると青島温州や太田ポンカンの収穫が始まる。当面はミカン漬けの生活になる。
写真は久し振りに登場のオーナー。随分オヤジになった。カミサン撮影だが滅多にないまともなショットになっている(これ私見)。オンマウスは前日の防腐剤散布の様子。防腐剤散布は収穫の前日まで掛けて良いことになっている。散布に合わせて、鳥害による腐敗果も手で落としていく。実はこれが結構多く、早生ミカン園は鳥(種にヒヨドリ、メジロなど)の恰好のエサ場となっている。除草剤を使わない除草、猛暑の中のゴマダラカミキリ対策…ようやく実を結び嬉しい。

Nov 18  このところのラジオライフ…古いモノを大切に
ローカルのJA2JZ佐野OMがミニマルチのV3X(7/10/14MHzバーチカルアンテナ)を購入し元気だ。51MHz/FMでその情報を聞き、昭和の終わりに購入した同型アンテナを思い出した。ミニマルチの社長が「良く飛ぶ」と電話先で豪語されたことを30余年経っても思い出す。その後同社の八木系を購入したこともあり、平成時代には御役御免となり、タワーに添えて縛り付けたままだった。それを取り外してきて、屋敷のミカン畑に設置したモノラックのレールマストへ腕木を介して取り付けてみた。V3Xは錆もなく、平成の時代を跨いできたとは思えない状態だ。それにKURANISHIのBR-510Dをつないで様子を見た。7/10MHzはこのままでも使えそうだが、14MHzは共振点が高く要調整だ。ここでは様子見だけで、接地はリモートシャックの茶原のレールを考えている。バーチカルは、受信ノイズが少なければそれなりの成果をもたらすと期待。何よりシンプルなのが良い。
ところで、リモートシャックで使っていたサーバーPC(Let'Note/CF-J9)、自宅で借用したIC-7300との突き合わせテストを行ったが状況が再現しない。正常にサーバーPCとして機能している。PC内に虫が住み込んでいるとしか思えないのだが、これ以上時間を盗られたくないのでこれで幕にする。PCは予備機又は汎用PCとして位置付けるが、Windows7のサポートもあと2ヶ月を切った。
物持ちの良い性格は壊れたものを方って置かないってことなのかも知れない。代わりのモノがあれば、壊れたらそのまま廃棄してしまう皆さんもこの時代になると多いのではないだろうか。かつて勤めていた会社のゴミ置き場は、入社当時では考えられなかった宝物の山になっていた。少年時代に暗くなるのを待ち、人目を忍んでゴミ置き場から壊れたTVやラジオを自転車で運んだことが懐かしい。直して使ったり、分解して無線機の部品に組み込まれるのは日常だった。
写真は1982年3月購入のディップメータTRIO/DM-801の内部。先代のニュービスタ管6CW4使用のDM-6は1971年購入だったが、球の故障をFETに置き換えて使っていたがその後友人へQSYしたまま。DM-820は管球式並みのディップ特性を維持し、付属コイルを本体に収納できるオールインワン形式の先駆けだった。実はこの内部電池006Pの電池スナップリード線が基板から千切れ使えない状態だった。何時でも直せるからと怠けていたが遂に交換し復旧。オンマウスは40年前に友人からQSYのサンハヤトの可変電源。いよいよ出力が出なくなり、中を覗いてみtらダイオードブリッジの1辺が断。部品箱から探してきたブリッジを実装し無事復旧。チョットしたことだけど、こういう作業って生活に活力をもたらす様な気がする。

Nov 15  連日ミカンのケアと「石屋さん」もどき
このところ早生ミカンの様子を見に田んぼへ赴くのが日課になっている。皮を剥いてホロを絞り糖度計に垂らす。大体10度を超え11度前後まで来た。程よく酸味が残って当地の味が出ている。甘いばかりのベトベトしたミカンが都会では好まれる向きもあるが、ミカン(柑橘)の魅力は酸味とのバランスだと思う。などと、何か言い訳の様なことを呟いている。
摘果をしたつもりの伊野のポンカン畑へ赴くと、ぼちぼち色が付き始めている。しかし着色に合わせて、摘果不足を感じるようになるから不思議。完全着色すると、摘果心が失せるので今の内と思ってもどうも気が乗らない。それより親父が他界してからの懸案、道路のどん詰まりに放置した浜石の山が気になる。夏場は汗まみれになるので敬遠していたが、今が最適とばかり連日30個(平均1個20s程度)ばかりを軽トラへ積み尾羽畑総の畑へ運んでいる。土止めの石垣積みを再開し、この3日間で2トン程の浜石を自力で運んだ。重い物を持つと体力や気力の衰えを如実に感じる。それでもこれまでに5トン程を動かしていて、コツコツとやることの成果も感じている。この作業はしばらく続きそうだ。それにしても石は重たい!。
写真は伊野の積み込みの様子で奥は太田ポンカン。オンマウスは運び込んだ尾羽畑総(寺山)の様子で奥は寿太郎。

Nov 12-13  リモートシャック無変調対策
この間から変調が掛からないリモートシャック。CW等、音声を使わないモードは問題ないのだが、いわゆる「電話」で変調が掛からない。複数のクライアントPCから試すと、全てダメなので問題はリモートシャック側にあることは分かっていた。原因がサーバーPC(CF-J9)かトランシーバ(IC-7300)なのかを確認するために、トランシーバのリセット、サーバPCのアプリやドライバの再インストール、はたまた予備のHDDを投入やレジストリのクリアなどをして条件付けてみたが状況に変化はない。こりゃ絶対にトランシーバだと12日朝まで思っていた。それでローカルの先輩に事情を話し、夜20時過ぎIC-7300をお借りしてきた。その足でリモートシャックへ赴き、これで復活だぁ!などとつぶやきながら暗闇の中でIC-7300を交換投入。ところが設定データを読み込もうとしたらファイルを読めない。原因はファームウェアが古いためで、最新Verを書き込んでようやく体制が整った。と、ところがそれでも変調が掛からない。結局その日の深夜、自宅にある予備PCと持ち帰ったIC-7300との突き合わせ調査を27時近くまで行い、サーバーPCに何らかの不良があることを突き止めた。13日朝、夜中に確認した元のIC-7300と予備PCとの組み合わせを現用投入し、無事復旧をみた。不具合のあるPCはお借りしたIC-7300と突き合わせて原因を調査する。写真は13日早、オンマウスは12日夜の様子。

Nov 9  カミサンのアッシーで達磨山方面へ…40年振りに訪ねる戸田
カミサンが再び山歩きをすると言うので送迎役を務めた。伊豆の達磨山方面を歩くらしい。同行しても良かったのだが、女性だけのクルーらしいので遠巻きに見送った。7時半に家を出て新東名を東走。長泉ICから伊豆縦貫道を下り、大仁南ICからR136に降り修善寺の街に入る。そこからは戸田へ向かうK18で山道を進むと戸田峠手前のだるま山高原レストハウスに9時着。カミサン達は合流後10時発で達磨山や金冠山を歩いて16時頃戻った。その間、富士や沼津方面の眺望を楽しんだ後、車に戻りPCをUSB接続した4G携帯でテザリング。リモートシャックへつなぎ無線運用を目論む。発電機が回り無線機も起動し7MHzの信号が届く。ところが、トランシーバの障害かキャリアは出るが変調が掛からない。ラジオ代わりに7MHzの交信を聴いていたが、あっさりと諦め、車で戸田へ向かうことにした。実は戸田には思い出がある。戸田峠から下り始めると当時のことが蘇ってきた。この道は年中工事をやっていたなぁと新しくなった道を走りながらつぶやく。海岸沿いの造船郷土資料博物館 を訪ね戸田がロシアと深い関係だったことを改めて認識。当時、ロシア提督プチャーチンや地元の産物を取り上げた公開番組の収録で訪れていた。クリックで見えるのは、手前味噌ながら1979年2月13日のオーナー24歳…戸田港でU型ハンディカメラ(Ikegami/HL-37系)を抱えている。富士を望む思い出の港や浜を歩きながら、しばしあの頃に思いを馳せた。

Nov 8  早生ミカン収穫準備… HL-2.5KFX暫定的現用投入
今朝の気温は今季初めて10℃を下回る9.4℃だった。先週あたりからの冷え込みで早生ミカンが急に色づいてきた感がある。既に今週から荷受けが始まっているが、当地の谷筋は日照時間が少ないため色の来るのが遅く、次の荷受けに合わせて収穫する予定でいる。それで今は収穫に合わせて貯蔵庫の清掃や整理、破損木箱の補修、そしてコンテナの洗浄などを行っている。
写真は収穫予定の興津早生ミカン。本日午前中の撮影。バックに青空と自宅のアンテナとタワーを入れてみた。皆色づいているように見えるが、陽当りの悪い場所や、ミカンや葉が接触しているところの着色が遅れている。味は全く変わらないのに、完全着色のルールは日照時間の少ない谷間のミカン園には厳しい。そのルールを嫌って、完全着色の必要がない極早生ミカンの苗木を今年3月に植えたが、収穫できるのは少なくとも3年後から。
オンマウスは、4月に甘夏を出荷してから手を付けていなかった貯蔵庫。スライド式木箱には12トン、積上げ式木箱には5トン程の温州ミカンが収容できる。カミサンが清掃してくれ随分と綺麗になった。梯子が見えるが、2階があって昔は滑車で荷揚げして貯蔵していた。現在は収量も減り貯蔵庫としては使用せず、空木箱や農業資材の収容場所となっている。
11月8日晩、シャンレギIC(TL431)の到着を待ち切れず、短絡したタンタルコン1μ/25Vの代わりに、マルツより購入のアルミ電解コン4.7μF50Vを取り付けPAユニットを実装。久し振りにコの字型のアルミカバーを被せビス14本で締め付ける。そして無線部屋シャックへ投入する運びとなった。 落ち着いて各バンドを診ると、24/28MHz辺りで出力が下降気味。これは、後日シャンレギICの取り付け時に入力TCをチューンしてみる予定。恐らくFETの入力容量のバラつきの模様(TCは横向きで手が入らず再びPAを外す必要あり)。それから、出力を上げると10MHz以上のバンドでスタンバイ回路へRF回り込みがあり、スタンバイリレーがチャタリングを起こす。これも後日対応予定。
やっと定位置に戻り、条件付きながら運用が可能になった。 写真はGU-84B(50MHz)アンプとのツーショット。真空管アンプは半導体アンプの様な壊れ方をしないし、球を選べば裸でも良好なIMD特性が得られ、何より扱いやすい…。ところで、年をとると、これらアンプの切替やアンテナの切替が怪しく、装置を壊す可能性が高まっている。リモートシャックの様に、トランシーバのバンド情報に全てが連動するシステムをここでも構築予定。Test&Dataに修理記をまとめている。
ところで現用投入したHL-2.5KFXのALC設定は出力800〜900W程度だった。FETがG-D短絡した原因は出力側のリアクターか…。

Nov 3  山切川の土手除草…不良部品の再チェック…10.1MHzに怪電波
今日11月3日は、地区の環境整備日。山切川の土手の草刈を行った。草刈と言っても、石垣に根を伸ばした樹木もある。多くの草は枯れるが、樹木はそのまま生長するため、放っておくと川が増水した時にゴミ等が引っ掛かり流れに変化を与える。時にはオーバーフローを助長するから、大きくなる前に伐採したいのが本音。よく河川敷に生えた木が巨木になり林となっている光景を見かけるが信じられない。行政の管理下にあっても、地域や身の安全を考えたら自ら積極的に手を入れるべきだと思っている。ずっとそうして安全を守ってきたから。それはそうと皆さん朝からご苦労様でした。
さてリニアアンプHL-2.5KFXの復旧の目途は既にたっていて、現在はBIAS電源に使う部品待ちの状況だ。不具合になった部品がどんな状況なのか興味がありテストしてみた。オンマウスは不良になった3端子レギュレータ78L09にリード線を半田付けし、電源をつないでみた様子。12Vを放り込んだら出力は無負荷で11Vと全く可笑しい。そして負荷をつなぐと0.2V程度に…完璧に壊れている。同じBIAS基板上にあるTL431はシャントレギュレータだが、完璧に導通状態だった。その結果に満足し、何故か妙に嬉しくなるから面白い。ところでAmazonで注文の半導体セットには、この2種類を含め12種類が10個ずつパッケージされ、送料無料の\518だからビックリだ。
11月3日17時過ぎ、久し振りにリモートシャックのアンテナ(HB9CV)をUSA方面に向けて10MHzバンドを聴いてみた。トランシーバのバンドチェンジを10MHzにするとやたらとバンド内が賑やかで何か可笑しい。画像(クリックで拡大)はバンドスコープを起動させて±50KHz間を表示させたもの。10.1MHzを中心にして非常に強い電波が出ている。DXはもとより国内通信もマスクされてしまう強さだ。アンテナをUSA方向の北東から左回りさせて北西方面へ回すとピークがあった。SメータはS9+20〜30dB程度振っている。バンドスコープの上限ラインはS9+60dBなので、これから見ると+40dB近くまで振っている。先端から6dB落ちの帯域は±5KHz程度だが、S9のラインで見る帯域は±20KHz以上まで広がっている。変調音はHUM音の様にブーン音で、マイクロフォンのシールドが外れたような感じの音だった。AMモードでもFMモードでも同じような受信音を確認している。一体何を目的にして発射された電波なのだろう。ころで北西の方向ってことはNorht_Korea?、暫く同じ時間にワッチをしてみたいと思っている。10MHzが解禁された頃は、国籍不明の電波があちこちに出没したものだったが、近年は比較的静かになっていた。

Nov 2  カレンダーをめくったら…山原無線中継所…何か違う風景
JA清水のカレンダーをめくり11月にしたら、山原無線中継所越し富士山の航空写真が目に飛び込んできた。写真はコピーしてトリミングさせて頂いたモノ。だけどちょっと過去の記憶とイメージが違うぞと思い、サーバーから写真を探してきた。やっぱり鉄塔が1本無くなっている。オンマウスは未だその鉄塔があった頃の写真だが未だ2年程前のモノ。撮影地は清水区の蜂ヶ谷辺り。子供の頃家の田んぼがあり良く通った。60年近く前だけど、そこから見上げたこのアングルが未だ記憶に鮮明だ。それで、赤白鉄塔の左にあった灰色鉄塔が確かに無くなっている。毎日見ている訳じゃないけど、時々は目に入っていた筈なのに何も気が付かなかった。かつてはマイクロウェーブ中継所と地図には記されていたが、知らぬ間に無線中継所と一般的な名称になっていた。2年前にはあったパラボラアンテナ群も今は無くなっている。ここから富士山を結ぶ線上に拙作リモートシャックがあるのだがこのサイズでは分かり難い。花形だったマイクロウェーブの固定中継回線も今では殆どが光ファイバー伝送にとって代わられてしまい、往時を知る者にとっては寂しい限りだ。1953年頃の竣工だから、その翌年生まれの自分の人生と重なってきて感慨深い。中学と高校時代の遠足登山、昭和57年頃まであったロープウェイ、道路用地として当地へ打診があるもミカン景気でそれを断った歴史…etc。

Nov 1  結婚記念日の諸々
写真は、リモートシャック北側の台刈りした茶原に這いつくばって茶花越しの富士山をスマホで撮影するカミサン。昼食後急にお茶の花を撮りたいとなり赴いたもの。刈ってない畑から花の付いた枝を摘んできて台刈りした茶原に差し込んで撮影している。
オンマウスはその間に撮影したリモートシャックの無線LANを中心とした写真。左上の5GHz無線LAN(CPE510)は、雷の影響かPingが通らなくなり予備機を投入したが、本日朝そのダメになったと思われたCPE510にハードリセットをかけたら、何とPingが通り設定も正常に出来た。PCと共に軽トラに積み伊野のポンカン畑からアクセスを試みると普通につながった。そして富士山カメラの映像が9月12日(台風19号通過日)依頼初めて届いた。また昨日までつながらなかったTeamViewerも安定につながるようになり、リモートシャックは全面復旧となった(HexBeamは自宅で復旧)。 伊野のポンカンが、実を生らせたところに台風19号の風を受け、耐えきれず枝の垂れ下がりが目立つ。冷水の竹藪から竹を切り出して枝の支えを行う。また肥料喰いのポンカンやはるみに施肥を行うなど、一日中動き回っていた。
ところで今日は結婚記念日。数えると結婚から38年も経ち、朝食の時カミサンと笑った。最近惰性で生活している様な雰囲気を感じることがあり反省している。何時も何か新しい感覚を持っていたい。

Oct 31  HL-2.5KFXようやく復活…29日の早生ミカン目揃え会
今朝、はやる気持ちを抑え切れず、安全を確認しながら恐る恐るRFドライブ。7MHzで60W程のドライブで1kW出力を確認。1.8MHzと28MHzについても正常動作を確認。内部に-3dBのATTが実装されているので、ARF1500プッシュプルPAとしては、1kW出力に要する入力電力は25W程度と思われる。ゲートBIASは、ガリオーム位置を回避するためやや低めの4.15V程度。交換前の設定は4.4V台だった。写真はその様子。PAユニットは本来の位置にはなく、ビス締めもしていない。黄色ワニ口はBIAS電圧確認用で、60Wでドライブしても変動等はない。BIAS回路は調査段階でシャンレギIC(TL431)を外してあるため、BIASパスコンのタンタルコン投入や、逆流防止ダイオードの追加等に併せて復活させる予定。 タンタルコン(1μF/25V)はドレイン〜ゲート間が短絡したとほぼ同時に短絡したと思われるが、その短絡直前の瞬間にBIAS基板へドレイン電圧が印可され一定の被害を誘発し、短絡後ゲート抵抗(BIAS供給22Ω)の焼損・破断が始まったと推測している。回路がDC的につながっていたりするので、調査で切離しが必要になったりして苦慮するところだ。BIAS回路は温度制御や送信制御が絡み、メーカーさんの考えが見え隠れして面白い。
オンマウスは29日行われた早生ミカンの目揃会。今年は品薄で、出荷基準がやや甘くなっている。来月から早生ミカンの収穫だ。当地は、いよいよ本格的なミカンのシーズンになる。