昨夜の雨は凄かった。大被害をもたらした9月24日の台風15号以来の大雨だった。山切川の水もそれなりにあったが、台風の時には及ばない。枯葉が水と共に道路を流れ下り、民家の近くに集まっていた。この季節は枯葉が多く、大雨の翌朝は濡れた枯葉を掻き集める光景を良く見る。軽トラで通るとグレーチングを塞いでいる枯葉が気になり、掻き集めて回収し畑へ撒いた。大雨の翌朝はミカン畑の確認に回るのだが、収穫を前にしたポンカンやはるみの枝が、多量の水を吸い込んで重くなり、耐え切れなくなって枝が曲がったり折れたりが複数あった。極めつけは自宅前のポンカン。根っこが浮き上がりそのまま倒れていた。実の成熟と共にトップヘビーになっていたのだが、雨と風が決定的だったと思われる。倒れた木を起こし、3方から木材を当てて荒縄で縛った様子が写真。根元には伊野から土を100kg程運び固めている。この様な騒ぎで朝が始まったが、雨露が多くミカン切りどころではなかった。午前中は晴れ間が見えたが、その後は終日曇天で露の乾きが悪い。午後のミカン切は諦め、青島と中晩柑へ防腐剤散布を行った。500リットル超を薬調して田んぼと汁見谷を散布したが、農薬が切れるまでやったら17時を回り辺りは真っ暗だった。未だ汁見谷の半分と伊野に寺山が残っているが、次に切る青島だけでも早目に終わらせたい。オンマウスは汁見谷の青島。農薬切れで作業を終え帰宅するところ。17時13分、軽トラ車内から撮影。辺りは既に真っ暗だ。 |
今日11月28日は早生ミカンの出荷日だが、実は荷受け検査当番の日でもある。集荷場(共選場)入口でエラそうに荷の確認と入力端末操作の支援を行う。凡そ2時間程度の勤務になる。早目に家を出て7時半過ぎには入口へ赴いたのだが、既に2名の農家が待っていた。受付開始は8時だが、高齢者が多く皆さん朝が早い。と言うより時間を気にしない大らかさが面白い。かく言う自分も、朝6時半には前日までに選果した荷を軽トラに積み終わり、出荷スタンバイOKだった。今年から検査当番はオレンジ色の上着と帽子を身に付けることになっているのだが、ちょっと目立ち過ぎではと思ったりする。こうして受付開始の8時までに多くの農家が出荷を済ませていた。我が家の出荷はカミサンに頼んで来たが、丁度8時を回った頃にやってきた。話しっぷりは堂々とした農家のオバサンでたまげる。こちらの方が遠慮する感じで何とも妙だ。家の荷を覗いて見たが、他の農家と遜色ないと思っていたが、最近目が悪くなったのか暗いのか、黒点病を余り感じなくなった。後からメールとファックスで届く速報をみてビックリする流れになっている。
当番は10時に終了。早々に帰宅して、田んぼで早生ミカンを切っているカミサンと合流。午後にはカミサンの実兄が加勢。16時過ぎまで作業した。しかし、天候不良と所用の重なりで想定していた収穫量が得られていない。JA担当者へ事情を説明し30日の出荷は取り止め、最終日12月2日に移すことになった。量も状況(天候)次第でと…。 |
11月27日は地元の交流館多目的ホールで行われる、フォークソングバンド「ホームタウン」のPA-Mixの支援。既に何ヶ月も前からから予定されていた。ところが、9月24日開催中止になった「三池平古墳まつり」が何とかリベンジしたいと、その日に便乗開催することになった。コロナ関係で3年振りに開催するホームタウン代表は困惑の模様だったが、自分たちのペースが崩されなければと地元の連携を考慮してOKを出された。PAは多目的ホールのコンサートやイベント、そして屋外の売店や広場に別系統の音出しと、限られた時間内での準備はそう簡単なものではなかった。交流館には時間的な制限もあってセッティング時間の不足になった。これはそうなると予想されたので前日21時頃、多目的ホールが開くのを待って機材搬入を行い、当日開館前の8時過ぎ屋外のセッティングを始める等の工夫をしたが、それでも限界を超えていた。おまけに本番前の音出しテストでパワーアンプの片chで歪が発覚し自宅往復。更に本番中にリバーブマシンがノイズを発生。複数の機器トラブルで心境は大変な状況にあった。こんな状況は何十年振りだった。一見楽しみながらのPA-Mixだったが、気持ちは針のムシロだった。それでもホームタウンをはじめ三池平古墳まつりの皆さんには喜んで頂けたのが幸いだった。もう少し日常的な機材の保守点検に時間を割く必要がありそうだ。50年近く地元でPA-Mixのお手伝いをしているが、想定外のことは何時でも起きると肝に命じる一日だった。夜は明日出荷の早生ミカンの選果に復帰していた。 |
28日に出荷する早生ミカンが底を尽き出した。いくらかでも収穫出来ればと、明るくなる6時半頃には田んぼに居た。まだポツンポツン程度なので行けるぞとばかり切り出した。ところが7時、コンテナ1杯半程度切ったところで雨足が強くなった。結局「ダメだこりゃ!」となり作業を打ち切った。28日出荷用の荷が出来るかどうか危ぶまれる。 この日は27日に予定している生涯学習交流館のイベント用PA機材のチェックと集積を行った。友人のフォークバンドのコンサートと、その会場に便乗してきた三池平古墳まつりが予定されている。5月21日の清水いはらフェス以来のPA運用になり、員数確認と系統確認、そして音源確認程度で済ませた。私的には早生ミカンの時期は外して欲しかったのだが、余り検討もせず二つ返事でOKを出してしまい反省している。少なくとも2週間程早いと無理が無いのだ。そして26日は何と、23日の長男一家の帰省に続いて、群馬から3男一家が一泊帰省してきたのだ。大変うれしい筈なのだが、忙しさに追われる様で申し訳なかった。 色々思いを馳せていると16時頃3男一家が到着。まぁ兄弟なのにこうも違うかと思う程に家族の空気感が違い面白い。それぞれの味があって良いのだが、それにしても違うとカミサンと顔を合わせ笑う。この日は当地にあるナショナルトレーニングセンターのレストラン「エス・コリーナ」を予約し夕食会を行った。 |
今年もいよいよ早生ミカンの出荷だ。日照時間が少ないため例年通り色回りが遅いので、恒例の最終プールに組み込んで貰った。25日を皮切りに28日・30日・2日と4回出荷予定が組まれている。ここに来ての天候不順は出荷計画に大きく影響している。24日は朝食後、前日までに切り溜めた早生ミカンを選果して、16時前までに出荷コンテナ24個へ収容。収穫時もそうだが、選果時には管理不足を痛感する。毎年のことだが今年は特に重く受け止めている。剪定や摘果不足が陽当たりや通風を悪くして農薬の回りを悪くしている。分かっていても、言い訳をして手を抜いている自分が恥ずかしい。それらが日照時間の少なさに輪を掛けているから、陽当たりの良い園地に勝てる訳がない。でも来年は違うぞと密かに誓っている。 25日は6時過ぎには貯蔵庫へ向かい、軽トラにコンテナを積む。朝食をとってから8時に共選場へ赴き初出荷。代わりに次の出荷用のコンテナとパレットを受領。帰宅すると8時半頃から田んぼの早生を切り出した。途中からカミサン、午後にはカミサンの兄貴が加勢、畑はいよいよミカン切りの雰囲気が出て来た。 写真は25日朝、選果台越しの出荷コンテナを積んだ軽トラ。オンマウスは24日、選果作業中のカミサン。遠くから見ると綺麗なオレンジ色に見えるが、今年は着色もさることながら、黒点が多く苦慮。 |
11月23日は保福寺の秋の観音会の日。檀家の皆さんがお寺に集まり祭りごとや和尚殿の説教があって、最後に写経を行い、弁当を頂いて解散する恒例常時があった。ところがコロナウィルス感染騒ぎ後は、集まるのは役員や世話人の10名足らずとなってしまった。今回も早くより一般の参加は今年も取り止めると連絡が届いていた。しかも今日は朝からの雨。普通だと山門近くにある観音様にお参りしてから本堂へ向かうのだが、本堂の軒先から観音様向きに仮の祭壇でお参りしてから本堂に入った。それがすむと役員会が開かれ半年間の報告が行われた。10時に始まり10時半には終わる早業だった。帰路は中村を通って峠を越え伊野のポンカンと舞台の早生の様子を見ながら帰宅。雨だからミカンは切れないので、雨露に映えるミカンを見るだけだった。 ところで今日は名古屋の長男一家がカミサンの誕生祝を兼ねて日帰り帰省。持参したケーキを切って高齢者入りしたカミサンを祝った。孫たちも見るたびに成長していて頼もしい。長男には時季の過ぎたアケビを探しに行くと突き合わされ、辛うじて残っていたアケビを持ち帰った。口にしながら種を取り出し封筒に入れた。名古屋で植えるらしい。カミサンの実家の御両親への挨拶も必ず励行し微笑ましい。突然のひ孫の訪問にご両親の顔もほころぶ。夕食はトンカツが良いと「とん通」へ赴き会食、納得の味だった様だ。コロナ接種会場にカミサン残して帰宅すると、長女が恒例の手紙を記し、脇に長男がアケビを乗せてサイン。何とも微笑ましい。 |
11月21日(月)、月曜日はリモートシャックのPCが再起動する日だ。早朝デスクトップリモートでつなぐとしっかり再起動していた。10MHz/FT8の様子を見ようと、発電機の起動ボタンをクリックしたがウンでもスンでもない。数回トライするが起動しない。先日も起動しないことがあり、燃料切れと早合点し灯油を持参して出向したら、燃料では無かった。兆候はその頃から有ったのだ。今回出向して分かったのは、セルモーター起動はするがクランクシャフトを回し切れていないこと。始動時のデコンプシーケンスは無いので、停止時のピストン位置でセルモーターの負荷状態が大きく変わる。車からブースターケーブルでバッテリ間をつないでやると容易に一発起動した。そうなった原因は、発電機の起動用バッテリと充電器(自己発電)間を結ぶリード線が、訳あってワニ口リード線のままの手抜き状態。恒久化を思いながら早くも10ヶ月になろうとしている。外部制御出来るように改修した際、暫定的にワニ口リード線を噛ましたのがそのままになっていた。ディーゼル発電機の振動は相当なもので、これまで良くもっていたとも言えるが、要するに手抜きのままだったワケ。それでようやく本格的対策となった。写真は制御箱を開け、黄色いリード線をファストン端子から出し、背面のハモ端へ繋ぐ様子。ハモ端側はY端子を圧着して締め付けた。これでようやく本来の形になった。オンマウスは軽トラのPCからネット経由で発電機制御を行う様子。制御した瞬間にセルモーターが回り気持ちが良い。 |
今年は着色が早いと思っていたが、どうもミカン切バサミの動きが鈍る。完全着色か?と思って果を裏返すと淡い黄色だったり、青みが残っていたりする。舞台早生を16-17日の2日間切った印象だ。それではと18日から田んぼの早生へ転戦し、完全着色した果を狙うことにした。その間に舞台早生の着色の進行を期待して。ところが田んぼを18-19日と収穫してみると、やはりもうちょっとと言う感が否めない。外生りはまずまずなので、剪定と摘果が不十分だったとする管理不足に行き付く。陽当たりと風通しを改善し、不用果は早めに落とす…これを励行すれば農薬の回りも良いし、生育が均等に進み同一樹の中の格差が縮まる。分かっていて手を抜くから困ったものだが、今年はそれにソウカ病と隔年結果が輪をかけている。表年と言われながら全く逆だから、じっと我慢の収穫をして来年に備えることにしている。 写真は19日8時過ぎの田んぼ南側の早生。真っ青な空にミカンの木と果が生える。このサイズでは良く写っているが、果の裏側や枝の裾果がどうなっているか分からない。オンマウスは20日午前中、収穫が再び舞台に戻った様子。コンテナはモノラックに2段積み。2日空くと色が回るものだが、正午より生憎の雨となり収穫は中止となった。田んぼは興津早生のつもりで苗を植えたら、青島温州とポンカンが混在していた。ポンカンの木は既にないが、樹勢のある青島は何本かあって毎年管理に苦慮している。舞台は殆どが宮川早生。 |
先日V85NPVのe-QSL発行の素早さを紹介したばかりだが、東マレーシアの9M8HAZからもっと早くe-QSLが届いた。写真がそれ。縮小しているのでちょっと分かり辛いが、交信時間が2022年11月14日/21:56/UTCと記されている。そしてこれがe-QSLで届いたのが2分後の21:58/UTCとくるからビックリ。交信の余韻を味わう間も無く届くから、恐れい入りましたとなる。QSLは遅いより早い方が良いに決まってるが、それにしてもと思ったりする。毎月JARLのQSLビューローから届くQSL(カード)を、首を長くして待っていた頃が懐かしい。SASEで送っても、返ってくるまでは国際便相応の往復日数がかかるし、事故だって考えられるからワクワクしたものだった。でも交信はするけどQSLには余り興味を示さなくなった最近は、そんなに急いでどうするの?って感じの冷めた目で見ている。 オンマウスは一番最近届いたスペインのEG5SDCからのe-QSL。9月1日交信のものだが、それでもビューロー経由では考えられない早さだ。ところでカードの何処を探してもSpainの表記が無い。冒頭にASTURIASと記されているから調べると、スペイン北部の海岸沿いに位置し、昔から様々な歴史がある地域の様だ。DXと交信をしていると、ちょっとした文言や画像がきっかけで、新たな世界をインターネットで覗くことが出来て面白い。昭和の時代のDXは、せいぜい世界地図を見て場所を確認する程度で終わっていたから…便利な時代になったものだ。 |
早生ミカンのJA出荷が11月25日を皮切りに12月初旬にかけて4回程ある。JA集荷は先週から始まっているが、当地は着色が遅いため、毎年遅いタイミングで出荷申告している。今日は午前中に所用で予定が詰まっていて、午後から舞台の早生をカミサンと収穫。この時期は17時頃には暗くなるため16時半頃には作業を切り上げた。殆ど様子見の収穫だったが、思ったより着色状態が良くなく苦慮。摘果不足で果が密集し陽当たりや農薬の流れが良くない。毎年のことだがこの期に及んで手抜き管理をつけが回って来た。分かっていても手を抜くのだから困ったモノ。ただ、味はそこそこ良いので、JA出荷落ちした果は何とか個配を中心にはけると見込んでいる。舞台早生は自宅前から80m程のモノラックで結ばれている。写真は、そこに軽トラを着けて収穫した早生ミカンを積んでいる様子。コンテナ1杯で正味20kg程度の重量になる。 ところで貯蔵庫のモロブタ洗浄。昨日までに終わったのだが、それをすべて乾かす作業が大変。貯蔵庫辺りは14時半頃には陽が陰るため、晴天でも乾きが遅い。重ねて置いたらてきめんで太陽の力は絶大だ。オンマウスはミカン畑に出して乾かしている様子。既に陽が陰り出している。周りにはるみや青島が見える。こうしても15日中に乾燥せず16日までかかった。そして最終的に400枚超のモロブタが、全て元の場所へ戻ったのは17日の朝だった。モロブタは様々な時代の物が混在していて、汚れ具合から当家のミカンの歴史が見えて来る様だった。 |
今朝は雨上がりの朝だった。日の出前から10MHzバンドでFT8を他の仕事をしながら楽しんでいた。7時9分頃にブルネイのV85NPVと交信。-07dBのリポートを送ったら+23dBが返って来てビックリ。そしてその直後更にビックリ。何と7時22分にe-QSLが届いた。運用中だし自動配信でもしているのだろうか。カードを眺めると何処かで見た記憶のある絵柄。暫く考えるたら、フランスの局ブルネイからの運用局V85/F5NPVのカードに酷似。どうやら現地でライセンスを得て運用している様だ。既にフェードアウト時間なのか、JAから彼を呼ぶ局は余り居なかった。やっぱりノイズの少ない山の上はフェードアウト寸前に強い様だ。 ところで昨晩から本当に久々の雨。要するに作物にとっては恵みの雨。それも程々の量で、久しくカラカラだったミカン畑に潤いが戻った。降り過ぎると水を吸い上げ収穫前の果実が膨らんでしまうがそこまでの量はない。雨露でミカン畑の作業は辛いので、貯蔵庫のモロブタの洗浄を始めた。9月24日未明の大水で下段のモロブタが泥水に浸かったままだったが、何とか洗浄に漕ぎつけた。枚数は500枚程度あり、やり出すと1日では終わらず2〜3日かかると思う。洗っても乾かすには天候や気温も関係するのでチョッと気の長い話だ。モロブタを全て取り出すと、土間の泥やゴミや収容棚の汚れも気になり、仕事はどんどん増える。 | |
久々の雨だったので屋敷のミカン畑の様子を見て回った。日記を検索したら10月10日以来の雨だ。35何日振りに水を得て、ミカンが何時もより心なしか元気に見える。写真は、友人から昨年頂戴し植えたユコウ。1年生苗だったが順調に育ち早くも実を付けた。お試しなので着花はそのままにしておいたのだが10個近い実を生らしている。ユコウの味は子供の頃、ご近所に1本だけあり、こっそり頂戴した味が遠い記憶の中にある。温州ミカンとは全く異なる味を覚えている。2本頂戴したが、植えて1年頃に、数m移植した1本が元気がなくなり、応急措置の甲斐も無く枯れ出している。それまでは元気だったのに何か理由があるのだろう。雨を受けて露が滴りひときわ元気に見える。もうほぼ完全着色だ。 オンマウスはその近くにある太田ポンカンの様子。はるみは既に着色が進んでいるのだが、同じ系譜の太田ポンカンの着色は全体に遅い。今年は柑橘の生育が早いとされているが、12月初旬には色が来るだろうか。あと2週間程度だが、果たしてどうなるだろうか。今年のはるみの着色の早さは記録的で、それに比べたら絶対に遅いと思うのだが…。何れにしても貯蔵して1月中旬以降の出荷だろうから、例年通り貯蔵で熟成させることになるだろう。 |
11月12日はカミサンの実弟の長男、つまり甥(自分から見たら義甥)の結婚披露宴。カミサンが出席するので朝からアッシーだ。さすがに軽トラや軽ワゴンでは都合が悪いので3年になるが未だ新車の匂いの残る黄色いジムニーを容易。運転手だからと言って何時ものツナギ姿じゃ失礼だからそれなりの恰好に返信。まず9時にカミサンを桜橋近くの着物の着付けと化粧屋さんへ送る。10時、カミサンの実兄を拾って再び訪ねてカミサンと合流。何と良くも変身したものだと、想定以上の出来に感心する。そして日本平パークウェイ経由で久々の日本平へ上る。途中TVの送信鉄塔が見え、何年か前の緊急出向などが脳裏に浮かんだ。眼下の清水港と富士山は、斜めに差す朝の光と快晴の青空も手伝い絶景だ。予定の時間よりかなり早く到着するが、ホテル東側の広場に出て写真撮影が始まった。写真はそれなりの恰好で来たのでと、何十年か振りのツーショットをカミサンの実兄が撮ってくれた。11月1日に結婚41年を過ぎたばかりで、さすがに年を取ったなぁの印象だ。でも何年経ってもチト照れ臭い。そのまま見送り披露宴が終るだろう16時頃再び迎えに赴く。ところが中々終わらない。時間つぶしにローカル局と50MHz/FMで1時間以上のラグチュウ。そして17時半頃ようやく合流し帰路に就いた。帰宅は19時近くになっていただろうか。帰宅後夕食をとりながらカミサンの披露宴報告を受け、自分たちのあの頃へ思いを馳せた。 |
リモートシャックのサーバーPCから自宅のNASサーバーが見えなくなった。インターネットアクセスやその他動作は正常なので「何で?」となる。どうもWindows10アップデートの後から可笑しくなった気がする。過去にも同様の事例があった気がするが、具体的な対応方法を覚えている筈もない。LAN経由でサーバーアクセスすると、画像の如きメッセージが表示され先へ進めない。リモートシャック側でサーバー内のファイル操作が出来ないと、ネットワーク環境になれた昨今では辛い。メッセージにはファイル共有でSMB1プロトコルが必要とある。恐らくWindows10アップデートでSMB2に変わってしまったと推測。ネット上を探すと当たりだった。Windows10でSMB1を有効にする案内が多数ある。作業は「プログラムのアンインストールまたは変更」→「Winodowsの機能の有効化または無効化」と進み「SMB1.0/CIFSファイル共有のサポート」フォルダを開きSMB1.0/CIFS関係ボタン(クライアント・サーバー・自動削除)にチェックを入れる。これで復旧する。Windowsはアップデートにより機能が停止してことがままある。古い時代の周辺機器を抱えるユーザーも多い筈。もう少し優しい対応が出来ないものかと思う。近年はNASでファイル共有をするユーザーも増えている筈だから…。オンマウスはリモートシャックWebカメラの画像。広角度メーターを利用した方向指示は出しゃばり過ぎか…。 |
11月7日に記したローテータ角度表示メーター。早くも広角度型に交換してしまった。近所の工場の廃棄箱から拾ってきた、富士電機製(WM8NAM3シリーズ)のAC600A/FSの電流計。メーター部を診たら可動コイル型DC1mA/FSだった。これ使える!となり、早々に目盛板へ方角をレタリング。実はこのメーター、外側の目盛り部分と内側の数字部分が別の2枚構成でビスで共締めされている。数字側の裏はアルミ地のまま。そこへ白塗料をスプレー。乾いたらメータへビス締めし、外部電源とVRで電流調整しながら、方角をマークして文字を入れる。余り細かくしても骨折り損なので、45度ずつ9ポイントの●と、90度ごとに文字(S-W-N-E-S)をレタリング。写真はその様子。大き目の文字で見やすくしたつもりだが、もう少し小振りでも良かったかも…。最後にアクリルカバーを取り付ける。配線は交流関係の回路を外し、メーターリード線を直接背面端子へつなぐ。オンマウスはリモートシャックへ投入した様子。大きく出しゃばった感じがするが、IC-9100の上へ綺麗に収まった。ローテータ(Emoto/1300MSA))のVRは60ΩでDC5Vを供給しているが、ローテータとアンテナマストの位置関係にややズレがあり、N方向がVRの中央に来ない。運用は読み替えれば実害はないが、気持ちが悪いので後日タワーに上り調整する予定。アンテナ(ローテータ)を360度回しているのに、これまでは90度程にそれを展開していた。何とも窮屈で回る感じがしない…特に赤道を超える方面。これで随分雰囲気が出て来たぞ。 |
何かと所用が多く集中して農作業が出来ない。今日も農薬やコメの注文書を提出したり、忘れていた青島の年明け出荷の申告書を提出したりと、自宅とJA庵原支店を往復した。その道中、時候旭橋の左岸に先日の伐採で刈り切れなかった、アカメカシワを中心とする樹木が風になびいていた。根元には大水で流れて来たゴミが絡み付いていた。先にゴミを払い、なびいていた細い枝を切り、最後に株(10数株)を切り落とす。ブロック積みの狭い隙間に入り込んだ種から芽が出て、太いモノでは10cm程になっていた。この大きさだとブロックを動かすので、隙間から水が流れ込むと中の土を洗うことになり危ない。だから定期的な伐採、と言うより芽を閉ざす作業が必要だと、大水の被害を受けた後は気付くのだが、時間が経つとそれも忘れてしまう。オンマウスはその場所。見難い、が切り落とした樹木は川淵で朽ちるのを待つ段取りだ。 ところで来週から早生の収穫を行う予定だが、不用果落としも終盤に来た。これまで幾度も記したが、日頃の管理不足のツケが収穫が近付くと回って来る。毎年のことだが、今年はそうか病の異常発生も手伝い、大分打撃を受けている。この悔しさを何とか継続し、来年は木の間引きと剪定、そして着花対策と摘果に力を置く様にしたい。写真は田んぼの早生の中でも小振りな木。これ位の木だと問題は無く収穫も楽しいが、おばけの様な木もあるから苦慮する。その根元にはおびただしい数の不用果が転がっている。 |
親子電波教室のお手伝いに幾度か参加して、その昔製作したラジオを展示している内に、再びラジオ製作熱が上昇してることに気付いた。折しもローカルのJA2JZ佐野OMとの交信で3端子ラジオICの話で盛り上がっていた…スーパーヘテロダインにはない手軽さと音の良さがあると。それで、10数年前に多数購入した筈のミツミのLMF501Tを探してみた。パーツケースの殆どを引き出してみたが見当たらない。どこかに有るに違いないが、注文した方が早いだろうと、いつものサトー電気へメール送り送金手続きを済ませた。写真は届いたLMF501T(10個)とTA7642(50個)。足番の違う同等品なのに、LMF501Tは倍以上する。何に使うかって?…ただの中波AMラジオじゃつまらないから色々構想を練っている。IF段移行を担うスーパーヘテロダインや136kHz受信機も面白い。とにかく単3電池1本で動作するから年寄りには安全安心だ。 オンマウスは妙は写真だが、これリモートシャックローテータ制御器。Kenpro/KR-400(DC駆動)をEmoto/1300MSA(AC駆動)で使う改修したモノ。ただ、方向指示メーター位置がリニアアンプ計器と段違いになるの見辛い。そこで、メーターを取り外して並べ暫定的にワニ口リード線でつないだもの。奥にむき出しのメーターが見える。これによりリニアアンプ計器と横一線に並ぶことになり視認性やWindows画面上操作性が向上した。リモートシャックの収容箱カメラの映像をご覧頂きたい。これをWSJT-X画面の右下に置き、リモートシャックを運用している。将来的には別のケースへ全てを移植する予定でいる。 |
11月6日(日)は山切自治会の秋の環境整備日。8時から凡そ1時間程度、組ごとに割り当てられたエリアで道路の草刈や不用品の片付けなどに汗を流した。当4区9組担当エリアは、山切川崩落現場の仮復旧工事と、農道組合関係の除草剤散布が行われた関係で、例年にない軽作業になった。その余力を終了後に行われた、有志による草刈隊に注いだ。一般には手の届かなかった部分の草刈や樹木伐採を行った。夏の環境整備は草木が青々としていて重いが、秋は葉が落ちたり枯れ出したりしているので作業はやり易い。写真は一番上流の当組のメンバーが1.5km程下流(時候バス停付近)まで遠征し、山切川護岸の草刈りを支援している様子。中には80になる先輩も居られ草刈り機を振り回していた。台風15号で流れ付いた草木やゴミが、ガードレール支柱などに絡みついていて、水が道路を超えたことをうかがわせる。しかしオンマウスの様に、川の中には依然として台風により流れ着いたゴミや流木が所狭しと散乱している。対岸へ目をやると、へし折れた孟宗竹や竹林に流れ着いたゴミの山。草刈りをやりながら、これはどうしたものかと苦慮する。河川は県土木の管理だからとする主張はしているが、手が回らないのが現状だろう。そもそも護岸の草刈や樹木伐採は行政の仕事だろうとする意見もある。しかし地元の景観を愛する人間にとっては、そのまま放置する気にはなれない。渇水期に入っているから、ここも自助努力で撤去作業を始めたいが、家業も忙しくなり中々難しいタイミングだ。 |
からたち橋上流の仮復旧道路の舗装が11月4日に行われた。3日に実施したものと思い早朝に見に行ったら、重機や作業車は直ぐ上流の自治会館前に駐車してあった。文化の日で作業はお休みだった様だ。90m近く崩落し砂利道で仮復旧していた道路が、僅か1日で立派な舗装道路になった。写真はその様子。車が走って砂利を飛ばしたり、埃を巻き上げたりすることが無くなり環境が改善された。ここは静鉄バスの「山切中バス停」のある場所なので、住民にとっては本当に有難い。昔なら仮復旧でも通行出来れば何も言わなかっただろうが、随分と時代は変わったものだと思う。余談だが、山切川のルートは現在真っすぐだが、度重なる水害回避のために大正年間に変更されている。写真右側の山の下でくの字に折れ曲がり、からたち橋へ注ぐルートだった。くの字の山側の保福寺は臨川山保福寺とも呼ばれていて、なーるほどとなる。 行政の水路担当者から連絡があり、11月4日伊野沢をはじめとする水路復旧現場の確認や現状視察に立ち会った。オンマウスは先日土石を掘り出した伊野沢桝と、それに流入するU字溝(伊野沢)と道路から流れ込むU字溝。大きな石が桝に落ちて土管を塞がない処置とU字溝隙間の危険対策を依頼した。これ以外に向山沢と谷津沢を回り、土砂で沢が完全に埋まり排水ルートが無く危険である状況を確認。早急な対策を始めることを認めた。 |
早生ミカンのJA出荷が来週から始まる。週ごとに第1プールから第3プールまで集荷期間がある。完全着色が条件なので、色付きの遅い我が家は第2プールの終わりから第3プールに掛けて4回出荷する予定でいる。前年実績だと4トン近くあったが、今年の自園の早生は裏年で、また春先の管理不足が影響したそうか病もあって、数字は伸びないと予想している。毎年の収穫期になるときの反省で、内生りや裾生りをもっと摘果しておけば良かったと嘆く。今年も意識はしていたが、分かっていてもやらない怠け癖を今年も悔やんでいる。それでも収穫時までに小玉や障害果などの不良果を落としておこうと、最終の摘果を数日前から始めている。基本的な摘果は色付く前の夏場に行っているのだが、徹底していなかったことが良く分かる。ブドウ生りがあったり、地ズリ果があったり、青みの強い内生り果があったりと、同じ木でも場所によりこんなにも違うのかと…。そう思って来年こそはと心に誓っても来年になると優先順位が落ちてしまうから困ったモノ。 写真は日陰で育った裾生りの内生り果。色付きも悪いが成長も良くないし、農薬が十分回らず果皮障害となっている。陽当たりが程々にあって風通しが良ければこんなにはならないのだが。夏場に落としておけば、それにかかる養分は他の果へ供給されたはず。結局落とすんだったら淡い期待など持たずに、バッサリやるべきなんだ。ここには人や動物をいたわるような優しさは全く不要であることが良く分かる。摘果作業は続いているが、この様な思いが頭の中を巡っている。 |
仮復旧だから舗装はやらないと現場監督が言っていた。車が通る度に出る土埃は今流じゃない。諦めていたら11月1日〜3日で、仮復旧したバス通りが舗装されることになった。現場の作業員に話を聞いたら、杉山橋から上を1日と2日で、3日はからたち橋から上を舗装するらしい。土埃が舞い、小石が転がる道路など最近は殆ど見ない。林道や農道でも最近は舗装が多くなった。当地のバス通り(市道)が舗装されたのが、記憶を辿ると自分が小学6年の頃。それ以前は雨が降ると水たまりが出来、それを避けながら歩いて通学した。舗装された道路は快適で、嬉しくて何時間も走っていた思い出がある。未舗装の頃は砂利道で、たまにダンプカーが多量の砂利を道路に流し、それをグレーダーで均しただけだった。車が走ると砂利は飛ぶし、川の上流へ行こうとすると自転車では大そうな脚力が必要だった。不便だったけどそこには穏やかな田園風景や生活があり、それが良い思い出となっている。 ところで、汁見谷のミカン畑に21mx17m程度のビニールハウスがある。借りてから放置状態だったが、前年栽培したと思わ得るカボチャのタネがこぼれ、夏まではカボチャのツルがハウス内を占拠していた。ところが本日、中を覗いたら雑草の嵐で、カボチャのツルも絡まている。それで急遽雑草の回収を行った。草刈り機は使わず、地面から引き抜き入口に集結した。軽トラで4台分程度になり、かなりの重労働だった。オンマウスはその際収穫したカボチャ。何もしていない割に良く出来ている。 |
9月24日の台風15号被害依頼、その関係の備忘録としてTopicsを使っていたら、もう10月末日になってしまった。そんなことで今月のTopicsは話題に事欠かず、遂に皆勤賞になってしまった。HPを開設して22年目に入ったが、こんなことは過去にはなく、相当熱くなっていた状況が伺える。HPを始めたころは遠慮もあったが週に1件程度だったから、当時から見れば「どうなってんの?」と思うに違いない。 ところでこのところ朝が寒くなった。ゆら早生が完全着色になるかと思っていたが、まだ青みが残り気になる。1年生を定植して3年経っているが、土壌なのか陽当たりなのか…。極早生種のゆら早生は青みがあってもJA出荷は可能だが、それにしても遅く気になる。それどころが次の収穫品種である早生(興津・宮川)の色付きが良く、先週あたりからゆら早生のそれを追い越してしまった。写真は友人から依頼の最後のゆら早生(左)と初切りの早生(右)。両者とも本日の収穫だ。早生はほぼほぼ色が回っていて、来週には完全着色の勢いだが、ゆら早生は待てど暮らせどって感じで、何か理由がありそうだ。ゆら早生は酸抜けがやたらと早く酸っぱさがない。代わりに早生は酸味が抜け出していて甘味とのバランスを楽しめる。個人的には早生が好きで友人も同じ嗜好なのだが、市場や都会の消費者はどうも酸味を嫌う傾向があり難しい。明日早朝、これを軽トラで富士市へ配達することになっている。 |