JH2CLV's Topics & Memorandam
November 2023

Nov 30 5回目の早生ミカン出荷…舞台早生切上げ
今週は27・30・1日と早生ミカンの出荷が続き忙しい。早生ミカンは果皮が薄く腐敗しやすいので、出荷日前日の選果を基本としている。諸々の所用等でそうならない場合もあるが…。連続する場合は、8時に出荷して、その後の時間は選果に費やされる。選果は1個ずつ手にして実の状態を目視するので時間が掛かる。3L〜2Sサイズが荷受けの基準なのだが、2Sサイズが多いと選果時間が伸びる。また、着色不良や腐敗、果皮障害に外観不良も落とす。照明と外光の比で色目も変わってくる(カメラ調整をしていた頃を思い出す)。収穫初期段階は良好な実が多が、終盤になると個性溢れる実が多くなり判断に時間が掛かったりして悩ましい。一斉に成熟し着色すれば良いのだが、荷受けの日程に間に合わない実も多い。来月上旬にはほぼ全てが完全着色するのだが、その時は早生の集荷は既に終わっている。これ当地JAの販売戦略なのでどうしようもない。生育の遅い園地最大の悩みなのだ。さらに、種品種の青島の収穫にウェイトが移るので、早生なんかに構ってられなくなる実態もある。青島は貯蔵で着色を待てるので作り易い。そんな中で急遽12月4日に早生の追加集荷を行うことになり、残っていた舞台の早生を総ざらいし切り上げた。着色不足で残っていた実が殆どだが、少しでも出荷できればと思っているが、選果に耐えられるのは果たしてどれ位か…。でも選果落ちしたら個配に回すから、まぁいいかと楽観視している。写真は30日朝、出荷前の軽トラ。オンマウスは切り上げた舞台の早生園地。

Nov 27 超獣害回避で寿太郎初切り
寺山の寿太郎が色付いている。危惧していた鳥獣害が始まった。鳥は喰い易い枝に留まって実を突き、イノシシは裾生りの実を振り払って落とし食い散らかし、ハクビシンは裾でも木の上でもお構いなしにもぎ取って綺麗に食べる。ハクビシンの中には南側の林まで運んでから喰う輩もいる。それぞれに特徴があって面白いなんて言う余裕はない。1年間丹精込めて世話してきた果実を、最後にやって来てさらって行く奴らを許せない。獣害を確認してから夜警や、直近では点滅式のLEDランプを設置したりしているが、時間が経つと学習して効果が薄れる。電柵も面倒だから、結局収穫してしまえ!となった。幸い今年は生育が早く、多くが着色している。浮き皮が気になる青島にするか、獣害の寿太郎にするか迷っていたが、獣害状況を見て昨日決定した。カミサンは浮き皮を唱えていたが、やはり実が無くなる方が損失が大きいだろうと押し切った。寺山には寿太郎を6本植えてある。この内1本は裏年で収量は少なかったが、他の5本は表年で良く実を付け凡そ500kgの収穫となった。木も年々大きくなっていて、初めて400kgを超えた。目標は600kgで1本あたり100kgを目指している。さて、この時期に収穫してもJA集荷は来年2月末と思われるので、この後やや長い貯蔵が待っている。
写真は収穫中のカミサン。収穫した実は軽トラのコンテナに開ける。オンマウスは獣害に遭った枝。白っぽいのがヘタの部分。イノシシは前足や鼻先で払い落とすが、ハクビシンは手でもぎ取る。殆ど夜間の仕業だが、鳥は白昼堂々と突く。昨年は、昼食時に人が居なくなることを分かっていた様て、周辺の樹木でスタンバイする姿が有った。多くはヒヨドリかカラスだが、メジロも居た。こうなると現場を離れられす弁当持参体制になる。

Nov 25 早生の収穫と青島の初切り
連日早生ミカン切りに忙しい。舞台と田んぼを転戦していて、この日は田んぼをほぼ切り上げた。カミサンは既に着色が進んでいる青島で、降雨後の土壌水分過多による果皮の膨らみを気にしている。試しに青島をもぎ取って試食してみると、これが中々美味い。年明け出荷用の青島は7分着色で収穫しても良いことになっているが、既に完全着色の実も多い。青島を切りたいが早生が残っていて出荷もある状況に毎年苦慮しているが、今年は夏の高温もあって生育が早いため、状況は例年以上に悪い。早生と青島の作業がスムーズに繋がらずダブるのだ…実に悩ましい。それでも空いた時間に作業を進めた方が良いだろうと、本日田んぼの早生を切り上げた後、青島の初切りを行った。初切りと言ってもコンテナ5杯程度だが…。写真はその青島の様子。完全着色のみを狙ったが、調子に乗って7分着色が頭を過り、一部青い果も混じっている。これでカミサンは気が済んだ模様。
所でオンマウス。シニアクラブのイベントで頂戴した枝付きの紅早生を箱に詰め、その周辺を早生ミカンで埋めてみた。これLINEのTV電話で、カミサンに誕生祝いを言ってきた伊勢崎の孫のリクエストに応えたもの。ミカン送って!と言われたら黙って居られない老夫婦のお人好しさがバレてしまいそうだ。

Nov 24 清水いはらフェス広報活動
「第3回清水いはらフェス」が来年1月28日(日)に予定されている。これまで「庵原地区道の駅社会実験実行委員会」としてイベントを主催してきたが、組織体制は一部変更になり、それに合わせて「清水いはら道の駅プロジェクト」と改称された。自分が参加する広報部会は事務局に広報部として組織されることになった。新体制になり広報部員は1名増え5名体制で活動を始めている。11月24日は、印刷が上がったいはらフェスのポスターとリーフレット(チラシ)の仕分けを行った。リーフレットは枚数が数千と多く、手で数えるには骨が折れるため、デジタル秤を使って重さで枚数をカウントした。郵送するポスターはA4サイズに畳み、手渡しする分は丸め込んだ。単純作業でも数が多いので19時から始めて終わったのは21時を回っていた。これを月末に封筒に入れて関係先へ発送したり、地元の各団体へ配布をお願いしたりする。ちなみにポスターとチラシ表面のデザインは全く同じ物。第1回から庵原地区の通称「高山」(国土地理院地図の高山とは別)からの眺望写真を半分に割り、その間に柑橘と魚類の画像を挟んだものを踏襲している。毎回若干の手直しをしていて、今回はミカンに青島温州を使い、文言を「たった1日の道の駅_今年も登場!」としている。凡そ2時間の作業を行い時間切れとなった。次回は30日に発送のための仕分けを予定している。写真は仕分けをした山の様なリーフレットとポスター。オンマウスは作業風景。皆さん完璧なボランティアで頭が下がる・・・。

Nov 23 保福寺秋の観音会…続く早生ミカン切り
11月23日、保福寺の秋の観音会が行われた。コロナ禍で3年程は世話人のみで行われていたが、一般も含めた形は本当に久し振りだ。山門右手にある観音像で和尚殿がお経をあげる中、参加者全員が焼香。その後本堂に移り、和尚殿のお経に合わせて焼香が行われ、参加者が塔婆を香の煙にかざした。そして恒例の和尚殿の説教と和室へ移動して写経が行われ解散となった。穏やかな天気の中、何とも言えない空気感を味わった。
その後、朝から作業を始めた舞台早生の収穫隊に合流。カミサン・姉・カミサン兄と自分の4名体制のミカン切りが、太陽が西の山に沈む16時頃まで続いた。当たり前のことだが、カミサンと2名体制の時に比べて荷があっという間に増え気持ちがいい。それに4人居ると、作業中や休憩時間の話題に事欠かず、夫婦だけでは限られてしまう話題の拡大があった。
写真は観音会で保福寺山門付近に集まった檀家の皆さん。オンマウスは舞台のミカン切の休憩時間の様子。皆高齢者になってしまったが元気だ。舞台の早生を一通り(完全着色分)を収穫すると、次は同様に田んぼの早生を収穫する。生育にバラつきがあるので行ったり来たりになる。

Nov 22 ミカン畑でシニアクラブ・イベント
今朝は標記イベントへ出席のため、早朝から舞台の早生ミカンの収穫に出た。ところが昨晩からの無風で、多量の朝露に遭遇。ミカンの木の間を歩くだけで上着がビッショリになった。では田んぼはどうかと赴くと同様。早々に朝のミカン切りを諦める。イベントは10時半集合なので、2時間程度は収穫できると目論んでいたのだが…今日は休めと言うことなのか。結局10時過ぎまで家周りの作業やローカルラグチュウで時間が経過。そして11時半、出迎えの車が来てイベント会場の汁見谷へ向かう。お手伝いを依頼されているカミサンは、それより早い9時半過ぎには家を出た。このイベントはこの時期恒例になっていて、汁見谷の農道の一部を止めて会場を作り、露天で昼食会を行うもの。シニアクラブの先輩方、お手伝いの花の会、自治会2役、地元出身市議など総勢20数名が参加した。昨年9月の台風で被害に遭った山切公園は、シニアクラブや花の会の活躍があり、見事に復旧に漕ぎつけることが出来たと代表者の挨拶があった。先輩たちがお元気で世間話に興じることが出来るって素晴らしい。写真は汁見谷のミカン園の農道を利用して作られた会場の様子。後方の山は庵原学区のシンボル「高山」が青空に映える。雲一つ無い好天に恵まれ、終始和やかな時間が流れた。結局この日は多量のビールを頂戴したため、完璧に農休日となってしまった。オンマウスはビンゴゲームの景品で頂いた枝付きの紅早生ミカン。

Nov 20 早生ミカン選果で敗者復活…縁側の干し柿
早生ミカンの収穫が連日続いているが、雨露や朝露が残ったりしていて収穫量が伸びないでいる。明日21日に2回目の出荷がある。それに向けて昨日までに1トン超を貯蔵庫で予措する状況。何とか明日の出荷分を確保できる量になった。それで今朝は朝食後から選果作業が始まった。前回出荷の速報から判断して、やや選果基準を緩くしても良さそうだと判断。着色を気持ち甘くして臨んだ。作業は前回の選果落ち組コンテナ6杯から始めたが、この多くが着色不良だったが1週間寝かせた結果4杯程度がOKとなった。まさに敗者復活戦だ。その後、昨日までに収穫した荷を古い順に選果を行い、割り当ての24杯(約480kg)を確保。選果落ちは7杯程度になり、これ再び次の選果で敗者復活戦に回る。早生は舞台と田んぼ含めて大分残っているため今週末に収穫ピッチを上げる予定…ただ天候次第。来週2回ある出荷で片付けたいと思っているが、ひょっとしたら来週は48杯(24杯x2)が2回になるかも知れない。写真は選果の様子。
ところで、このところカミサンが干し柿を作っている。11月3日ステンレスネットのザルで干す柿を紹介したが、オンマウスは縁側の物干し竿に吊るした四つ溝柿。砂糖などを使っていない干し柿の自然の甘さはコーヒーに良く合う。小振りな干し柿を1つ摘まんでブラックコーヒーをすするのがこのところの日課になってしまった。

Nov 17 ミカン園の夜警…清水の夜景
15日に防腐剤を散布して寺山の寿太郎。その時、裾生りの実が動物によりもぎ取られた痕が確認できた。喰い散らかし方からみてイノシシだと思われる。実は既に着色が進んでいて、試しに食べてみると良い味している。例年は害鳥がやって来て木の上部を中心に食い荒らされていたが、裾がやられることはこれまで殆ど無かった。これは要注意とばかり17日深夜、軽トラで駆け付けて暫く様子を見た。何らかの人の気配や人の匂いを感じていれば、場所(在処)の学習出来ていても避けて通る場合が殆どなので、彼らが気付いてくれれば幸いだ。果たしてどうだったか。写真は21時半頃の寺山の寿太郎。軽トラのヘッドライトでは不足気味だったので薄くストロボを炊いてみた。この時間は全く動きが無く、喰われた形跡もない。ここも生育が早いので、早目に収穫を行い貯蔵体制を布いた方がベターかも知れない。
ところでオンマウス。寺山(尾羽畑総)へ向かう途中、清水市街の夜景が目に入り車を留めて撮影。手前に細長く左右に見えるのは東名高速新清水JCT。中央遠方で宙に浮く灯りは日本平ホテル。左は清水港方面、右は静岡市が方面。夜景を見ながら夜景する…何か妙がダジャレになってしまった。この日は午前中は雨で、午後から上り青空が見え始め晩は夕焼になった。ただ、この調子だと明朝まで雨露が残り、ミカン切りが捗りそうにない。

Nov 15 早生ミカン初出荷…防腐剤散布
我家の早生ミカンの出荷割り当ては今日が初出荷。実は先週6日より集荷が始まっているのだが、当園地(田んぼ・舞台)の着色が遅いため、遅い週を希望している。月末までに4回程出荷する予定になっている。このところ急な冷え込みで朝露が残ったり、天候が雨模様だったりして収量が増えなかったが、昨日の選果で割り当て分の24杯分選果を行い、かつ未選果分を20杯程度残している。選果落ちの殆どは若干の着色不良なので、次の出荷まで保管して再選果する敗者復活戦に回す。それを出荷の度に繰り返し、最終的な選果落ち果をワケアリとして個配に回す予定。写真は朝7時前に軽トラに積んだ初出荷分の早生ミカン。今年は全体に生育が早いのだが、どうしても着色が遅れるのは園地の特徴と思われる。これ陽当たりの問題が大きいと思っていたが、北側の陽の当たり難い方が着色が良いケースが多く悩ましい。選定を強くやって陽当たりを改善しても、日焼けや着色の濃淡を招き易く、これもまた悩ましい。
出荷後は既に収穫出来そうになっている青島と来月収穫予定のはるみと太田ポンカンに防腐剤(ベンレートx4000、べフランx2000)を散布。田んぼ(青島・はるみ))→汁見谷(青島・はるみ)→寺山(寿太郎)→伊野(ポンカン)を回り1200リットルを散布した。ただ最後の伊野は1/4程度を残りて農薬切れとなり、この後折りを見て散布する。 写真は出荷直前の軽トラの荷の様子。オンマウスは伊野の防腐剤散布の終盤。タンクを傾けて最後の農薬を散布…ポンカンは未だ青い。

Nov 11 リモートシャック発電機燃料配達給油…オイル交換
11月11日(土)朝、日の出前から10MHz/FT8運用しEuやAfそして珍しく朝のVU方面との交信を楽しんだ。朝食のためQRTし、発電機を停止させたがFuelアラームが発生していた、室温アラーム等とOR動作(論理)なので、朝食を済ませ冷めてから確認しても出っ放し。こりゃ燃料だと判断する。今回はタンクを2台体制にして初めての給油となるので、話のタネにガソリンスタンドの給油車による配達をお願いした。給油量は外部タンクと内部タンク含めて約190リットル。併せてオイル交換(1リットル)も実施した。
これまでは燃料切れに合わせてオイル交換を実施していたが、燃料の給油スパンがタンクの2台化で伸びるので、時間計で判断(100〜150H)することにする。今回の時間計は4553.3Hだった。燃料の配達単価は+¥20にもなるので、恐らく次回からは自前で運び込むことになると思う。前述の様には完全に話のタネだ。写真は燃料給油後に行ったオイル交換の様子。オイル受はお菓子の間の蓋(深さ約2.5cm)を利用してエンジン下の隙間へ挿入して行う。オイルジョッキは2リットルの容量。オイルはガソリン&ディーゼル兼用の汎用品(ホームセンターの安物)、タワーの向こう側に2台化した燃料タンクが並んで見える。
燃料は自宅からリモートシャックへ向かう途中にあるA油業へ相談すると二つ返事。ご主人が即断し配達してくれた。無線設備を説明し、自宅やインターネットからリモートで制御・監視できると伝えたら呆れていた。灯油に潤滑剤を入れていない強気話をすると、こちらも呆れ顔だった。

Nov 10 早生ミカンの収穫始まる
10月8日から早生ミカン(興津早生・宮川早生)の収穫を始めている。15日に最初の出荷割り当てがあるのだが、地区全体では6日から出荷が始まっている。市場の評価速報の平均は昨年以上でまずまずのスタートの様だ。例によって当園地の日照時間は地区の平均より低いため着色が遅い。したがってどうしても収穫や出荷のタイミングが後ろへズレ込む。余り後ろになると、青島の収穫タイミングと重なるため大変な忙しさになる。また、青島は7部着色で収穫して貯蔵できるが、雨が降ったりすると皮が浮きはじめ商品価値が落ちるため、天気とのにらめっこが続き悩ましい。
写真は8日の舞台初切り。モノラックの荷台に乗る収穫した早生。今年は夏の気温が高かったので生育が良く着色も味も良いのだが、このタイミングだと未だ100%完全着色に至っていない。まぁ出荷までの間に色が来るだろうとする見込みも含めて収穫。着色の判断にカミサンと違いがあって面白い。2人で頑張っても収量は1日でせいぜい500kg程度。これから先は、殆どの時間がミカン切りに費やされ、その間に選果と出荷が行われる。オンマウスは田んぼの早生ミカン(興津早生)。隔年結果で木の上部には余り実を付けていないが、垂れ下がった枝にブドウ生りしていた実を間引いたもの。適当に間引いたが、ハサミが容易に入る程の間隔で実っている。ミカンは剪定により様々な生り方をするので、管理者の個性が出て面白い。しかし、思う様に生らすまでの道のりは遠い。

Nov 7 久々の雨と強風の爪痕
昨晩から今朝に掛けて被災振りに多量の雨が降った。乾ききったミカンには格好の水だが、余り長引くと果実が水を吸い浮皮になるのが心配だったが一晩で終わり幸いだった。ところが夜が明けてから園地を回ってみると強風に煽られて根元から傾いた木や、枝が折れた木。それに根腐れして今年が最後と思っていた老木が倒壊するなど、風による被害が複数発生した。雨は予想していたが、風がここまで吹くとは思わなかった。露が落ちるのを待ってこれらの木の対策が始まった。除草剤を使わないで、刈った草をそのまま大地に返している。このためミミズが多く土が柔らかいため根張りが良いのだが、その分土が起き易い。元々根の浅いポンカン類はその傾向が強い。収穫前のこの時期は、10年物の木では50〜100kgの実を付けているため、相当なトップヘビーになっている。実の小さい夏頃までに比べ耐風力が落ちるため、傾きを助長する格好になるのだ。写真は伊野で傾いた太田ポンカンを復旧させた様子。木の下に入り、徐々に起こしてコンテナやつっかえ棒で支えている。根元は土を追加して盛り叩き込んである。オンマウスは汁見谷の青島の老木。夏場の強風で根元が裂け対策をしていたが、完全に千切れている。収穫まで持てばと思っていたが、こんな状態になり寂しい。着色しているので、収穫して貯蔵しておくつもりだ。これ以外に田んぼでは、Y字の幹の片方が裂けて折れ曲がった木が複数あったが、思い切って切り落とし切り口にはバッチレートを塗布。しかし、あれだけ強風が吹いても実が落とされるケースは殆どないのが面白い。

Nov 5 秋の環境整備…有線放送線仮復旧
11月5日は山切地区の秋の環境整備日。7時に自治会長の実施宣言が有線放送で流れた。8時から凡そ1時間かけて山切川の土手の草刈りに精を出した。先月杉山地区の農道組合が川沿いに除草剤を散布してくれたため、草の殆どが枯れていて作業は思いのほか早く終了。写真は作業を終えて集まり出した面々。当組は山切4区9組で20戸の住宅がある。杉山橋を境に上と下をほぼ半々で分担している。
ところで、開始早々上を担当する先輩が車で下って来て「今日は環境整備の日?」と言われビックリ。そこへまた別の先輩が車で現れ「放送が聴こえなかった!」と言われた。どうやら先輩方は回覧板より有線放送を頼りにされている様子。環境整備から戻ると早速に目視点検を始めた。家の裏山にあるSP柱は鳴っているが、その先の最終SP柱が鳴らない。そこは耕作放棄されたミカン畑があり、草刈り機を入れ除草することが手始めの作業。最初の電柱を見上げると引留碍子の1つ外れていて電柱途中に掛けてあった。これは妙と思い、倉庫から2段梯子を運び入れて電柱に掛け一杯に伸ばする。爺さんのやることが心配に思えたカミサンがやって来て梯子を支える。梯子上部まで上り素早く梯子を電柱にロープで固定。そして電線を眺めると「何だこりゃ!」、2方向からのDV線 を引留碍子1つで処理している。よく見ると片方は異色の電線で20cm程延長してある。周りはヒノキの枝やツルが茂り、強風で叩かれた可能性がある。本格復旧せず仮復旧のままになっていた様だ。引留碍子を2個体制に戻し仮復旧させ(オンマウス)有線放送を確保した。本格復旧は来週になりそうだ。

Nov 4 梶原山へ登る…リモートシャック発電機燃料200リットル化
リモートシャックの燃料タンクを倍増しようとネット上を探していたら安価で現用機と同型(中古)が見つかった。これを現用投入して200リットル体制を目指し、必要な部材(ホースジョイント、3方継手)を買いに鳥坂エンチョーへ赴いた。それにカミサンが着いてきて、何やら日用品の買い物をしていた。その際エンチョーの西側にある梶原山へ上りたいと何時もの呟き。エンチョー横の田子重から昼食のオニギリを買ってくる手際の良さで、早速カーナビへ「梶原山」と入力し検索。どうやら車で頂上近くまで行ける模様で、ナビに従って動き出す。瀬名から竜爪街道を走り常葉学園の裏を入る道へ右折すると後は一本道。丁度家からリモートシャックへ上る様な農道を10分程上ると駐車場に辿り着いた。そこから徒歩で数分登ると梶原山山頂に辿り着く。山頂には梶原景時親子の最期の地を記す石塔が建っている。山頂付近のテーブルで昼食をとる。写真はその様子で、清水港や駿河湾が一望できる。その後、ことのついでに稜線を歩き一本杉公園手前(大内観音さんからの道との合流点)まで歩いて引き返した。
オンマウスはその日の日没直前、リモートシャックへ赴き、燃料タンクを増加した様子。これまでの燃料ホースの余長を活用し、3方継手を介して2つのタンクを混合させた。これにより公称90リットルの外部タンク2基と、15リットルの内部タンクを合わせて、ほぼ200リットル(法規内)の燃料備蓄が可能になった。これにより2ヶ月毎の給油が4ヶ月毎に伸び、年3回程度の給油回数になる見込み。そしてガソリンスタンドの灯油車による配達も可能になるメリットも期待できる。

Nov 3 柿取りと枝落しの季節
このところ柿の相手で忙しい。汁見谷には四つ溝柿の木が6本程あり、毎年大量の渋柿を生らす。枝を落しながら収穫をするのだが、問題は収穫した柿の処理。渋柿を好む友人は渋を抜いて無人販売に出したりしているが、場合によっては渋を抜かないまま出している店舗もある。我が家はカミサンが多きいモノを中心に川を剥いて干し柿にしているが、商売っ気は全くなく家の中で楽しむか、友人知人にお裾分けする。一気に収穫出来ないので南側から順番に作業するのだが、それも気まぐれのため、北側は何時になったら収穫出来るのかも分からない。時間が経つと熟して行くので鳥の餌になったり、最後は落下して大地に返るモノもある。ところで家の庭にもほぼ同数の柿の木がある。こちらは次郎柿などの甘柿が中心で渋抜きの必要はない。開花時期の管理が悪く、毎年ヘタ虫にやられ多くが落下してしまう。それでも家では処理できない程の柿が実るので、こちらも友人知人へ頒布することになる。写真はコンテナ倉庫の屋根に上り、高切バサミで次郎柿を収穫している様子。昨年は台風被害の後処理で忙しく、剪定に手が回らなかったので木の上はジャングルになっている。今年は収穫後に徹底した枝落しを行い、ほぼ丸坊主になった。オンマウスはカミサンが仕込んだ干し柿。吊るさないでステンレスネットのザルで干しているが、この手法は手がかからずグッド。人工的な甘さではなく、自然が作る甘味ってのは幾つ口にしても飽きが来ない。この季節の柿は、人間を含めて多くの虫や動物を集める不思議な魅力を持っていて面白い。

Nov 1 未明から「ほったらかし温泉」を訪ねる
カミサンが3日前に「ほったらかし温泉」へ行こうと呟いた。前夜は早目に休もうとしたが結局深夜。朝3時の目覚しで起床。諸々の支度後、清水いはらICへ入ると3時半。新清水JCTから中部横断道を北上。目的地は笛吹市の果樹研究センターの奥。4年前に同センターを訪れたことがあり、おぼろげながら位置関係が頭にある。甲府盆地に入り増穂ICを出て富士川を渡り川沿いにR140を走る。川の名は笛吹川に変わっている。他界した先輩の通夜で訪ねた斎場が左手に見え、カミサンと懐かしむ。既にカーナビ100%の運転モード。自宅から1時間程で甲府の南部を通過。R140は白井河原橋で笛吹川渡る。途中R20となるが再びR140を走りK31経由で目的地に着くと5時。辺りは真っ暗にもかかわらず、多くの人が入場の列に並ぶ。多くは若者で、見回すと我々が一番年寄りに見えた。入場は日の出1時間前がルール。この日は5時半からだった。水分補給用の飲料を持参する様に係の方に促される。長時間入浴で水分不足になるらしい。自販機でホットカルピスを買う。カミサンは甲府盆地の夜景や、外回りのスナップをスマホで撮りまくった。5時半いよいよ入場。電灯はあるが入口までの階段は暗い。受付で外の自販機で買っていたチケットを渡す。あっという間に脱衣場は人で溢れる。露天風呂に浸かる。星が綺麗で東の稜線が見える。それから約50分後の6時22分、稜線に太陽。一同歓声。そして6時40分、雲隠れしていた富士が頂上まで見える様になった。この時間になるとイモ洗い状態だった露天風呂には殆ど人が居ない。6時45分風呂を上がる。こんな長時間一度も上がらないで風呂に浸かったのは初めての経験だった。名物のたまご掛けご飯を食べ帰路に就く。

Oct 30-31 同窓会案内状印刷と発送
6月19日にコロナ禍明けと理由を付け、数年振りに小中学校同窓会幹事会を行った。幹事会は名目で殆どの時間は久々の飲み会に費やされた。その際来年の1月13日に5年振りの同窓会開催を決め、今後の大雑把な予定を確認した。会場は予約の関係上独断で決定。60代最後の年の同窓会開催に漕ぎつけた。そして10月は会員に開催の案内を発送する段取りになっていた。実は会員リストの修正を今月になってから行い、印刷ソフト「筆まめ」を最新Verに更新する等の作業を進めていた。これまで前任者から渡された筆まめファイルをEXCELへ展開して作業をしていたが、ダブルファイルは面倒なので筆まめに統一となった。会員の総数は163名だが、逝去者17名(恩師2名含む)、住所不明者、地元幹事16名分を除いた119名分の案内を30日までに往復はがきに印刷。そして31日、朝一番で地元郵便局へ持ち込み発送となった。ただ、この内何枚かは宛先不明で戻って来る可能性がある。地元幹事へはチラシと出欠カードを直接配布。この年齢になると親は既に他界され、住所不明者の連絡先を訪ねることも出来なくなっている。実に悩ましい。来月中旬までには出欠の返信が届き、参加者数が判明し会場との交渉が始まる。12月に忘年会を兼ねた幹事会を開き、当日の内容や役割の打ち合わせをする予定でいる。皆爺さんと婆さんの年になり、同窓生たちが、どんな風に変身を遂げているか今から楽しみだ。写真は予備で1枚残った案内状の往復ハガキと、地元幹事から回収した出欠カード。