友人のJA2BNV山形氏が「週末はひるがの」と話していた。雪で容易に行けなくなると思い訪問を決意。氏は11年先輩の現役だが、第2の人生を控え一大決心し、ひるがのに別宅を建てられた。13時に福井からR158を東走。九頭竜紅葉まつりを川向こうに見て進み、県境のトンネルを潜ると白鳥。ここからR156で北上。稜線を染めた紅や黄色が目を引き付け楽しい。予想より早く15時に到着。所要時間は2時間だった。別宅では氏の友人であるJA2EZA加藤氏とJA6EOC/2守山氏も訪れ専門を生かしアースの補完作業中だった。ある薬剤をアース棒周辺に流すと300Ωの接地抵抗が1/10に激減し仰天。シャックのIC-756PROVでHFをワッチするとノイズレベルの圧倒的な低さに絶句。そして10MHzでは未だ16時なのにEuがSメータを振らす。何と言う事か。更に温泉往復の車中IC-706から7MHzのDX局がガンガン・・・ANTはホイップよ!。無線をやるならこう言う場所かと頷く。夜は氏の手料理すき焼きと岩魚の骨酒に奥様からの手料理が楽しい時間を演出。アルコール変調度もMAXに。最後は氏と人生論を語り27時床に就いた。オンマウスは26日朝食のスナップ。左から山形氏、加藤氏、守山氏。漬物を味噌で和えて暖める料理が珍味だった。 |
帰りは石徹白経由(県道314・127)で九頭竜へ下った。8時半R156を南下。白鳥町前谷の集落から県道314で峠を目指す。峠を越え暫く下ると石徹白の集落に出る。途中リゾート開発の名残と思われる建物が廃墟となって見える。今は閑散としているが雪の季節はスキー客で賑わうのだろうか?と思いを巡らせる。集落のT字路に「左福井県境」とあり左折。直ぐ集落から外れ道路も狭くなり渓谷が見え出す。県境が分からないまま県道127。雨が落ち紅葉がしっとりとした雰囲気だ。こんな所で対向車が来たらどうしよう、などと考えていると必ず車が来るから不思議だ。3台すれ違ったが問題なくクリア。大分下ったと思う頃、道路が広くなり集落が見え出す。川の流れが緩くなり水量も増えもう少しかと思っていると九頭竜湖が見えR158と合流。やっぱり油坂を回った方が早そうだが、このスリルは味わえない。その後R158を勝原まで下ると9時45分。予定外だが県道173で鳩ヶ湯を尋ねた。15年程前に仕事で訪れた事があるが、当時は電気もなく懐中電灯が頼りだった。懐かしい光景に思わずシャッター。そのまま戻るのも芸が無いので行き止りまで上る。刈込池に興味があったが登山靴を所持していないためあっさり諦め帰路へ。12時福井着。 |
今朝は6時頃目が覚めたが薄暗いので曇天かと思い込み布団の中にいた。ところが6時25分突如として部屋に陽が差した。快晴だ!。この天気に誘われ何も考えずに岐阜県境の冠山登山を決めた。慌てて準備をするが必要なモノはザック入っているので着替えぐらい。6時50分出発。大野街道R158のトンネルを4つ5つ潜って足羽川の橋手前を右折し県道2号を池田町へ向う。コンビニで食料調達を考えていたが無い!。結局朝飯前の登山だ。池田町からR417へ。霧で視界が悪い。山頂も霧?と思っていると河内地区辺りで徐々に陽が差してきた。ヒノキ林を通った日光が霧を照らし旭光状になっている。綺麗だ。暫くすると霧が消え青空が顔を出した。少し紅い稜線が真青の空に映える。月まで見えるオマケ付きだ。こうした変化が実に楽しい。道は細くなり最後は車1台がやっとの状況。幸い対向車は無く8時10分冠山峠着。既に数台の他県ナンバーの車。9時15分登山開始、10時13分登頂。360度の大パノラマを臨む。9時30分下山10時21分帰路に。登山中約50名の登山客と声を掛け合う。後から登頂されたご夫婦は金沢を5時半に出てきたと・・・。岐路に就く頃には峠に50台以上の車。写真は峠から見える烏帽子の様な冠山と冠山峠。 |
所用で三方郡三浜町を訪ねた。7時40分頃自宅出。敦賀までは高速を利用したが通勤割引50%が成立し料金は\750だった。敦賀からはR27で三浜町を目指す。実は1990年台前半の名古屋勤務時代、家族で2回美浜町の久々子を訪ねている。1回目は知り合いの紹介で民宿に泊り、2回目は松原キャンプ場でキャンプ。子供達は長男が小学生で三男は未だ幼稚園にも行っていなかった頃だ。R27から右方向の県道に入り海岸に松の木が見えてくると、あの頃の記憶が蘇ってくる。眠ってしまった三方五湖の遊覧船、ひらめの骨の唐揚げが美味しかった民宿、家族全員が一緒に泳いだ海水浴、暗くなってから次男と行った海釣り、暑かった松原キャンプ場のテント、車はホンダ1300からカリーナワゴンへ・・・懐かしい。 久々子の集落を通り抜け遊覧船乗り場の山側にある岳山遊歩道を登り山頂まで出る。所用を果たすと、あまりの天気の良さに感激し写真を取りまくる。写真は山頂手前から久々子や松原キャンプ場方面を逆光で臨んだもので、10時過ぎに撮影。 その後、敦賀からR8で海岸を回り越前市今立町へ向い次の所用を済ませ、県道25号で福井へ戻る。福井県はドライブするだけで、海・田園・山を含めた風景が次々に流れ、飽きる事が無い。 |
11日に実家で母の三周忌があり帰省。先週帰省時に入れたガソリンが半分近くあった。何処で給油しようか考えているうちに上郷SA。エコで走り続ければ牧之原辺りまで行ける勢いだ。20時福井を発ち清水の実家に24時半着、そのまま床へ。翌11日は朝からカミサンと和菓子の庵昇堂と保福寺を回る。朝の雨で実家南端にあるお墓の通路に露・・・これを払ったりで忙しい。12時過ぎ家族が集まり仏壇と墓に線香を上げる。その後お寺へ赴き法要が始る。今日は若和尚さんだ。13時予定だが30分も早く到着した檀徒に気を使ってか15分早く始った。法要後お寺の奥様も加わり歓談。姉達と同じ高校で世代も話題も近く直ぐ賑やかになる。13時半から榊屋で食事会。15時終了し実家へ戻る。母の話はあまり出なかったが2年前の事を思出していた。毎日病院に通うカミサンからの連絡が日記やメールに記されている。親父は元気だが、母が生きていたらその姿を見て何て言うだろうかなんて想像したり・・・。親父にそう切り出せない自分は相当遠慮しているのだろうか。ただ世相の話は議論になり面白い・・・まぁ元気が一番であるが。夜は東久佐奈岐神社の豊年祭へ。懐かしい友人達と対面、青年時代に思いが馳せる。オンマウスは背戸のホトトギス。 |
写真はカミサンが持たせてくれた早生温州ミカンと「庵昇堂」のむし羊羹(栗)。田舎では10月になると早生ミカンに色がきて山々が黄色に染まり出す。遠くから眺めると壮観でかつては風物詩だった。秋の運動会もミカンがおやつだった。現在は生産者が減りで様子が変わってしまった。この地区は寒暖差が大きいため、ミカンには甘味と酸味が同居し独特の味を見せる。これに慣れているから四国や九州のミカンは甘すぎて口に合わない。むし羊羹は清水の名物。老舗では「追分羊羹」があり有名である。それ以外に和菓子屋ごとに幾つかのブランドが有る。年に一度、秋葉山の祭りの時にしか作らない秋葉前の「みのや栗田菓子店」のも有名だ。この地元「庵昇堂」のむし羊羹は、甘味を抑え竹の皮の香がほんのりとしみ込みんだ独特の味わいで食べやすい。これ以外に地元ではチイチイ餅と言うが、仏事などで使う「庵昇堂」の餅はシンプルだが味は絶品だと思っている。毎年の事だが田舎へ帰ると若い頃は気付かなかった新たな発見をする。 急に話が変わるが、オンマウスは知人の鑑賞用に送るために持ち帰った不良送信管3-500Z。TL-922の初代管だがGKタッチしている。この真空管のおかげで随分と真空管HPAの勉強をさせて貰った。 |
先週友人Y氏から届いたCDが刺激になり帰省時に古い録音を調査。1977年頃のモノだ。実家のタンスには19cm/sで2Track収録された6mmテープが数十本保管してあった。印象深いテープはキャプション入りだが多くは曖昧なメモしか入っていない。モノによってはメモも無く、マスター巻なのか巻き戻しなのかも不明でカビも目立つ。止む無く1本1本デッキに掛け確認する事になった。デッキはAKAIの名機(?)4000D/PRO。アルコールでヘッドとキャプスタインにテンションを洗浄しテープを掛ける。何と正常に音が出る。f特試験テープを掛けるとまぁまぁだ。それからが大変、スプライシングテープで編集をした部分がことごとく剥がれてしまう。まともにやったら膨大な時間が掛かるのでY氏関連の音源のみを再編集。それでも数十ヶ所・・・昔とった杵柄とばかりハサミとテープを操る。何とか確認出来たので次回はデジタイズしてCDに焼き込む事にする。今回はソフトの持ち合わせが無く準備不足だった。この過程で懐かしいFMリクエストアワーの録音を発見。あのDJ松下かおるさんとJUNKの小川さんと金海さんの対談が見つかった。何と懐かしい事か・・・1970年台は本当に楽しい時代だった。写真は作業中のデッキ周りの様子、久々にスプライス編集。 |
先月27日、29年振りの再会を果たした友人のY氏から、6日写真のCDと手紙が届いた。再開時、静岡の昔話に華を咲かせたのだが、その中心は音楽仲間の話だった。Y氏は私の紹介であるバンドに参加したS氏と仲良しになり、2人は「S&Y」として作詞・作曲活動を続けていた。その後S氏は静岡を離れる事になるのだが、さよならコンサートが1979年1月17日静岡篭上のライブハウスひまつぶしで行なわれた。CDにはその時収録した曲と清水のS氏のアパートで収録した曲が4曲収められていた。懐かしい!。昔話も楽しいが、録音は時間を超え記憶を蘇らせてくれた。貴重な青春の思い出だ。実家にも当時の録音が6mmテープであるはずなので帰省時に探してみたい。それにしてもCDラベルも含めて形にするY氏の情熱には感心させられる。 オンマウスは札幌FDT_LABORのK氏にお願いしいていたカウンターダイアルで8日に届いた。カウンターは00〜99までで100回転表示が出来る。アンプのローラーインダクタやVVC(真空バリコン)の可変に格好だ。既に同じ物が2個あるが3個目が欲しいとK氏に打診すると、USAのオークションで探してくれた。これで製作意欲に拍車が掛かると良いのだが・・・「忙しいから」と言い訳をしないようにしたい。 |
ちょっと前だがNHKの「生活ほっとモーニング」で「そうか、もう君はいないのか」の著者城山三郎氏を紹介をしていた。また同じ頃「人は大地の上ではなく大気の底で生活している」と説くガブリエル・ウォーカー著(訳:度会圭子)「大気の海」をあるブログで発見し気になっていた。本屋に行く時間を惜しみ、ネット販売のAmazonへ発注しこの2冊を届けて貰った。細かくコツコツと読むのが苦手のため、まとまった時間が取れない最近は本に手つかずの状態だった。実は1日、金沢へ出張があり往復の車中で「大気の海」を半分位まで読み進めた。こりゃ中々面白い。昔読んだ科学者の伝記をおさらいしている感じで、学校の図書館を思い浮かべたりする。しかし、今流の視点や学校教育とは違う視点が加えられていて読み応えがある。自然・物理現象から疎くなってしまった現代教育を憂いたりもする。世間はノーベル賞受賞に浮れているが本当はどうなのだろうか。さて、忙しいと言うと聞こえが良いが、実は生活時間の中の優先順位の問題。要するに怠けているのだと自問自答。これ以外に「電子立国日本を育てた男」も読みかけで、これら3冊の読破が当面の課題だ。技術図書や物作りも良いが、こうした図書は生活や発想を豊かにしてくれると思う。 |
親戚の法事で3日夜帰省。福井ICへ20時前に入り24時過ぎ清水ICを出て帰宅。法事は4日11時、清水押切の江月寺で行なわれた。若和尚の指導で久し振りにお経を読む。20歳以上も若い和尚から説教を受けると妙な気分だ。その後墓参りを終え昼食。和尚の真前に座り世間話に華を咲かせる。と言うより「どうしてこの道に?」などと人物取材。寺にはご本人だけで、仏事からまかない事まで全てをお一人でこなしているらしい。何事にも真面目に取り組む姿勢に好感を持ち、自分のアバウトさをチト反省。その後、5日のJARL支部大会(藤枝市)JUNK市に並べて貰おうと、MOドライブ6台・LCDディスプレイ・無線電話・HUB等を友人のJH2AHZ池田宅に届ける。実は今回が初めての訪問。場所が分かり難いと言われていたが、パンザマストと八木ANTが格好の目印だった。ゴミ処理の様で恐縮だったが、誰か拾ってくれるだろうとお願いした。搬送と出展作業をして頂いた池田氏には感謝(5日夜のメールではMOとディスプレイは残ったらしい)。5日は来週の実家法事の段取りで料理屋とお寺を回る。 写真は汚が恥かしいと法事前に車を洗ってくれたカミサン。オンマウスは実家に届いたQSTとJARL_NEWS、表紙だけじゃ中味の違いは判らないか…。 |
写真は池田氏から頂戴して来たTRIOのコイル群。これを見てピンと来るのは昔真空管ラジオを作った人だろう。小・中・高時代の何処かで真空管ラジオに接触した年代だ。こうした部品が少年達をどれだけ電子工作の世界に誘ったか計り知れない。電子立国の礎を作るきっかけとなったと勝手に想像しているが如何だろう。この役割を今では一体何処が担っているのだろうか・・・学校の理科や技術の指導を見ると寂しい。もっとも商売をの結果としてそうなった部分もあるとは思うが・・・。左下はRF付き短波コイルSシリーズで世に言う「高1中2」受信機用。上は455KHz中間周波トランス(IFT)T-26。右は455KHz唸周波数発振(BFO)コイル。価格も2〜300円程度で中学生の小遣いでも何とかなった。週末に清水宮下町のユニオン無線へ通った事が昨日の事の様に思い出される。恐らく池田氏も同様だったに違いない。情報交換の場など無かったから、今になって当時の事で盛り上がったりするから面白い。 オンマウスは実家の畑で獲れた土付きのサツマイモ。先週掘ったモノだがカミサンがツルを切り取ってくれたのを段ボール箱に詰めた。これを福井へ持ち帰り会社食堂のオバちゃんに託す事にした。5日13時半、車に積んで373Kmの帰路に就いた・・・。 |
10月になってしまった。何もやっていないの時間ばかり過ぎて行く様な気がしてならない。と思って過去の記録をみると随分と細々とした事をやって来たなぁと言う印象もある。完結していないものや中断中の課題があるため、時間ばかり過ぎて行くと感じるのかもしれない。彼岸を過ぎ急に涼しくなったので、課題解決に向けて頑張ろうかとも思うが果たしてどうなるか・・・7R71RアンプやジェネカバRxとか。 話は変わるが、町内にある不動明王へお参りして出勤するのが習慣になっている。先月24日、不動明王横の民家の栗の木から実が道路に落ちていた。写真は携帯電話を取り出して撮影したもの。落下の衝撃で栗の実が弾けてとんでもない所に転がっていたのを拾い、イガの近くに寄せてみた。こう言う状況に敏感に反応し写真まで撮ってしまうのは、やはり田舎者の証なのだろうかと周りを見て苦笑い。 オンマウスは春先に製作したストレートラジオ。窓際に置き今日はこのラジオから流れる第一放送で「ラジオ体操」をやった。窓外は太陽が昇りだしまばゆい。左はホーロー製のマグカップに入った飲みかけのコーヒー。左端に僅かに見える牛乳パックも生活観を覗かせる。何とものどかな感じがして楽しい・・・と自己満足の世界。 |