ニュウナイスズメ  

 

写真を始めて2年目の5月に京都の知り合いの野鳥撮影仲間に連れて行って頂いた長野県戸隠。
私が運転しないだけに行き帰りをその方一人で運転して頂いて、今でも感謝しております。
さて戸隠には真夜中の2時に到着し、森林植物園の駐車場で寝袋に包って仮眠。着いた頃から外
は大雪です。朝の5時前に目覚めますと、あたりは本当に一面の銀世界でした。
雪が積もった池からオシドリのペアが飛立ち、園内では冬毛のまっ黄色のテンを見ることができ、
まるで夢をみているような世界を感激しながら歩いた記憶があります。前置きが長くなりましたが
ニュウナイとの初対面はここでした。キツツキの開けた穴を巣にして繁殖中で、初心者だっただけ
に街中のスズメと違った森の中の可愛いスズメに感動したことを覚えています。
それと関西では秋の渡りに大阪南港野鳥園で私だけがニュウナイスズメをよく群れで観察すること
が出来ました。本当に不思議なことに野鳥園で観察するのは私ばっかりでした。またここ数年、春
の渡りには山田池公園で50羽ほどの群れを観察することができました。
とても私との相性が良くて好きな野鳥なのですが、玉にキズなのはろくな写真を撮らせてくれない事
です。とにかく天気が悪かったり、光が良くなかったり、高い場所で撮れないとシチュエーションの悪
さは一番じゃないでしょうか。それでもこのニュウナイと言えばあの戸隠の銀世界でみた勇姿を私
は思い出してしまいます。ねえ、一度でいいからまともに撮らしてよ、お願いだから。

 


 

ノビタキ  

 

今年のつい最近、淀川で撮影して初めてその魅力にはまってしまった。
今まではたま〜に南港野鳥園の展望塔前に入る程度であまり私との接触はなかった野鳥である。
昨年に行った尾瀬ではホオアカとノビタキばかりであったが、ホオアカの愛想の良いのに比べて
ノビタキは撮影する距離まで全く近づけてくれなかった。(というよりも、木製の歩道の近くにはいな
かっただけであるが。)
以前よりこの時期にはM氏が全く1ヵ月半近くこの野鳥のみにハマっていることを聞いていて、そん
なに魅力のある野鳥とは思えないがと考えてはいた。が、百聞は一見にしかずである。
地味鳥好みの私にピッタリの可愛らしい鳥である。おまけに、秋らしい雰囲気の写真が少ない私に
とっては格好の被写体であった。おまけにこれでもかという程、いい写真を撮らせてくれるのだから
たまらないモデルである。(いやあ、もうメロメロ)
話には聞いていたのに、これまで一度として出向かなかった自分に無性に腹が立つ私である。
今年からは間違いなく10月をノビタキの月と名づけることにしよう。しかし、頭が痛いのは余りに
いいシチュエーションで撮らせるものだから、これからずっと現像代に悩まされるであろう金銭面で
ある。正に魔性の魅力を持つ野鳥である。最後に、オスは夏羽はダンディーでカッコいいのに、秋は
どうしてコソ泥顔になるのだろうか。とにかくこれからは毎年笑わせてくれそうで楽しみである。

 

 


 

ハクセキレイ  

 

一番普通になってしまったセキレイである。とにかくどこにでもいる。ヒヨドリ級といってもいいかもしれ
ない。山にもいるし、公園はもちろん、川や干潟にも出てくる。家の近くのドブにもやって来る。
こんなにも普通にいるのに、私にハクセキレイのいい写真が1枚もないというのはどういうことだろう。
シャッターは押しているのにBクラスの写真が2枚であとは全て評定外ばかりである。
第一に、いいシチュエーションで会うことがめったにないのである。アスファルトの上であったり、川の
中でもゴミがてんこ盛りの場所であったりと極めて撮影に非協力的である。
(結構、ハクセキレイに嫌がられているのかと真剣に思ったりする。)
第二に、距離が極端である。ハクセキレイとカメラを持って相対する時はやたら近いか遠いかかの
いずれかで、ほどほどの距離がめったにない。アップの写真は嫌いなので撮っても評定外になって
しまうし、遠すぎるとこの野鳥は余り写真的に目立たない。(セグロセキレイは遠景がよく合うのだが)
非常に難しい野鳥である。だから未だにこの鳥の写真を当ページにて紹介できないでいる。
一度、能登の方でホオジロハクセキレイという亜種を観察したことがあったが、目のあたりの黒い線
がなく、とても違和感というか別種のような感じがしたものである。
そういえばこの野鳥のいい写真も未だにお目にかかったことがない。やはりプロにしても難しい被写体
なのであろうか。最後に何故若鳥の顔が黄色なのかを是非、どなたかに解明してもらいたい。私の
野鳥七不思議の一つである。だって何故黄色?意味ないじゃん!と思うからである。

 


 

ハシブトガラス  

 

私はカラス類が好きである。(但し、東京のカラスだけは態度がド厚かましいので嫌いである。)
まだ大阪のカラスは一歩引いて人間と接しているから好ましい。
ハシブトガラスは昔はハシボソガラスよりもずっと少なかったように思うのだが、最近は街中の
至る所で姿をお見かけする。山田池のゴミ箱から弁当箱の袋を持って来て、散らかしているのは
大概ハシブトガラスの方である。あのずうずうしさが人間には嫌われるのだろうが、私にはあの
バイタリティある様が好もしく思われてならない。しかしハシブトガラスはおでこの辺りがこんもりと
盛り上がっていて、少し強めに見えるので損をしているようにも思う。目が合ったりすると、こちら
が怖くて目をそらすこともある。「何や、文句あるんかい!」って言われているような気がしてしま
う。特にハシブトガラスの場合は「パチキ(頭突き)入れたろか!」とでも言っているようで・・・・
しかしカラスはとても知能が高くて、人間の一番の友達になれる資質を持つ野鳥だと思うのだが
如何せん外面の悪さが致命的である。例えば近くの川でパンをユリカモメにやろうとやって来た
のに、集まるのはカラスばかりで怖くなって逃げたという場面も見たことがある。彼らは餌を持って
来てくれた人間に感謝しながら、甘えにきたのかもしれないのに。
いい場面があれば私は出来るだけ彼らを撮影するつもりでいる。ところが、彼らはすぐに逃げて
しまうのである。特にカメラを構えた瞬間に逃げられる場合が多い。その時、彼らが飛びながら
こう言っているようにいつも感じるのだ。「何にも持って来ないで、写真撮ろうというのは甘いんや
ないか。」それに対して私は「カァ〜、カァ〜」と恨み節で答えるのみである。

 


 

バン  

 

この鳥を見ると安来節を思い出す。あのドジョウすくいをする踊りが、尻尾をピッ!と振りながら歩くバン
の姿と私の中で妙にダブってしまうのだ。
何かしらひょうきんさを醸し出す野鳥である。是非、一度でいいからバンの歩く近くで安来節のテープを
流して観察してみたいのだ。死ぬほど笑い転げること必至だと思う。
また、このバンほど幼鳥と成鳥でのそれぞれのイメージが著しく異なる野鳥も珍しいのではないだろう
か。どちらかというと、幼鳥の時の極めて地味な色合いの時に「ああ、クイナの仲間だなあ」と思わせる。
私の成鳥のイメージはチンドン屋さんである。歩くのはそんなに早くなく、着物は黒系統で地味なように
見えて結構目立つ存在である。何かしら自分の存在をひけらかしているようにさえ感ずる。クイナ科の
イメージを成鳥の時には、余り想像させない。私は「バン」だという極めて強い自己主張を感じる。
さらに極めて写真が撮りにくい野鳥でもある。バカな、そんなに警戒心もなく簡単に撮れる野鳥じゃない
かと言われるかもしれない。が、撮る意味が違う。バンの写真でプロ・アマ問わず、素晴らしいと感じさせ
る作品にお目にかかったことがない。大体が仲間同士の争いか、親子の写真が一般的である。しかし
私は思うのだ。そんな写真ではバンらしさが全く出ていないじゃないかと。だからといって明確なイメ
ージが私の中にあるわけではなく、偉そうなことを言っている私はいい写真を未だゲットできずにいる。
(野鳥写真集にバンの写真が載せられないことからも判って頂けるだろう。)
たった一つあるイメージは、思いっきり点景的(または広角)でバンを捉えてうつむき加減に物思いに
ふける姿を写し込む。出来れば夕方の光が最適であると考える。
ああ、今私はバンのいい写真が撮りたくてしょうがないのだ。バンよ、バン!撮らせておくれ。

 


 

ヒバリ NEW!

 

冬から春への変り目を私に知らせてくれる野鳥である。もりろん、ウグイスのさえずりにもインパクトがある
が、ヒバリの太陽に向って舞い上がって行く姿には負けるのではないか。寒さがまだ肌をさす淀川を歩い
ている時に、チュルチュルといった音や他の色々な複雑怪奇なさえずりで舞い上がる姿をシルエットで見
た時に、私は強烈に春を感じてしまう。特に土手で寝転がりながら、彼らの姿をじっくりと観察できる時
ほど幸せを感じることはない。日本昔ばなしでヒバリが太陽にお金を貸したというのに、踏み倒されたこと
に怒ったヒバリが太陽へ舞い上がりながら「銭返せ、銭返せ!」と叫ぶようになったという話を聞いて、思わ
ず笑ってしまったことがある。ちなみに英名はSkylarkといって、某ファミリーレストランの名前に使われて
いる。やはりヒバリが太陽に舞い上がるように会社もグングン伸びていってほしいという思いから名付けた
のではなかろうか。ヒバリはそんなに珍しい野鳥ではないので、普通の方なら「アッ、何だヒバリか」で見て
しまうのだろうが、私はヒバリを見つけると目がギラギラしてくる。野鳥撮影を始めて11年で撮影して残っ
た写真が地面を這いまわってどこにいるか判らないような写真が5枚しかなかったからだ。極めて相性の
悪い野鳥であったのだ。ヒバリが私を嫌っているのは、今までの状況から間違いはないであろう。ヒバリ
を見つけるたびに、「この野郎、まともに写真を撮らせてくれよ」と弱冠怒りながらも、祈りつつ撮影に向う。
その度にヒバリはアカンベーをしながら空へと舞い上がっていく。先日、桃井氏(私の撮影の男神様)に
よってようやくまともな、しかもさえずっている写真を数十枚撮影することが出来た。現像でも見事に記録
的な写真ではあるがヒバリと確かに言える写真を手に入れたのである。これで私のヒバリアレルギーは
解消できたかな。今度は飛ぶ姿の絵的なヒバリの写真を必ず撮らせて頂く。でも、ヒバリは難しい鳥である。

 


 

ヒヨドリ様  

 

ヒヨドリ様は私の野鳥撮影人生においての大恩鳥である。
だから個人的には「ヒヨドリ様」と呼ぶことにしているのである。それは今から6,7年前くらいだったろう
か。少しも野鳥撮影に進歩が見られず、このままでは撮影するだけムダではないかと自信喪失に陥っ
た時期があった。(本当にやめようと考えていました。)
と、ある秋の日に隣の家の柿にヒヨドリがやってきました。「何だ、ヒヨドリか」と関心なく眺めていました。
どちらかというと地味鳥の代表者で、声はうるさいし、庭の実は食べ尽くすでどちらかというと嫌われ者
タイプの可哀想な境遇のイメージがありました。野鳥撮影する人もほとんどこの野鳥にはカメラを向け
ようとはしません。
柿の実を食べているヒヨドリを見ながら、急に思いつきました。「そうだ、被写体として魅力がないように
見えるヒヨドリを出来るだけ綺麗に撮ることに努力してみよう。そうすれば、私の写真も変わることが出来
るかもしれないじゃないか。」
その日から私はヒヨドリ様がいれば必ずカメラを向け、どうすればこのヒヨドリ様を美しく撮らせて頂ける
ことが出来るかのみを一心不乱に考えて撮影に励みました。
光線とボケの使い方や、バックとのバランス、構図等々。そのお蔭か長いスランプから脱することが出来
たのです。今では少しは見れる写真が撮れるようになり、余裕を持って野鳥にカメラが向られるようになり
ました。本当にヒヨドリ様には感謝してもしすぎることはありません。
今でもヒヨドリ様に出会うと、どうすればいい写真が撮れるかといつもはボケボケの頭が冴え渡るのです。
ヒヨドリ様だけでも写真集が出来るほどのストックはできました。が、誰も買わないでしょうね。
というわけでヒヨドリ様は私の野鳥撮影の窮地を救った大恩鳥なのです。
野鳥撮影に行き詰まりを感じた方は一度試してみてはいかがですか。(試して損はなし!)
でもヒヨドリ様って結構近くで見ると美しい野鳥ですよ。そうは思いませんか、皆さん。
 

 

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