【世相百断 第50話】


靖国合祀と信教の自由





 軍国主義のシンボル・靖国神社には、首相の参拝に象徴される政治の関与、乃至は国家神道復活に向けた動きのほかに、もうひとつ見過ごすことのできない問題がある。

 靖国神社のもっとも大切な宗教行為とされている合祀のあり方である。

『靖国神社と日本人の平和思想』で書いたように、靖国神社は国民を侵略戦争に動員する装置として、戦没者を英霊として祀ってきた。それは大日本帝国憲法から平和主義を掲げた日本国憲法に変わった戦後も連綿と続けられてきた。なぜ絶対平和を掲げ、戦争を国家間の紛争の道具として使わないと宣言した戦後日本に戦前と同じ合祀が必要だったのか。

 それは1985年(昭和60年)夏の公式参拝の折の、当時の中曽根首相の次の発言に如実にあらわれている。

「戦没者を祀る靖国神社を国の手で維持しないで、これから先、誰が国のために死ねるか」

 阪神淡路大震災の折、多くの人々が自主的にボランティアとして震災地に駈けつけ、復興に協力したことはまだ記憶に強く残っているが、万一日本が外国から不当な軍事侵略を受けた場合、これと同じことがもっと広範に巻き起こると私は思っている。ただしそれは、志願兵乃至は義勇兵などとして軍事組織に参加するだけでなく、非軍事的な抵抗行動に参加することだったり、地域の復興活動だったり、高度に発達した現代の情報網を駆使して軍事侵略の状況を世界に報せることであったりするかもしれない。

 世界のどの国の国民であれ、自国が不当に軍事侵略されれば、家族とくらしを守るために立ち上がってできるだけのことをする。そして不当な軍事侵略から家族とくらしを守るためには、多数の国民が自衛隊に徴兵され、防衛戦争という名の戦闘行動に巻き込まれるよりは、こうした広範な自主的活動を緩やかに組織化した軍事・非軍事的活動の方が、はるかに国民の犠牲は少なく、また効果は大きい。

 現代の高度に発達した軍事手段のもとで、もし日本の国土が不当な軍事侵略にあうとしたら、どういう形になるか。58年前に終ったあの戦争で日本が中国を侵略したように、船舶で運ばれた歩兵や砲兵が日本に乗り込んできて、我が現地守備軍と戦闘がくりひろげられる、などということにはならない。まずミサイルが飛んできて、しかも先制攻撃をより効果あらしめようとすれば、攻撃目標は原子力発電所や工業地帯、情報通信網、交通網、政治中枢や自衛隊施設などになるだろう。日本の軍事抵抗力が大きければ大きいほど、軍事侵略を企てる側の恐怖心も大きくなり、先制攻撃をより効果あるものにしようとするだろう。

 こういう形の現代戦に、多くの国民を徴兵したところで、犠牲が大きくなるだけで、軍事侵略に対する効果的な活動はできない。

 また現在、経済的な困窮を打破するための北朝鮮政府の挑発的な政治行動が目立っているが、だからといって即日本が北朝鮮に軍事侵略される可能性はほとんどない。政治的な対応でとりかえしのつかない失敗をし、北朝鮮を追い詰めて自暴自棄の行動に駆りたてないかぎり、そんなことにはならない。それ以外に日本の国土が広範に軍事侵略される要素など皆無といえる。

 以上のことを踏まえて、前述の中曽根発言の「戦没者を祀る靖国神社を国の手で維持しないで、これから先、誰が国のために死ねるか」を考えてみると、「国のために死ぬ」対象行動は日本の国土が軍事侵略された場合の国民の自主的な抵抗行動ではないことがわかる。

 こうした自主的な国を守る行動、つまり"家族とくらしを守る"行動は、靖国神社などあろうがなかろうが、実際にそうした状況が起これば国民はかならず自ら起こす。

 パワー・ポリティックスを信奉する政治家にとって、靖国神社は、号令一下、自分たちが必要とする戦争に国民を協力させるための装置として必要なのである。戦前のアジア侵略戦争のように、国民を"国のため"という建前でがんじがらめにして、有無をいわせず戦争に駆りたてる装置として、あいかわらず靖国神社を使おうとしている。

 それはどのような戦争か。現時点でイメージできるのは、自衛隊の海外派兵とそれを支える民間の戦時徴用である。昨日成立した有事法制関連三法はまさにこの具体化である。こうした国民の望まない、"家族とくらしを守る"こととは直接つながらない戦争に"国のため"を大義にして国民を巻き込み、戦争で死んだら"英霊"として国が顕彰してやるから安心して死ね、という装置である。

 靖国神社の参拝にとりわけ熱心なのが、片や「戦後政治の総決算」を叫び、アメリカのレーガン政権との軍事協力を深めることによって〈自衛のための軍備〉路線から〈国際的責任を果たすための軍備増強〉路線に切り替えようとシー・レーン構想を打ち出した中曽根内閣。もう一方が、やはり露骨な国益第一主義のアメリカのブッシュ政権と呼応して〈国際責任を果たす〉という名分のもとに軍事大国を目指し、有事法制を実現させ、憲法改正を密かに意図して海外で戦争できる国を目指す現小泉内閣であることは象徴的である。日本の軍隊が海外で戦争できる状況を作りたい政治家にとって、靖国神社は欠くことのできない装置なのである。

 心ならずも戦争に巻き込まれ、無念の思いで亡くなった死者の霊を、敵味方なく、また軍人であろうとなかろうと慰め、ふたたび悲惨な戦争を繰り返さないための誓いの場にするなら、その形は靖国神社であってはならない。沖縄・摩文仁の丘にある「平和の礎」のような、宗教を排した、全ての戦没者に対する追悼の場でなければならないのだ。

 戦没者に対する追悼とは、二度と同じ過ちを繰り返して悲惨な戦争犠牲者を生み出さない、彼らの犠牲を無にしないという、生きている者たちの反省と誓いの行為でなければならないだろう。

 ところが小泉首相は、こうした目的を充分に果たすものとはいえない千鳥ヶ淵戦没者墓苑の恒例の礼拝式にすら出席せず、靖国神社には内外の反対を押し切って繰り返し参拝する。「今日のわが国の平和と繁栄は戦没者の尊い犠牲の上にあり、二度と戦争を起こしてはならないという気持ち」を表すためだときれいごとを口にしながら、彼の真の意図がその言葉とは正反対の方向にあることは見え見えではないか。彼と彼が代表する勢力にとって、戦没者を祀る場所は靖国神社以外であってはならないのである。

 いまみてきたように靖国神社は政治と宗教を合体させ、国民をふたたび戦争に巻き込むための装置であるのだが、したがって靖国神社が行なう合祀も、国民の信教の自由を侵す強圧的なものであらざるをえない。

 合祀とは、国のために忠誠をつくして死んだかどうかを国家が判断し、基準に合った戦死者だけを靖国神社に神として祀る行為であるが、そこには本人や遺族の意思はまったく関与できない。本人や遺族が神として祀ってほしくない、あるいはすでに神として祀られている自分の家族である死者を祀らないようにしてほしいと願っても、その願いは聞き届けられない。拒否される。国家が死者を支配して、勝手に神にしてしまう。

 つまり靖国神社は、国民を"くらしと家族を守る"こととは関係ない戦争に巻き込む装置であると同時に、国民の信教の自由を侵す装置でもあるのだ。このことは次の言葉に如実にあらわれている。

「靖国神社は、その創建の由来が明治天皇の『一人残らず戦死者を祭るように、いつまでも国民に崇敬されるような施設(神社)を作れ』との御聖旨により創建されたものであるから、遺族や第三者が祭ってくれとか、祭ってくれるなとかいわれても、そのような要求は断らざるをえない」(田中伸尚『靖国の戦後史』岩波書店)

 これは自民党の提出した最初の靖国神社法案が廃案になった直後の1969年(昭和44年)8月15日に、キリスト者遺族の会が遺族9名の合祀取り下げを要求したときの、靖国神社池田権宮司の答えである。遺族側はこの後も合祀取り消しを要求しつづけるが、靖国神社の姿勢は変わらない。

 片や政府は、戦没者の調査と合祀のための調査データの神社への送付、合祀後の遺族への通知などの都道府県を巻き込んだ協力を、1956年以来「なし得る限りの好意的な配慮をもって」(靖国神社合祀事務協力要綱:厚生省)行なってきた。厚生省のこの「合祀事務協力通知」は71年に廃止されるが、代わって同様の通知が出され、靖国神社への協力はその後も続けられる。

 池田権宮司の傲慢な発言の裏には、国家と靖国神社が一体となって合祀を進めてきた"自信"が感じられる。

 戦没者の合祀は、思想信条や信教の自由を保障する日本国憲法が公布された戦後になっても、遺族の了解なしに進められてきたし、勝手に肉親を合祀され、そのことに精神的な苦痛を感じる遺族が合祀の取り消しを求めても靖国神社はこれに応じない。応じてしまったら、国に忠誠をつくして戦死したかどうかを国の基準によって国が決め、靖国神社に神として祀るという、"国のための戦争に国民を巻き込む"装置としての靖国神社の機能が根本から揺らいでしまうからである。その結果、信仰やその他の理由によって肉親の合祀に精神的な苦痛を感じる遺族の信教や思想信条の自由は、憲法の保障にもかかわらず顧みられないことになる。

 こちらの了解も得ずに肉親を勝手に神様にして、それは困ると取り消しを求めても応じられないなんて、そんな非道横暴がほんとうに許されるの? というのが一庶民としての正直な気持だが、自民党政府や靖国神社だけでなく、司法までもがそれに加担したのが自衛官合祀拒否訴訟だった。

 1968年1月12日、陸上自衛隊岩手地方連絡部釜石隊員募集事務所長代理の中谷孝文さんは、募集業務の帰途、交通事故死をした。公務死とされ、殉職扱いされた。

 妻の康子さんは故郷の山口に帰り、自分の信ずるキリスト教の信仰のもと、夫を失った悲しみを乗り越え、懸命に日々を生きていたが、4年後のある日、突然自衛隊山口地連の自衛官が訪ねてきて目的も明らかにせず、孝文さんの除籍謄本がほしいという。自衛官の訪問はこの後も殉職証明書がほしい、孝文さんの勲章と位階を見せてほしいと続き、疑問にかられた康子さんが再度目的を訊ねるとはじめて、自衛官の殉職者を護国神社に合祀するためだと明かした。

 クリスチャンとして、夫の遺骨も教会に納めていた康子さんは、その場で合祀を断わった。中谷家を訪問した自衛官は上司にその旨を伝えると約束したが、山口県出身の27人の殉職自衛官の合祀祭を執り行なう旨の隊友会山口支部連合会長と山口県護国神社宮司連名の案内状が配達されてくる。康子さんは再度その自衛官に電話を入れ、合祀拒否の意思を伝え、自衛官も「わかりました」と答えたにもかかわらず、彼女の意思は完全に無視され、夫の孝文さんは他の26名の自衛官とともに合祀されてしまう。

 孝文さんの合祀の経緯からして、騙まし討ちとしかいいようのない所業である。

 実は1960年代に入ると、戦後生まれの自衛隊も旧帝国軍隊を真似て、公務中に死亡した自衛官(戦死した自衛官はまだ一人もいない)を護国神社などに英霊として祀ろうという動きを強めつつあった。中谷さんの事件はこうした動きが底流にあった。

 後日明らかになったのだが、この合祀はもともと自衛官の合祀には慎重だった護国神社側を自衛隊山口地連が説得して実現したようだ。

 康子さんはふたたび山口地連に抗議の電話を入れ、合祀取り下げの要請をした。対応した係長は、「殉職した自衛官はお国のために死んだのであり、忠臣と同じくらい合祀される資格がある。我々は、現職隊員の死生に誇りを持たせるためにやったんです」と強調し、中谷さんの要望に応じようとしない。

 さらにこの事件が新聞報道されると、山口地連は部長名の次のような談話を発表して応じる。

「故人はすでに公のもので遺族だけのものではない。勝手に合祀したのも、護国神社に祭ることは宗教的行事ではないと考えたからで、信教の自由とは無関係なことだ」

 前掲『靖国の戦後史』もいうとおり、「自衛隊が公務中の死亡者を「国家のための死」(忠臣)とし、死者は「国家のもの」であり、護国神社の祭神として祀ることは現職隊員の士気高揚のためで、遺族の宗教や意思は考慮していないこと」がよくわかる。

 この事件は国会でも取り上げられて問題化したこともあり、合祀申請手続きをした隊友会側は護国神社に合祀取り下げを申し入れるが、今度は護国神社側がこれを拒否する。拒否の理由は、前掲の靖国神社池田権宮司と同じものである。

 中谷さんは国と隊友会を相手取り、合祀申請の取り下げの訴えを山口地裁に起こす。すると「非国民」「国賊」「亡国の輩」などという非難・批判・攻撃が始まり、それはその後何年にもわたって続いた。

 山口地裁の一審判決は庶民の視点からみてまっとうなものだった。「一般に人が自己もしくは親しい者の死について、他人から干渉を受けない静謐の中で宗教上の感情と思考を巡らせ、行為をなすことの利益を宗教上の人格権の一内容としてとらえることができる」と中谷さん対する権利侵害を認め、自衛隊の合祀申請については違憲判断を示した。広島高裁での控訴審判決も地裁判決を支持した。

 しかし最高裁での上告審では、逆転敗訴する。最高裁大法廷は「宗教的人格権を法的利益として認めることができない」とし、自衛隊の行為についても「自衛隊員の社会的地位の向上と士気の高揚を図るという世俗的な目的であり、その効果も国又はその機関として特定の宗教への関心を呼び起こし、あるいはこれを援助、助長、促進し、又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるような効果をもつものと一般人から評価される行為とは認め難い」として、合憲判断を下した。

 国を相手取った行政訴訟では99.9%国民は勝てないといわれているが、これもまた大勢順応の病める上級審の状況を如実にあらわす出来事であった。

 この自衛隊合祀拒否訴訟で中谷さんが問いつづけたのは、遺族の同意なしに、国家が思うままに死者を支配して神にしてしまう非人間的な行為であったが、さらに象徴的であったのは、合祀の対象が自衛官であったことだ。58年前に終わったあの戦争の戦死者だけでなく、自衛官も殉職すると遺族の意向を無視して靖国神社や護国神社に神として祭られてしまう。前掲の中曽根発言にあるとおり、国民の望まない戦争で自衛官が戦死をしても、国が神様として祀ってやる。だから安心して戦場に赴き、死んでこい、という装置として機能させようという、国民を戦争に参加させたい側の意思が明瞭に見えてくる事件であった。

 昨日成立した有事法制関連三法では、アメリカ軍が日本の安全とは関係のない地域で戦争を起こしても日本の有事とされ、自衛隊が海外に派兵される可能性が大きくなるが、このことと靖国神社・護国神社の合祀のあり方は無縁ではないのである。

 しかし中谷さんが提起した靖国合祀の非人間性はさらに広がりをもって国の枠を越えていく。

 小泉首相の靖国神社参拝が国際問題化しはじめたのと時を同じくして、日本の侵略戦争に動員された韓国の元軍人・軍属の遺族たちが、日本政府を相手取って合祀取り下げ訴訟を起こすという動きが出てきたのだ。靖国合祀の非人間性が国家の枠を超えて問われはじめてきた。

 自衛官合祀拒否訴訟の活動の中で、台湾人戦死者遺族に靖国神社が合祀通知を送っていることが判明し、台湾だけでなく、韓国・朝鮮人も合祀されていることが判明してきた。その数約5万。

 自衛隊合祀拒否訴訟が最高裁大法廷で合憲判決、原告敗訴の結果となったことで、中谷さんにつづいて訴訟でこの問題を問う人は現れなかったが、2001年6月、韓国の元軍人・軍属とその遺族252人が、日本政府に遺骨の返還、未払い賃金の支払いを求める訴訟を東京地裁に起こし、この訴訟の原告のうち55人が、無断で肉親を「日本の英霊」として靖国神社に祀られているのは耐えられないと、日本政府に合祀取り下げを求めたのである。

 前掲『靖国の戦後史』のいうように、「靖国神社の合祀問題が裁判で問われるのは初めてで、日本政府の合祀協力という「靖国問題」の本質に国境を超えて光が当てられ、しかもそれは戦争責任の視角から問われる画期的な訴訟となった」

 さらに2002年には、韓国人元軍属2名が生存しているにもかかわらず靖国神社に合祀されていることが判明し、靖国神社は韓国人遺族らの申し入れに応じて合祀取り消しの意向を表明する、という出来事もつづいた。

 靖国神社は、生存が判明したから霊璽簿から削除したというが、それができるのなら、遺族からの合祀取り下げ要求にも霊璽簿削除で応じられないわけはない。判断基準をどこに置くかという問題ではないか。だがそれは国民を戦争に巻き込む装置としての靖国神社の存在に関わる問題であり、靖国神社は頑なに拒否しつづけ、政府も動こうとしない。

「(戦死者は)日本のために死を奉げたのではなく植民地支配の加害者日本によって死に追いやられた。求めるのは合祀ではなく謝罪」(太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会)だという韓国の遺族の声は、日本政府と靖国神社に向けられたものだが、それだけではなく、われわれの戦後のあり方にも向けられている。

 "あの戦争"とはなんだったのか、"国のために戦う"とはどのような行為なのか、この58年間、われわれが真摯に自らを問い詰めず、経済向上に目をとられておろそかにしてきた結果が、小泉首相の靖国神社の実質的な公式参拝であり、韓国人遺族の問い掛けであり、そして有事法制関連三法のさしたる抵抗もない成立にまできてしまった。

 靖国神社合祀のあり方は、われわれの精神の自由を侵す問題のみならず、生命財産の保持を侵す領域にまで拡大してきつつある。

(2003年6月7日)

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