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駐車場で降りると、まず目に付くのがこの石碑。
最澄の言葉「一隅を照らすこれすなわち国宝なり」
自分の生きているところ(一隅)において精一杯生きることによって、一人ひとりが心豊かになり、明るい未来を実現していこう。ということ。 |
大講堂 |
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鐘楼
お布施を出すと撞ける。いい音色が出る。 |
根本中堂への坂道
お寺は、奥に行くほど上がって行くのが普通ながら、ここは下って行く。参拝者を大きく受け入れるように。 |
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根本中堂正面の石段
ちょっと躊躇するくらいの急勾配。
ここからの景色がトップの写真。 |
文殊楼
左の石段を登るとある。比叡山の総門。
楼上に登れるが、これまた急な梯子。スカ−ト厳禁である。智慧の文殊菩薩を拝む事が出来る。 |
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戒壇院
最澄が定めた天台宗の戒律を受ける日本唯一の根本道場。最澄入滅後6年、ようやく建造を認められた。 |
法華総持院への階段
雰囲気のある階段。52段ある。人が悟りを開くには52の段階が必要とされる。「成仏への階段」である。 |
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法華総持院
東塔と阿弥陀堂 |
法華総持院
灌頂堂
昭和59年、佐川急便の会長の御寄進により再建と立て札があるが、何故か立ち入り禁止。少しお邪魔して撮影。 |
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西塔
常行堂の前の素晴らしい苔。 |
弁慶の担(にな)い堂
常行堂と法華堂は渡り廊下で繋がっている。
弁慶が、渡り廊下を肩に、両天秤のように担いだという逸話から両方合わせて弁慶の担(にな)い堂と呼ばれる。有りがちな話し(笑) |
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釈迦堂への階段
弁慶の担(にな)い堂から釈迦堂への階段を振り返って撮影。
ここも下って参拝である。 |
釈迦堂
織田信長の比叡焼き討ちにより焼失したのを、豊臣秀吉により、三井寺の金堂を移築した |
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椿堂
見落としそうな所にある。聖徳太子が入山した時に、杖にしていた椿をさして帰ったところ、根を下ろしあたり一面に育ったとか。大きな椿の木がある。
ひっそりした渋い堂である。 |
浄土院への参道
この素晴らしい参道。自然のあるがままに感激。
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浄土院
伝教大師御廟。最澄が眠る、比叡山で最も清浄な聖域。東堂から歩いて参拝する場合は、ここが西塔の入り口になる。
ちりひとつなく完璧。ここに仕える僧は、待真と称され12年間、ここから一歩も出ない。毎日午前3時起床。気の遠くなるような修行である。 |
横川中堂
石垣の上に立つ、清水寺の舞台と同じ、いわゆる懸造り。
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参道には石仏がある。
西国三十三所巡礼が出来るようになっている。
これは、第二番紀三井寺。 |
恵心堂
「往生要集」の著者、恵心僧都源信が籠もったところ。
あまり誰も立ち寄らない雰囲気。
ひっそりと静かに建っている。心が落ち着く |
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元三(がんざん)大師堂
おみくじの発祥の地とある。ならばおみくじと思ったが、先客があり、寺側の対応を見てると、退いてしまった。おみくじも軽々に出来ない。 |
絵は、角大師(つのだいし)の厄除け護符
由来を書いた石碑。
これももらい損ねた。比叡山の奥の奥。もう少し温かく迎えてくれてもいいのに...。
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元三(がんざん)大師堂
四季講堂 |
元三(がんざん)大師堂
これは、回峰行(比叡山の峰々をぬうように巡って礼拝する修行)の時、の蓮華草鞋(行者草鞋)だろう...何かを語りかけてくるような..芸術的な写真になりました。 |
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杉の皮を剥いたばかり...。
裏参道を歩くと、こんな景色が面白い。 |
峰道レストラン
もうお腹が空きすぎた..。期待出来そうにないメニュ−。食事時を過ぎているとはいえ閑散過ぎるな〜..。
出てきた、カツ丼。フタを開けてガックリ、一口食べてカツの堅さ、油に辟易。とにかくお腹をふくらして早々に退散。 |
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瑠璃堂
再び、東堂の駐車場に車を停めて、約15分。道路に沿って山道を歩く。誰にも行き交わず不安一杯。
突然道が開けて、断崖の下に、忘れ去られたような小さなお堂がある。
信長の焼き討ちを逃れた唯一の建物。
徹底して破壊した、信長軍さえ見落としたような場所にある。妙に納得。室町末期の建築物がここに残ってる。
長い道のりも相まって、必要以上に感動した。 |
ロテル.ド.比叡 ホテル
フランス風でなく、フランスです。
とパンフレットで豪語するだけあって設備、接客も万全。
お昼のお口直しにお茶。
二人でクッキ−セットとハ−ブ茶。
料金は昼食代より高くなるのが難点(笑)
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