大阪みどりの百選


38.飯盛山と四条畷神社 四条畷市
ご祭神は、楠木正行 [まさつら]公他、四条畷の戦いで南朝に殉じた25柱。
写真は本殿。
楠木正行は父の死後、南朝の将として活躍し、正平三年(1348)この地で足利軍と激戦し戦死した。正行23歳であった。
明治維新を機に、四条畷の戦いで南朝に殉じた一族将兵の霊を祀る神社の創建を願い出、明治二十二年(1889)に至り、神社創立と社号宣下が勅許され翌二十三年四月五日、御墓所の東、飯盛山麓に社地を定め、創建鎮座した。


忠考両全の碑
忠義と孝行を両方とも完全にということ
楠木正成は湊川出陣に当たり、桜井駅において11才の正行に「どこまでも正統の天皇をお守りせよ。それが父への孝行になるのだ」と言い残し出陣した。世に言う「桜井の別れ」
石碑 可哀相な場所にある


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