*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【仕合うということ?】


 60年前の1948年12月10日,国連第3回総会において,世界人権宣言が採択されました。人権擁護委員として記憶しておくべき第1条には,「すべての人間は,生まれながらにして自由であり,かつ,尊厳と権利とについて平等である。人間は,理性と良心とを授けられており,互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」とあります。
 国連では1950年12月4日の第5回総会において,12月10日を「人権デー」と定めましたが,法務省人権擁護機関では,1年早く1949年から,毎年12月10日を最終日とする一週間を「人権週間」と定め,人権思想の普及に努めてきました。
 ところで,人権宣言の第1条の後半,互いに同胞の精神をもって行動しなければならないという文言は強制なのでしょうか? 押しつけであると聞こえると,啓発にも肩に力が入ってしまいます。基本的な別の観点から,考えてみることにします。
 仕という字は,「つかえる」のほかに「する」の敬語の意味があります。することが仕事,しきたりは仕来り,したことが仕業となります。しあわせも仕合わせとなり,良いことが重なるという意味になります。元は二つの動作・行動をして合わせることだったのですが,良いことが重なるという場合だけに使われるようになったようです。
 行為を合わせるという形を受けると,一人よりも二人の方が仕合わせに近いということになります。一方,幸という字は,「夭」(若死の意)の下に「逆」のつくりを重ねて作られた漢字で,若死にの逆,すなわち長生きを語源としています。長寿が幸せということです。
 スイスの哲学者カール・ヒルティが,「ベッドについたとき,あくる朝起きるのが楽しみな人は幸福な人だ」と述べています。疲れてベッドに入り寝ることが楽しみと思ったり,明日起きるのが嫌だというときには,幸福ではないことになります。起きるのが楽しみとは,する楽しみがあるということです。何をするのでしょう。仕合わせることがあると考えた方がいいようです。
 フランスの劇作家ジャン・ラシーヌは,「幸福は分かち合うようにつくられている」と述べています。また,釈迦は,「幸福は愛他精神から生まれ,不幸は自己本位から生まれた」と語ったそうです。
 人権とは,人が幸せになる権利です。その権利という概念が幸福につながるためには,相手の権利を擁護仕合うことが必要になります。人権擁護,それは委員のみが行うことではなく,一人ひとりが仕合うことで共に仕合わせになる仕組みであると考えるべきです。権利を侵害することは自ら幸せから遠ざかることになるという先人たちの教えを思い起こすべきです。
 人権宣言にある「互いに同胞の精神をもって行動する」,それは原則的な押しつけではなく,人が幸せになる願いであったと考える方が,啓発活動によろこびが重ねられるようです。
(2008年11月25日)