*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【縁は異なもの?】


 金は天下の回りものといいますが,回ってこない天下の穴ぼこもあるようです。ところで,「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」では,「貨幣は,額面価格の20倍までを限り,法貨として通用する」と定められています。例えば,210円の代金を支払うために,10円玉を20枚を超えて21枚出したとき,店員は「面倒だから」と受取を拒否することができます。もちろん,受け取ってはいけないというのではないので,どちらでも構いません。もちろん,20枚までという制限は貨幣に限られ,紙幣では無制限に使うことができます。
 良寛さんが,「銭を拾うのはうれしいものだ」と聞いて,試してみることにしました。銭を放って拾ってみる。何度繰り返しても,ちっともうれしくありません。人はいい加減なことをいうものだと思いながら,もう一度遠くへ放ってみました。勢いのついた銭は転がって,どこかへ行ってしまいました。慌てた良寛さんは必死に探し回りました。ようやく見つけたとき,なるほど銭を拾うのはうれしいものだと思ったとか。
 「うなるのは嘘だが金はものを言い」という江戸川柳があります。金がうなるほどあると言います。うなりはしないがものを言って,威力を発揮することが多々見られます。金の力というものは,古代から人の関係に密接に絡んできました。法の世界の実際面でも,金銭判決の原則がローマ法に源を発して続いています。民事的に責任を取るという場合,元通りに戻せとか,代わりを差し出せとか,誠意を見せよとか,いろいろな要求があります。しかし,金銭というものに託して,支払うことで事態を収拾する方が現実的になっています。
 天下は金が回っている部分だけではありません。そこでは,金の力は無力です。また,金の切れ目が縁の切れ目といいます。人と人の縁が切れたところで,傍若無人の振る舞いが発生します。人を人と思わない不祥事が起きてしまったとき,当事者の人権意識のゆがみを明らかにし,正していく地道な取組が求められます。当初の措置としては,被害者への助言という援助や当事者間の関係の調整があります。さらに,事実が確認された場合には,事案の程度や態様に応じて,当事者に直接行う説示,文書による勧告,監督者に行う要請,関係行政機関への文書通告,刑事訴訟法による告発といった措置となります。
 因縁果報という言葉があります。普通には,単純化して因果だけを考えます。種があるから実がなるといったように,原因があるから結果があるということです。ところが,種があっても実はなりません。種が大地や太陽と縁を結ぶことが不可欠です。さらには,実が鳥獣の餌という報をもたらすから,互いに共生できます。人も縁に恵まれていれば,自らの幸せのみならず周りを幸せにする報いをもたらすことができます。見えないけど存在する縁を大切にするようにしたいものです。

(2010年04月03日)