*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

人権メモの目次に戻ります

【合わせる?】


 衣服の変遷を見ると,埴輪の服から,7世紀に中国風の唐衣に,さらに平安朝になると十二単になりました。中世になると,上に着ていた袿(うちぎ)を取って,肌着であった小袖が上着になります。埴輪の服に戻っていきました。肌着だったので無地でしたが,だんだん色や模様を付けるようになりました。これが和服の原形です。埴輪の時代はイヤリング,ネックレス,ブローチ,腕輪などの装飾品がありましたが,衣服自体に装飾を求めたので,全部捨ててしまいました。
 和服そのものを美しくする方向に向かい,桃山の小袖という豪華絢爛たる着物が現出されました。宮崎友禅斎は,着物の絵が一つ一つ手書きであったものを,型紙を作って絵の具を刷り込み,同じ模様,同じ色のものをいくつも作れる印刷式を発明しました。これが友禅染の起こりで,西陣の名を有名にしました。
 生地ですが,欧州の綾織りと違って,着物は全部平織りでできているので,直線裁断しかできません。そこで,仕立ては直線裁断です。曲線裁断ができないので,身体のプロポーションに合わせたキチッとしたものが作れません。着物はふわっとした無駄な隙間がありますが,それが湿気の高い風土に合っています。
 着付けるときにプロポーションに合わせて着せるので,なかなか自分で着られません。民族衣装の着付け教室があるのは,日本だけでしょう。洋服は仕立てるときにデザインが完成しますが,和服は着付けるときに決まる未完成デザインの衣服です。ただ,都合のよいことに,直線裁断だと重ね着ができて,寒暖の調節ができます。さらには,ゆったりしているので,ほかの人にも合わせることが可能です。
・・・・・《参照=樋口清之:日本の風俗の謎:大和書房》
 食についても,西洋料理は味が完成された状態であるのに対して,和風料理は調味料で食べる人が今の自分に合わせるというゆとりがあります。暮らしの基本である衣食住の中の衣食に見られるように,人と物事の関係の持ち方も違って見えてきます。一人一人の個人に完全に合わせていく西欧の考え方に対して,物事をある程度整えるが詰めを不完全なままに留め置いて,臨機応変に個人に合わせていくのが,和の考え方のようです。
 悩み相談という営みは,世間の常識というある程度は決まっているようで細部が曖昧なものを,個々人の事情に合わせて着付けをすることと考えることができます。
(2011年11月29日)