*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【移想?】


 アパートの表に「貸し室あり。ただし子どものある方お断り」という張り紙がしてありました。管理人室に小さい男の子を連れた婦人が部屋を借りにやってきました。管理人が「張り紙をよく読まなかったんですか? 子どものある人お断りと書いてあるでしょう」というと,婦人が連れている男の子が,「ぼくには子どもはありません。母親がいるだけです」と答えました。
 「道に落ちていた縄切れ一本を拾ったというので捕らえられて罪になったよ」。「縄切れ一本くらいでどうして罪になるんだ?」。「縄の先に牛が一頭ついていたんだ」。
 「塩の美味しい食べ方を知っているか?」。「塩なんかどうすると美味しくなるんだ?」。「焼きたてのステーキに振りかけるんだ」。
 シャツからボタンが取れたのを見て,ある人がこう言いました。「ボタンからシャツが取れた」。
 クリスマスの夜,サンタクロースがプレゼントして歩くのをみんな喜んで待っているのに,ひとり怒っている人がいます。誰でしょう? サンタクロースの奥さん!

 「ふたりのロッテ」を書いたドイツの作家ケストナーは,子どもを対象にした読み物に両親の離婚を扱ったことへの非難を予想して,言っています。「わたしはその人に,この世の中には離婚した両親がたいそうたくさんいること,そのためにいっそうたくさんの子どもが苦しんでいること,また他方,両親が離婚しないために苦しんでいる子どもがたいそうたくさんいることを,話してやりましょう」。

 芥川龍之介が作品の中で教えてくれています。二宮尊徳が少年時代に働きながら勉学に励んだという立志譚は,尊徳に名誉を与えるものです。しかし,尊徳の両親には不名誉を与えています。尊徳の教育に寸毫の便宜も図らず,寧ろ障碍ばかりであったことを示しているからです。両親としての責任上恥辱であるのに,立志譚を子どもに話している大人は気がついていないのです。

 物事を語り考えるとき,大きい方,重い方,価値ある方,関心ある方にとらわれやすいものです。小さな問題を常識的に見くびっていると,裏に大きな問題が連なっていることを見落とします。時として,当事者自身も気がついていないことがあります。着目点を意識的に移してみることも,問題理解に役に立つでしょう。
(2014年03月31日)