*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

人権メモの目次に戻ります

【生変?】


 ニュートンは生まれつき器用だったので,少年時代は細工物に熱中し,学校の勉強は怠けていた。そのため,成績が悪く,クラスでは劣等生としてバカにされていた。
 ある日,ニュートンは,本物とそっくりの水車を作り上げた。それは非常によく動き,近所の大人たちが感心するので,学校へ持っていったところ,級友たちは大いに感心し,ニュートンの器用さを口々にほめたたえた。
 ところが,クラスの首席の少年だけは,こういったのである。
「ふん,確かによくできているね。本物そっくりだ。ところでね,きみ,この水車が動くのは,どういう理論によるのか説明してくれないかね」
 日頃の不勉強がたたって,ニュートンはどうしても説明することができない。立往生した彼を見て,秀才少年は
「おい,理論的に説明できなきゃ,学校で勉強している意味がないじゃないか。器用なだけなら,町の大工のほうがきみより上だよ」と鼻でせせら笑った。
 すると,いままで感心していた他の級友たちも,ニュートンをバカだとののしり始めたのである。
 この侮蔑に,ニュートンは思わずくやし泣きに泣き,机の上にうつぶしてしまった。しかし,その翌日からニュートンは,生まれ変わったように勉強家になった。そして,まもなく,自分をバカにした秀才少年を追い越して,クラスの首席を占めるようになった。
 「あのときバカにされなかったら,私は学問の道を歩むことはなかっただろう」
 後年、ニュートンはよくこう述懐したという。

 侮辱されることは人権侵害に当たるでしょう。しかし,その侮辱によって,天才が目を覚ましました。子どもの可能性を引き出すことが教育ですが,引き出すのはあくまでも本人でなければなりません。可能性を引き出す意志を本人が発揮しなければ,ことは始まりません。侮辱という負の気持ちをバネの引き絞りに変えて,その跳ね返りによって自らの正の力を引き出すことが起こります。発憤するという人の資質をいかす上で,侮辱も必要になります。一概に,正邪を論じられるほど,ことは単純ではありません。
(2014年08月03日)