*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【異伝?】


 江戸の将軍の生活は,朝6時起床,洗顔とうがいを済ませ,御仏間で代々の位牌を拝した後休憩,その後朝食です。献立は汁と魚(同じ魚の塩焼きと付け焼き)にご飯。ただし,1日,15日,28日の三日はタイやヒラメなどの焼き魚が出ます。将軍だからもっといいものをと思われますが,一汁一菜の質素なものでした。
 家康の遺訓「神祖御文」に「食べ物も,いつも美味ばかりではうまいものではない。平日のものは軽味がよく,美食は月に二,三度でよい」とあるからです。確かに一理があります。しかし,こんな食事では物足りないと思った将軍もいました。八代の吉宗です。
 普段から武芸を嗜み,身体を激しく使う鷹狩りを好んでもいたので,油を落としたパサパサの魚に汁という食事では精力不足で我慢できませんでした。早速,インド産の乳牛三頭を房州嶺岡に放牧して牛乳を取らせ,江戸城まで運ばせて飲んでいました。また,牛乳から酪というバター状のもの,チーズを作らせて珍重していました。
 食事については,美味しく食べるということと,健康を維持するということを,考え選択する必要があります。また,材料として,既に在るもので済ませるか,なんとかして新たなものを取り寄せるか,という選択もあります。食事以外,一般に選んで決めるということには,何についてという目的と関連する前提が必ず存在します。どういう状況にあるかという多様な視点を抜きにすると,他者の選択に対する是非の判断を誤ります。江戸時代の将軍の食事の話に,そうだと同意することもあれば,そうかとただ聞き流すこともあります。その受け止めの違いは,状況の違いが関わっているからです。
 いろんな形で聴き取っている他者からの話には,自分はこう思う,こうしている,といった選択が含まれています。同じ境遇であれば,話は違和感なく通じます。また,相手の状況を的確に読み取っている場合は,素直に受け止めることができます。そうでないときは,どうしてそうなるの,という戸惑いや不明さが紛れ込んできます。伝えたはずが伝わっていない,そういうことが起こることを,お互いが分かっていなければなりません。

(2022年08月21日)