*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【自名?】


 わたしは何者? 日本人。倭人ではないの? 漢書,後漢書,三国志などに登場する呼び名は倭でした。人のことは倭人,王は倭王,倭国王と記されています。倭という文字は「背が曲がって低い」「醜い」「人に従順なさま」といった意味があって,いい意味で使われる漢字ではありません。当初は中国側の言うままに倭と名乗っていましたが,漢字の知識が広まるとともに,倭という文字を嫌い,自ら国名を考え,名乗るようになっていきました。
 645年(大化元年)7月,朝鮮諸国の使節に対して、日本側は「明神御宇日本天皇」と称し,これが初めて歴史書に「日本」という文字が登場したケースだそうです。648年には,日本から唐に行った使者が,「倭国は、自らその名を嫌って,日本と改めた」と語ったと,旧唐書に書かれています。
 日本という新たな国名は,607年,遣隋使の小野妹子が隋の煬帝に渡した国書に由来すると考えられています。「日出づる処の天子,書を日没する所の天子に致す。恙無きや」という国書の言葉を元に、日本という国名が考えられたとみられています。因みに,国内で正式に「日本」という国号を使ったのは,701年に成立した「大法律令」が最初です。
 日本という文字は「ひのもと」と読まれていました。日が太陽を意味するので「に」ではなく「ひ」が自然でしょう。800年頃,中国とのやりとりが盛んになった奈良時代に,中国人が「日本」を「ニエットプァン」と発音したのをまねて「にっぽん」と呼ぶようになったと考えられています。室町時代になると「にほん」と呼ぶようになっていき,現在まで両方の読み方が使われています。
 人権が他者からの支配を受けないことであるとすると,自分のことは自分が決めるということが必至です。自分の国の名前も自分で決める、それが自立という人権意識の出発となります。そう考えてきて,はたと気がついてしまいました。人は誰も自分の名前を自分で決めてはいないということです。誰が決めたか,親です。昔は幼名から自分の意思で改名できていましたが,今はしていません。これは人権侵害ではないのでしょうか?

(2023年08月01日)