*****《ある町の人権擁護委員のメモ》*****

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【辞礼?】


 電車に乗っているとき,「次は○○」と案内されますが、「今出てきたのは□□」と振り返えられることはありません。人は常に次に向かっているのです。足の動きも前向きで,後ろ向きには機能しません。人生の歩みは、今日ここから明日に向かって一歩先に進んでいくだけで、昨日までのことを振り返ることはしていません。
 少しだけ振り返ってみると、令和5年12月に任期末を迎え,人権擁護委員の門標を玄関の壁から剥ぎ取り,小引き出しに収めていた徽章を収めている小箱を取り出し,さらに貸与書籍の札が張り出されている数冊の書籍を本棚から抜き出し,まとめて法務局の袋に納めてついでの折に返却しました。返却すべき残りの人権擁護委員証票ですが免許証入れに納めて最後の法務局への訪問日まで携行していました。
 その後に取り組んでいることは、委員である間に整理していた各種の会議録、啓発資料、参考資料、年度毎にまとめてきた事業報告書などの慎重な始末です。今日の一歩を踏み出すためには、今日につながる動きを報告等から見定める必要がありました。どのような実践も連続した進捗が必須です。でも,人権擁護委員としての明日への一歩を踏み出す必要がなくなりました。
 平成15年1月から委員を7期、平成16年から常務委員,平成21年に副会長,平成23年度から協議会会長を務めましたが,長かったという感じはありません。推薦地の活動から県連,全国の委員会参画まで,いずれもつい昨日のことのように思い出されます。手元の資料を廃棄に向けて確認をしていると,人権擁護委員の使命に共に取り組んでいただいた委員さん方の優しい笑顔が思い出されます。
 特別な活動を振り返ると,点字ブロックの点検調査,大型商業施設での人権の花合同パネル展,隣接協議会との合同研修会,地区別の法務総合相談の実施,全連総会の開催などは,協議会としての実践経験からは失われていきますが,時勢に適った活動を目指していく以上は仕方がありません。
 平成22年に点字ブロックの調査に関する協議をすることを発端として、協議会の運営を全般的に協議提案する総務委員会を発足させました。その後,会長からの諮問にも応えた答申をいただくなど協議会の要の役割を担っていただいています。
 平成24年度に開かれた準備会の議論を踏まえて,平成25年から人権教室推進委員会を発足させることができました。人権機関ならではの人権啓発を実践するための協議と理念の共有を目指していただいています。
 平成23年度の県連のアンケート調査から、相談活動から救済に向けて一歩進んだ調査活動に関わりたいという委員の思いを受けとめる機構を整備する動きがはじまり,24年度に各協議会より委員が出てきて、「救済検討委員会準備会」が発足し、平成25年度に「救済検討委員会」の活動開始に向けた作業に参画させていただきました。この委員会は今でも全国唯一の組織です。
 各年度毎の「SOSミニレター報告書」,子どもを巡る人権問題〜活動の手引き〜,人権救済検討委員必携,といった活動の基礎データーなどの資料を委員による相談・救済・啓発の活動にいくらかの支援になればと願って提供させていただきました。
 実践的な活動の推進については各専門部会長にお任せしつつ,全体の方向性については各種会議や打合せ等を通じて組織体の整備と展開に幾ばくかの関わりができたことは,とても光栄なことであったと振り返っています。
 平時の協議会活動の情報共有を確保するために「○○協議会だより」を毎月定期発行しました。毎号の紙面内容についての校正確認等には法務局職員の方のご指導をいただいたことに心よりお礼を申し上げます。
 当県で最大人数の協議会であり,必要な委員会・部会を設置していくことができ,熱心な実践を進めていただいていることには,常に感謝をしておりました。その活動を支えていく上で歴代の事務局を引き受けていただいた委員の方々には大変なご苦労をかけていることには感謝しかありませんでした。さらには,人権擁護員として共に過ごしていただいたたくさんの皆様に心よりお礼を申し上げます。
 今後の協議会の皆様の輝かしい活躍をお祈りいたします。

 令和5年12月31日を以て,21年間の人権擁護委員の任務を終えることになりました。人権という分野で,いろんなことを学ばせていただきました。今後は,この欄では,「元人権擁護委員のメモ」として,人が「幸せに生きること」に必要な情報を求めていきたいと思っています。

(2024年01月01日)