□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ [2003/03/17]            【子 育 て 羅 針 盤】                               (第128号) □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□  間違いと失敗は,我々が前進するための訓練である。                          ・・・・・チャニング  間違いと失敗は,子どもが成長するための訓練である。                      ・・・・・H.モリのクマさん ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ ★ママの?★       『ママはなぜご飯茶碗を決めているのでしょう?』                               (第58号) ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  配膳のお手伝いをするとき,ご飯茶碗がいろいろあることを知りました。パ パのお茶碗は一番大きなもの,次がママの茶碗,キャラクターの描かれている のがボクと妹のものです。お箸もそれぞれに決まっています。味噌汁椀やお皿, スプーンなどはみんな同じなのに,どうしてなのかな?  昔,米などの穀物は神聖であり,感謝の気持ちを表すために,手のひらに受 けて頂いていました。やがて,手のひらが葉っぱに,そして茶碗になりました が,感謝の気持ちは受け継がれました。自分の手のひらの代わりですから,自 分専用の茶碗になったのです。  ご飯茶碗とお箸だけが専用になるのは,いずれも神聖なお米に触れる食器だ からです。カレーライスはお皿とスプーンで食べますが,昔はそんな食べ方は なかったので仕方がないですね。先人の思いは忘れられて形だけが残っていま すが,ご飯を食べなくなると形も消えていきそうです。  ママのママの,ずっと昔のママは,お米を食べられることに感謝していたん だと思うと,ボクも何となく感謝したくなってきました。 ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ ★子どもと一緒に12章★         『先を行く ママの歩みに 追いすがる』                              《第10-11講》 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  ■はじめに  這えば立て,立てば歩めの,親心。過ぎ去れば,子どもの成長は節目として 思い出すことができます。でも,子育て真っ最中では,成長はなかなか見えな いものです。親とは欲張りなもので,出来の悪い子を持った不幸と嘆きながら, バカな子ほどかわいいと,わけが分かりません。  実は,この相反する子ども観は時期が違っています。嘆くのは子育て真っ最 中,かわいいとは子育てが終わって振り返っているときです。悪戦苦闘が過ぎ た後は,かえって気持ちの充実感を味わうようにできているのが親業です。終 わりよければ全てよしということですが・・・。  親がいくら嘆いても,それで子どもの育ちが促されるなら意味もあります。 でも,結局は子どもとはかわいいものと思った方がいいという結論を導き出し ているのは,嘆いたところで大した効果はないと分かったからです。子どもの 育ちは子どものもの,親はハラハラジリジリすることなく黙って見ているしか ありません。  親は子どもの傍を一緒に歩んでいきます。大人は歩くペースが早いですから, どうしてもジリジリします。あくまでも自分のペースを守ろうとすると,イラ イラは子どもに向かいます。どうしてそんなに鈍いのか,というわけです。自 分の方がペースを落とせばイライラしなくなることに気付いたとき,親になる ことができます。  二人目の子どもを育てるときは,ほとんどの親が子どものペースに合わせる ことを学習しています。だから,ゆったりと育ちを見守れます。二番目の子ど もがノビノビ育つのは,親として上級生になっているからです。  この経験から出てくる子育ての知恵は,子どもの育ちの全期間が見えると, 気持ちに余裕が生まれるということです。始めての道を往くときにはまだかま だかと思いますが,帰り道はゆったりとした気持ちになります。目標が見えて いるとペースを守れますが,目標が見えないと焦りが出てくるものです。子育 てにおける目標は,近くにいる大きな子どもたちです。あの子まで育つんだと 見ておいてください。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  【質問10-11:お子さんと一緒に歩いてみませんか?】      ・・・・・「一緒に歩く」という内容について,説明が必要ですね ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  ○転ぶ?     お子さんが生まれて始めて立ち上がったとき,どんなにうれしかった    でしょう。ほんの一瞬ですが,倒れそうになって最初の一歩を踏み出し    ます。ぎごちない立ち姿を笑ったりはしませんでしたね。一歩が二歩に    歩みの数が増えていきますが,今にも転びそうでハラハラさせられて見    ていられません。     テーブルや壁につかまって伝い歩きをします。不安定ですから,転ば    ないようについ子どもの身体を支えてやりたくなります。その気持ちは    十分に分かりますが,ちょっと待ってください。子どもは自分の力で歩    こうとしています。もしも親が支えてやったら,子どもはその支えを頼    りにした力の配分を覚えていきます。親の支えなしで歩けるようになっ    て欲しいですよね。     親はなぜ子どもを支えるのでしょう? 転ばないためですね。でも,    転ばないように支えると自分で歩く練習にはなりません。歩く練習は転    ばなければできないのです。転びそうになる身体をどうすれば踏ん張れ    るかを練習しています。転ぶから転ばない練習になります。絶対転ばな    いという条件のもとでは,歩く練習にはなりません。     親が心配することは,転ぶことの先にある怪我です。転んだら危ない    ということです。親の保護責任は子どもを転ばせないことではなくて,    転んでも怪我をしないようにすることです。転んでもいい,でも怪我を    しないようにモノの角の方に親の手でクッションを作っておくのです。    子どもを直接支えるのは保護ではありません。保護とは環境に潜む危険    を取り除いてやることです。     たくさん転びます。やがて転ばなくなります。それが子どもの育ちで    す。できないことをできるようになるためには,できない目に遭わなけ    ればなりません。どうすればできるようになるか,それはあれこれやっ    てできる方法を探し出すしかありません。     子どもを支えるのが過保護です。過保護にしたら育ちの邪魔になるこ    とを分かっていただけましたか。保護とは子どもに転ぶチャンスを与え    た上で,危険に対する予防措置を施すことです。できないとつい手を出    したくなる,それが保護だと勘違いしないでください。     ・・・《転ぶから転ばないようにしようとして歩くことを覚えます》 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  ○心配?     子どもは高い高いと持ち上げられるのが好きです。キャッキャと喜ぶ    から,パパは肩車をしてやったり,空に向けて子どもを持ち上げます。    喜ぶことをしてやりたい,それが自然な親心です。ママはハラハラしま    すが,子どもは全然怖がらないですね。幼い子どもは怖いということを    知らないからです。     道を歩いていても,わざと縁石の上を歩こうとします。小高いところ    があればすぐに登ります。わざわざ危ないところを選んでいるようで,    ママはわざと心配させていると思うかもしれません。でも,子どもは自    分の力を試したくて仕方がないのです。ママも覚えがあるはずです。何    か一つ料理のコツを覚えたら,やたらとあれこれ試したくなるでしょう。     自分を試したい,それが意欲の源です。できる自分を喜びたいのです。    それを機能快と呼びます。能力を使えることが面白くてしようがない,    育つ力とは快感でなければ長続きしません。まず,そのことを十分に受    け止めてやることが親の務めです。     それでも,やりすぎると危ないのは経験から明らかです。このことは    大人には明らかですが,子どもにはまだ分かりません。経験からやりす    ぎると危ないことを学ばなければなりません。子どもは育ちの中で,や    りすぎて痛い目に遭うことを体験します。転けてすりむいたり,青あざ    を作ったり,心配ばかりかけます。     お袋には心配ばかりかけたな。誰でもそうして育ってきました。ママ    が子どもの心配をするとき,ママは自分の親にかけた心配を取り戻して    いるのです。どうして私だけが・・・。それは違います。心配してくれ    る親がいる,だから子どもは真っ直ぐに育とうとします。ママがそうで    あったはずです。     心配のあまり子どもに自分のイライラをぶつけてばかりいると,子ど    もはママが自分のペースに無理矢理合わさせようとしている,心配なん    かしてくれない自分勝手なママだと受け取ります。親は心配なんかして    いないと言うような子どもに育ちます。心配を心配に留めておくことが    できるかどうかは,子どもの育ちを信じようとしているかどうかです。     ・・・《信じているけど心配になるか,心配だけど信じているか?》 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  ○歩く効用?     子どもが歩くことを厭うようになっています。大人も普段乗り物を利    用していて,健康のためにわざわざ時間を使ってジョギングをするとい    う無駄なことをしています。職住分離の世の中ですから,毎日出かけて    います。例えば,乗り物を一区間短縮してその間を歩けば趣味と実益が    一致します。ちょっとだけ早起きすれば事足ります。     子どもは毎日雨降りでも学校まで歩いていきます。参観日など,親は    車で学校に向かいます。情けないことです。校区内に親と一緒に出かけ    るときも,ママが車を持っていると,車でなければ嫌と言う始末です。    でも,ほとんどはママの方がそう思っています。     歩くことは健康にいいことですね。だったら,健康な生活を子どもに    与えるためには,なるべく歩くようにすることです。食事の健康にいく    ら気配りをしてやっても,その食事の使われ方に心配りしなければ詰め    を欠きます。歩くことは誰でも簡単にできることです。     歩くことを苦にしているから出会いがありません。触れ合いがありま    せん。肩が触れたらにらみます。行き交う人を邪魔だと感じます。歩い    ていると,車に乗っている人は閉じこもっている人です。車と人では加    害者被害者の関係しかないので,お互いを避けようとします。都会では,    歩くことに用心をしなければなりません。     歩くことが面白くなれば,歩くことが苦にならなくなります。歩いて    いると道すがらの場所に居合わせることができます。道の右側を歩くか    左側を歩くかで,風景が異なります。風を感じます。臭いがあります。    光と影もあります。店があり,樹があり,水たまりがあり,よその人の    暮らしや仕事が目に飛び込んできます。     お子さんと一緒に歩きながら,きょろきょろしてください。見ていな    がら後で思い出せないことがあるのは,観ていないからです。見えるも    のを言葉で表現し,その意味を話してやってください。草花が咲いてい    ると,季節が分かります。自転車が飛び出してくると,角は危ないこと    が分かります。太陽の光の温かさが分かります。歩くときは身一つで開    けっぴろげになり,周りと直接に触れあえます。いろんな意味で自分を    知るチャンスなのです。   ・・・《人は歩くことで知恵が身についた遠い生い立ちを持っています》 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  ○歩く姿?     中高生の歩く姿がしゃきっとしていません。服装は好みですからどう    でもいいことですが,颯爽と歩いて欲しいものです。若すぎるくらいに    若いのに,疲れた歩きを見せて,魂を抜かれたような哀れなさまです。    背筋を伸ばしてしゃんとした立ち姿が美しさの柱であると思わなくなっ    たのでしょうか?     ツンとお澄ましな風情はブリッコと嫌われていたようですが,だから    といって腰をかがめた卑屈さが価値あることでもありません。歩く姿を    きちんとしようとすると,自然に背筋が伸びて姿勢が真っ直ぐになりま    す。どうでもいいという歩きをするから,土台が揺れて全体が崩れてい    きます。     靴の踵を踏みつけて歩く生徒がいますが,足元の動きが不安定になり,    しなだれかかるような歩みになります。地面をしっかりと蹴ることがで    きないからです。モデルの美しさは,その歩き方からはじまっています。    美しさには立ち居振る舞いの型があるのです。モデルではないから関係    ない,どんな歩きをしても迷惑をかけているわけではないから構わない    で,というのが今風ですか?     オシャレを問題にしているのではありません。歩く際の緊張感です。    歩く姿勢を長時間きちんと保つことに慣れておかないと,じっと座って    いられなくなります。子どもが授業中おとなしく座っていられないと,    勉強が滞るようになります。ちゃんとした姿勢が当たり前になっていれ    ば,座っていることは苦になりません。     授業時間と同じ45分間を颯爽と歩き続けることができれば,おとな    しく座っていることは何でもありません。10分ほど歩いただけで疲れ    るようでは,45分間の授業は苦行になります。おとなしく座っていら    れないのは,歩く際の姿勢を保つ筋力が鍛えられていないからです。歩    くとは足だけの運動ではないのです。     日本の踊りは手の踊りであり,西洋の踊りは足の踊りです。盆踊りと    バレーやフラメンコとの違いです。日本人は足の使い方が上手ではあり    ません。そこで,歩き方が洗練されずに,日本人が卑屈な印象を持たれ    ていました。西洋式の生活になっても,まだまだのようです。歩き方へ    の関心が必要です。         ・・・《出歩くと疲れるようでは,美の修行が足りません》 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  ○走る?     走ると危ないよ。どうして危ないのでしょう。車は急に止まれない。    だから,危ないのですね。もちろんつまずくこともあるでしょうが,止    まらないことの方が大きな危険因子です。廊下を走ってはいけないとい    う注意も,止まらないことから生じる衝突を回避するためです。     車の運転では,曲がり角や交差点では一旦停止か徐行しなければなり    ません。徐行は歩くことに対応します。歩くのは安全なのです。朝出が    けに「行ってきます」,「いってらっしゃい,気を付けてね」と声を交    わします。何に気を付けるのでしょう? 歩いていくことは安全なのに。     スピードの時代には,歩く速さ以上のものがあちこちで動きまわって    います。自転車や車などは言うに及ばず,走る人もぶつかられると危害    を受けます。全てが歩くスピードで動いていれば衝突による事故はほと    んどないことでしょう。危険は向こうからやってくるから,気を付けな    ければなりません。     走ることは凶器になります。自分はただ走っているだけで,危害を加    えようという積もりは全くないといっても,事故は起こり得ます。人は    被害を受ける弱い身であるということと,走るだけで加害を与える強い    身であることを弁えなければなりません。     待ちわびたパパが帰ってくると,お子さんが「パパ〜,お帰りなさい」    と思いっきり走り込んでいきます。がっしり受け止めてくれると思って    いるから,遠慮がありません。同じ調子で友だちにぶつかっていったら,    たまりませんね。自分の力を測れないと,事故になります。相手に合わ    せた力加減をすることが必要です。     自分の安全性には敏感なのに,自分の危険性には無頓着な若者が増え    てきました。身の安全を守るためにナイフを携行してしまう怖さがあり    ます。一緒に歩いていて,何が怖いのかを親子でしっかり見極めてくだ    さい。それがリスク管理の発端です。           ・・・《歩くのと走るのでは立場の逆転が起こります》 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  ○一歩?     千里の道も一歩からです。千里といってもピンと来ませんね。1里は    3.9kmですから,千里は3900kmです。日本列島をぐるっと一回り    ぐらいでしょうか。歩幅50センチでほぼ800万歩です。どんなに遠    くても一歩一歩の積み重ねで到達できますが,それにしても遠いですね。     そこまで勘定しなくても,人の歩きは結構な距離を移動可能にするも    のです。山登りをした方なら実感しているでしょうが,遥か向こうにそ    びえ立つ山頂まで,歩いていくことができます。山頂に立つと,よくも    ここまで歩いてきたものと,我ながら感心します。     普段乗り物で行き来をしているところまで,例えばストなどで歩かざ    るを得ない場合があります。実際に歩いてみると,思ったよりあっけな    く届いてしまいます。年寄りが昔は歩いていたと語る距離は今考えると    結構な距離です。歩く力を見くびることはできません。     ただひたすら歩いていけば,遠いと思えるところまで辿り着くことが    できるという経験は,継続は力という言葉を実感として身体に教え込み    ます。歩くことだけではなく,できそうもないと思うことでもこつこつ    と続けていればやり遂げることが可能だと,自分の力を信じるようにな    ります。     いまどきの子どもは根気がないと言われますが,それは根気の成果を    身をもって体験したことがないからです。自分の力を信じる体験として,    長い距離を歩き通した実績は大きな意味を持っています。一歩一歩の積    み重ねをすれば必ず辿り着ける,それが信じられたら根気は出てくるは    ずです。     ちょっと歩いただけでもう駄目だと止めてしまう,自分の足を信じら    れなくて,どうして自分の力を信じられるでしょう。信じるためには,    具体的な対象が必要です。頭の出来などという曖昧なものではなくて,    手の力,足の力を信じることから始めるべきです。それは決してそのと    きどきで変動することはないからです。        ・・・《ずいぶん遠くまで歩いたねと振り返ってみてください》 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞  《一緒に歩くとは,子育てのあれこれが詰まった宝庫です。》 ※口で説明する知識はすぐに忘れます。一緒に行動しながら意味を伝えれば, 後で同じ行動をしたときに思い出すことができます。学びは手で覚えるのが一 番ですが,知恵には足で覚えるものもたくさんあるのです。  意味のある行動をできるようになることが育ちです。いくら行動的でもそれ が無意味であれば,行動ではありません。行動とは行く動きと書きます。行く とはどこかに向かって歩くことと重なります。どこに向かって動くのか,それ が意味なのです。  【質問10-11:お子さんと一緒に歩いてみませんか?】    ●答は?・・・自信を持って,「イエス」ですよね!? □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ★編集後記★  お届けした「子育て羅針盤」第128号は,いかがでしたか?  子どもにとって一つの年度が終わりますね。一学年を無事終了するわけです。 毎年繰り返しのようですが,螺旋階段を昇っていくように,去年とは違った一 つ高い螺旋に辿り着いています。成長も一歩一歩進みます。確実に前に歩んで いるのですから,心配はほどほどにしてくださいね。  この第10版も残すところいよいよ後2回になりました。いつものことです が,第11版をどのようなものにするか,考えているところです。何かよいア ドバイスをお持ちでしたら,ご提示ください。お待ちしております。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ ※ご案内※  ●モリのクマさんのホームページは ・・・「徒然窓」=      http://www5a.biglobe.ne.jp/~mbear/   です。「子育て羅針盤」の「バックナンバー」,〜「掲示板」,     週刊「今週のコラム」,「子育ち12章(Ver.1〜8)」,     「子育て心温計」などの受賞論文,養育アンケート調査結果,     社会教育・ボランティア組織活動の指導者用テキスト〜    などを掲載しています。 ・・・是非訪ねてみて下さい。・・・  ●大小問わずPTAや家庭教育学級などでの《講演》のご依頼も承ります。   関心をお持ちの方は,メールで気軽にお問い合わせ下さい。   プロフィールをお知りになりたい方は上記のHPを参照してください。   なお,クマさんの本拠地は福岡市近郊です。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ ☆予告☆  次号では,  【質問10-12:お子さんと一緒に跳んでみませんか?】 について考えます。どうぞお楽しみに! □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ○タイトル:『子育て羅針盤』 [Kosodaterasinban] ○発行期日:2000年09月25日より,毎週月曜日正午 〇発行責任:モリのクマさん(詳細はHP「徒然窓」〜プロフィールに) ○著者連絡: mori-bear@mvd.biglobe.ne.jp  〇転載許可:必ず事前に,モリのクマさんまでメールのご一報を下さい。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 〇配信の協力を頂いている発行支援システム  ◆インターネットの本屋さん『まぐまぐ』= http://www.mag2.com/    登録・解除= http://rap.tegami.com/mag2/m/0000046251.htm  ◆メルマ***『melma!』= http://www.melma.com/    登録・解除= http://www.melma.com/mag/37/m00019737/  ◆読者と発行者を結ぶ架け橋『Pubzine』= http://www.pubzine.com/    登録・解除= http://www.pubzine.com/detail.asp?id=9104  ◆無料メルマガ発行サービス『メルマガ天国』= http://melten.com/    登録・解除= http://melten.com/m/2166.html  ※解除される方は,登録された配信先の解除手続きをして下さい。 ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○