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「第 52-14 章」 |
『子育ちは 子どもらしさを 土台にし』
■子育ち12疑問■
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『子育ち第14疑問』
【親が養成するが,子どもは促成されるとは?】
《まえがき》
この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが版の構成となります。
第1の誰が育つのかという問には,鏡に映っている自分を見ているもう一人の自分が育つと考えます。しっかりしろと自分を励ましているもう一人の自分が育たなければならないのです。これまでの子育て羅針盤の形式に添って,奇数章では,もう一人の自分の育ちを考えていきます。偶数章では,人は社会生活が必至なので,自分は他者と対等な関係を持つことができるように育つと考えていきます。他の5つの視点についても,同様とします。
この版では,大人と子どものすれ違いを題材にして,「子育て」と「子育ち」という対照について考えてみようと思っています。
《養成》
しっかりした子どもを育てようと,親は思います。そういう子どもを育てなければと思い込んで頑張っているかもしれません。その頑張りが子どもに向けられていきます。我慢できる子ども・一人でも頑張る子ども・弱音を吐かない子ども・人に迷惑をかけない子ども,といった子ども像は,社会の中で生きていく上で大事なことです。誰もが正しい目標であると信じているでしょう。建前として口にして他者には求めますが,大人自身はそうではあるが・・・という別の本音も聞こえてきます。
人に迷惑をかけないようにしているから,人と関わろうとしなくなり,縁が薄くなっていきます。付き合いの範囲がグッと狭まって,異世代や異業種の人間関係がなくなってしまいました。迷惑をかけないように自分は頑張っているから,自分に迷惑をかけてくる人を非難するようになります。基本的に人間関係は自分の思い通りにならないので面倒なものです。その面倒な目に会わされることが迷惑だと思ってしまうようです。親の思いは子どもに伝染して,付き合いが苦手という育ちを強いられます。
《促成》
走っていて転んだとき,その痛みをこらえている子どもは,「我慢ができて,偉いね」とほめて導かれます。我慢することがいいこと,我慢しなければならないとしつけられます。我慢することは,一方で強がることになります。弱みを見せてはいけないという,自分を押さえ込むことを強いられます。子どもの育ちでは,早すぎるしつけになります。我慢して頑張って弱音を吐かず迷惑をかけないということは,大人でも難しいことです.いきなり子どもにそれを望むのは無茶です。あまりに促成育てです。
我慢も程ほどで,ちょっと頑張って,弱音も時には吐いていい,迷惑をかけるのはお互い様だから,そういうゆとりのあるしつけが,育ちには不可欠です。子どもができる我慢の限度を見極めて,完全さを性急には求めないことです。子どもらしさが失われた子どもは,ストレスを抱え込んで長い間に積み重ねていくので,いつか必ずはじけます。それは決してよい方向にはじけることはありません。我慢なんて意味ないと,逆に振れます。しっかりした子どもよりも,子どもらしい子どもであるように,ゆとりあるしつけをしてください。
家の外で仕事に頑張っている父親は,家の中ではゴロゴロとして頑張ってはいません。そのメリハリがあるから,父親は頑張っていられます。子どもも園や学校で頑張っています。家でも頑張らされたら,息が詰まります。ところで,子どもはゴロゴロしている父親しか知らないと,頑張ることを見ならうことができません。家の中や地域で頑張っている姿を子どもに見せるように,ちょっとだけ頑張ってみせることが父親の役割です。お疲れさまです。
★落書き★
蝶々という唱歌があります。「ちょうちょ ちょうちょ 菜の葉に止まれ。・・・」という歌詞です。2番があることは知られていません。「起きよ 起きよ。ねぐらのすずめ。朝日の光の,さし来ぬさきに。ねぐらを出でて,こずえにとまり,遊べよ すずめ,歌えよ すずめ」という歌詞です。作詞者は1番と違います。軽快な曲が蝶々のイメージにぴったりであったために,いつの間にか2番の歌詞は歌われなくなり,とうとう忘れ去られてしまいました。歌ってみてください。
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