*** 子育ち12章 ***
 

Welcome to Bear's Home-Page
「第 53-02 章」


『子育ちは 喜び分かつ 友がいて』


■子育ち12幸福■

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
『子育ち第2幸福』

【顔に表れた喜びは他の人にも喜びになる】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の方位構成となります。
 この版では,子どもたちが幸せに向かって育っていくことを願って,タイトルとして「アランの幸福論」に語られている言葉を選択し,子育て羅針盤の視点で考えてみることにします。

《幸福であるために》
 人の不幸は蜜の味といわれます。噂話や陰口は,人を貶めることに喜びを感じるから,蔓延っています。ましてや,自分の喜びは他の人にも喜びになるなんてことはあるはずもなく,周りの人の妬みや嫉妬を招くのが普通です。それでもなおかつ,共に喜ぶことがあるときこそが,幸福であるのです。周りの人に妬まれるような喜びは,本当の喜びではないということです。それでは,本当の喜びとは? 一言で言うとすれば,私の喜びではなく,私たちの喜びという形をしているのです。
 子どもの育ちを見守る中で,うちの子とよその子という眼鏡を掛けることがあります。どちらがちゃんと育っているかという比較をします。特に意識はしていなくても,人の目は違いを見つけるように機能しますので,差が見えてしまいます。育ちが遅れていると見てしまうと焦りが出て,喜びは無縁になります。子どもは他の子どもの良いところを見ならいながら育ちます。育ちの早い遅いは,子どもたちの育ちの中では抜きつ抜かれつです。大切な育ちの場にいることを,お互いに喜ぶようにしてください。

《幸福になるために》
 得意満面の笑顔で喜びを表現することがあります。ガッツポーズも同じです。プロの運動選手たちが,勝者としてインタビューを受けるとき,応援してくれたファンにお礼の言葉を述べています。自分の喜びを共に喜んでくれる人がいる,だから喜ぶことができると感じているはずです。もしも,一緒に喜んでくれる人が誰もいなかったら,喜ぶ気持ちは空しくなるでしょう。人は一人で生きているのではなく,生かされているといわれます。喜びも幸せも,共有できる人がいればこそ,心底浸ることができるものです。
 個性を前面に押し出す時代です。人との違いを意識し,違うために,いろんな努力をします。オンリーワンであろうとします。それは向上という面で素晴らしいことでしょうが,一方で,孤独という状況を創り出していきます。過ぎたるは及ばざるがごとし,の言葉を思い出しましょう。和をもって貴しとなすという言葉は,一人一人違っている中で,同じであるところを大切にして付き合っていこうという発想です。自分が喜べば他の人も喜んでいるかどうか,それは幸せになる状況にいるかどうかのチェックになります。



 前号のこの欄では,いじめられている子どもの声をお伝えしました。中学生の作文を再現したものです。母親が様子のおかしいことに気付いて,子どもの思いを落ち着いて聞いてくれて,立ち直ることができたという結末になっています。大好きな親には,喜ぶ姿だけを見せておきたい,みじめな姿は隠しておきたい,その思いが子どもをいじめから抜け出しにくくしています。喜びだけではなく,悲しみも辛さも,何もかも丸ごと一緒に引き受けてやるという覚悟を,子どもにしっかりと伝えてやってください。

★落書き★

 最近は飲み物といえば,ペットボトルに吸い付くスタイルが日常です。家で紅茶を入れて嗜むという大人の姿はまだ見られるのでしょうか。ところで,紅茶は薄いティーカップですが,コーヒーは厚いマグカップでいただくのが普通のようです。紅茶は透明度の高い飲み物であり,光を通す薄い磁器のカップに入れると美しく澄んだ色に見えるからです。コーヒーは,濃い褐色の液体なので中途半端に薄いと不味く見えます。光を通さない厚いカップの方が美味しく見えます。飲み物を目でも味わっているのです。


「子育ち12章」:インデックスに進みます
「子育ち12章」:第53-01章に戻ります
「子育ち12章」:第53-03章に進みます