『子育ちは 人と真っ直ぐ 向き合って』
■子育ち12能力■
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『子育ち第2能力』
【子育ちは,他人を慈しみ交際することができることである】
《まえがき》
この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の方位構成となります。
この56版では,子どもが育ちの中で獲得すべき「12のできる力」を考えます。子どもが発揮する可能性を拓いていく営みが育ちだと想定します。ここで述べていく力は,人が生きていく上で必須とされる基本的な力であり,バランス良く獲得されなければならないものです。
《交際するのは誰ですか?》
前号では子どもに決断する機会を与えるように書きました。子どもに決めさせたら,わがまま勝手になるという心配をされたことでしょう。その心配も当たっています。そこで第2の基礎力が必要になります。
もう一人の子どもが自分と周りの人を同じ人間と見ることができるようになれば,わがままを言うことはなくなっていきます。
少子化の中では,周りが大人ばかりとなり,子どもはどうしても優遇されて甘やかされて育つようになります。世の中は自分の思い通りという錯覚に陥ります。社会性の育ちの環境としては適切ではありません。
自立が順調に進むためには,他者を対等に受け入れられるかどうかがポイントになります。自分の意のままにならない状況をもたらす他者が存在することを受け入れることができるとき,交際の幅は大きく広がり,内容も深く豊かになります。人は皆同じという意識が確立しなければ,社会で自分を生かすことができません。
親が望んでいる子ども像は思いやりのある子どもです。もう一人の子どもが相手の立場になって考えることができるときに,自分を抑えて優しい気持ちを相手に向けることができるようになります。
子どもたちが遊んでいるとき,お互いのわがままからちょっとした衝突が起こりますが,すぐに順番にするといった社会的な解決法を覚えていきます。
毎日の生活の中で譲るという経験をさせてください。家族や友達が楽しく生きるためには,お互い様の気持ちが大切であることをいろんな場面ごとに教えてやりましょう。
自己認識,アイデンティティとは,もう一人の自分が依るべき基盤です。人格の中核であり,自分と他を区別化・同一化する作業から得られます。自分は何かという問に対する答を自覚する,それがプライドを産みます。特に男の子には必要なことです。最初のうちは,名前(他者と区別),姓(家族で同一),次に性別,年齢,役割,県人,団体,といった括りの中の自分を認識していきます。
「自分は男として」,「女として」,自分を見つめる「もう一人の自分=一般的他者」との葛藤を経験します。その葛藤を通して,人は自らのあるべきものを志し,美意識を育てていき,自己形成をすることができます。人の振り見て我が振り直す,という作業が,知らないうちに進んでいきます。だからこそ,朱に交われば赤くなるといわれます。もう一人の子どもは,他者と密接に重なって,自らを律する役割を果たすようになります。自律するのです。
アイデンティティクライシス,IDENTITY CRISISが起こります。自己同一性の危機であり,平たくいえば,もう一人の自分が自分の存在を確信できないということです。近頃耳にするようになった脱法ドラッグは,もう一人の自分を麻痺させるから,事故っても何も覚えていないということになります。我思う故に我あり,といわれるように,もう一人の自分と自分が対等に向き合っていることが,人としてのあり方の基盤です。
自らの存在感,それは自他の確固とした関係性を認識できることです。例えば,外からの規範という形で,私は○○の子ども,課長,妻である,男はこうあらねばならないという認識,一方で,内からの規範という形で,私は○○で社会に貢献したい,私は○○を信条とするものである,といった自意識を持つことです。人という字は支え合う形をしているといわれます。自他を同時に認識する「我々」という言葉によって,交際という関係を構築して生きていくのです。
保護者には,子どもを「世話しなければ!」というストレスがかかります。過剰に感じていると,「子どもは居ない方がよい」と望むようになります。ひょっとした瞬間にそう思ってしまう自分が怖くなるかもしれません。園や学校に行くようになると,「やっと手が掛からなくなった」とホッとする気持ちがあります。仕事をする上で,子どもは足手まといになるとして,結婚しない,産まないという選択が盛んです。子どもなんていない方が? 子どもであったはずの私たちですが?
★落書き★
折角のチャンスを逃したとき,後の祭りといいます。過ぎてしまったという思いに引きずられて,何となく「祭りの後」と錯覚していますが,後の祭りです。前の祭りというのがあったのでしょうか? 昭和41年まで祇園祭は,前の祭りと後の祭りの2回に分けて行われていました。しかし,前の祭りが宵山,山鉾巡行などで盛り上がるのに比べ,後の祭りは小規模でたいして中心になるものがありませんでした。そこから,後の祭りはつまらない,がっかりする,時機を逃すという意味が生まれたそうです。
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