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「第 58-11 章」 |
『子育ちは 人に言われて するでなし』
■子育ち12考察■
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『子育ち第11考察』
【養育】
《まえがき》
この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
《養育とは?》
子育ちと子育て,それは不可分のものです。育とうとする必要状況と,育てようとする十分状況ががっちりとマッチングしなければ,育成は成就しません。馬を水辺に連れて行っても,馬が水を飲む気がなければ,動作は完成しないと例えられています。自分の成長をもう一人の自分が願っているから,子育ちが成立し,養育活動が進展します。また,育ちは自分の可能性を拓いて実現していくものです。もう一人の自分が自分の未熟さをきちんと見極めることによって,育ちが始まります。
子育ての場で,「一々言わないといけない」という言葉が聞かれます。一方で,一を聞いて十を知る,という言葉もあります。一々言わなければならないのは,もう一人の子どもが育てをしていないからです。もう一人の子どもが一を聞いて,後は任せてとなると,言わなくても子どもは育っていきます。子育てをしている親は,もう一人の子どもに働きかけて,子育てを任せていくようにしなければなりません。もう一人の子どもを無視して直に子育てしようとするから,一々言わなければならないのです。
子育ちは失敗をすることから始まり,反省を経て,学習という知恵を取り込んで,挑戦していくプロセスと,これまでにお話ししてきました。失敗したことを親が咎めているから,もう一人の子どもが育ちの機会を失っています。失敗をしたことを他人に言われる前に,もう一人の子どもが反省へとつないでいくようになれば,育ちが進んでいきます。たいていの失敗には目をつぶって口出しせずに見守るというのは,もう一人の子どもに育ちを任せていくための方便なのです。養育の在り方を問い直してみてください。
育ちは自分の未熟さに気付かなければ始まりません。自分は何でもできると思っていても,それは経験してきたことからはみ出していないからです。未経験なことはこの世界に山ほど在ります。育ちを促すためには,子どもに新しい経験の場と機会を与えることが必要です。例えば,学校教育の場では,学年毎の課題が計画されていますが,それは,子どもに新しい経験をさせて,まだまだ未熟であることを思い知らせることで,育ちを促すという意味があるのです。教育とは新しい経験を与え続けることです。
★落書き★
お米は水田に田植えをして育てます。畑作にするところもあるようですが,日本では水田です。その理由は,畑作にすると,同じ土地で毎年育てられなくなる連作障害が出るからです。水の中は,病原菌や害虫が長時間生きていられないので,連作障害の原因がなくなります。また,土中の肥料成分が水に溶け出すので生育に都合がいいのです。日本では3500年前に陸稲(畑作)栽培が始まりましたが,2500年前には水田に移行していたことが遺跡で分かっているそうです。
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