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「第 61-07 章」 |
『子育ちは 思いを届け 分かち合い』
■子育ち12表裏■
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『子育ち第7表裏』
【贈】
《まえがき》
この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
この第61版では,私の育ちの項では表の選択を,私たちの育ちの項では裏の選択を考えてみます。
《贈について考える?》
つまらないものですがと言いつつ,贈り物を差し上げます。決まり文句を添えるのが習わしで,気に入るかどうかの品定めは受け取る方がなさるという表現作法です。習わしに沿うからといって,贈る方はつまらないと思っているはずもありません。喜んで頂きたいと心を込めて選んでいます。下心のある贈賄は別として,普通の贈り物では,受け取る方は自分に対する気遣いを受け取り,ものについての喜びは二の次になります。子どもが母の日に贈ってくれる手作りのプレゼント,気持ちを受け取る喜びが何よりです。
贈る言葉というのがあります。新入生に贈る言葉,卒業生に贈る言葉などです。ところで,生まれてきた我が子へ親が贈る最初の言葉,生まれてきてくれてありがとう,だったでしょうか? そして,心を込めて願いをいっぱいに詰めて名前という贈り物をします。その名付けのときに親は,自分が親から受け取った愛に気付くことになります。命が繋がっていく,それが愛の導きによる代々受け渡される贈り物なのです。命の贈り物,粗末にしないようにしてほしいものです。
贈り物はそれなりの月日や機会に伴うものであり,日常的ではありません。非日常としてお出かけした時のお土産という贈り物があります。一説には宮笥といいお宮参りのお裾分けという幸せの共有ですが,土産になるとその意味はなくなり,土地の産物をわざわざ持ち帰って差し上げるという,共生の喜びを分かち合うようになりました。形は物であるのですが,親が子どもに持ち帰るお土産もそうですが,旅に出ていてもあなたのことを気に掛けていたという証拠として,心に届く贈り物なのです。
新入社員の方が会社を辞める理由に「電話に出られない」というものがあるという報道が目にとまりました。若い人は携帯電話を使っており,知っている者同士での会話に馴染んでいます。ところが,会社では,どこの誰か分からない方から,何の用で掛かってくるか分からない電話を受けなければなりません。受け方が分からないというのです。昔の家では居間にある電話に子どもでも受け答えをする経験をしていました。電話が受けられなくて就職先を辞するという落とし穴があると,知っておいてください。
★落書き★
目安という言葉は,標準や目当てといった意味ですが,安という字は意味が不明です。もとは「目安し」であり,見ていて安心である,見た目がよいことを意味します。この形容詞が名詞化し目安となり,見た目に感じがよいこと,読みやすいように箇条書きにすること,その文書のことを意味しました。中世以降,目安は箇条書きした訴状や陳状,あるいはそろばんの位取りの目印を意味し,さらに目標や基準という意味が派生しました。連想が広がったのです。徳川時代吉宗が設けた「目安箱」は訴状の箱ということです。
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