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「第 68-07 章」 |
『子育ちは できる自分を 確かめて』
■子育ち12改善■
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『子育ち第7改善』
【視聴覚から触覚へ】
《まえがき》
この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
この第68版では,いわゆる「子育て」から「子育ち」への改善について,お伝えしようと思っています。子どもを育てよう,育てなければと願うあまりに,子どもの育ちに水を差したり邪魔をしていることになっていることに気付いてほしいのです。子育てでのしつけのつもりで叩いてしまうと,子育ちを壊す虐待になるといったことが起こらないようにしたいと願っています。決して子育てがいけないということではなく,子育ちとの上手な連携を保っていただきたいのです。
《視聴覚から触覚へ?》
呪文を唱えたり,スイッチを入れると願いが叶うおとぎ話は,大人には荒唐無稽と退けられますが,子どもは大好きです。ドラえもんの「どこでもドア」があればいいなと思います。その背景にそんなものはないという現実感があるから,願望になります。思いっきり現実離れしていれば,願いであることが自覚できます。しかし,日常の中でも思うこととできることの間には大小のギャップがあります。それを分かっていなければ,日々の育ちが疎かになります。
試験前の一夜漬けは誰でも経験しているでしょう。夏休みの宿題は31日にまとめてやればいいという先送りも,お馴染みのことです。でも,思ったようにはいかないというのが現実です。自分にどれほどのことができるか,自分の力を過大評価したくなるものです。思う自分と現実の自分のギャップがそこに現れてきます。できる自分は一朝一夕に完成するものではありません。毎日の小さなできることを積み重ねることが力の源なのです。
みんなができるのに,自分だけができないという場合があります。ママがもっとも気にすることです。口では何でも言えますが,行動として実践する段階には壁があるものです。その壁は練習という面白くない足踏み状態の我慢で突き抜けることができます。できるようになるまでの練習量は一人一人違います。なかなか効果が現れない場合もありますが,それは決して無駄にはなりません。がんばった体験ほど後になって役立つものはないからです。
見たり聞いたりすれば,知ることができます。「それ知ってる」。でも,見ただけでは中身は分かりません。カタログで見ただけで,品物のよしあしは分かりません。ママが生鮮品を買うときには必ず触ってみます。さらには,実際に食べてみて味が分かります。料理も実際に手作りをしないと,美味しさの生み出し方は分かりません。言葉だけの仲よりも,抱きしめ合う仲の方が分かり合えます。頭の理解ではなくて,身体の納得が生きる力になります。
こんなことが言えるようになった。言葉を覚えはじめのころは,親はそう思います。それはもう一人の子どもが誕生している証です。それはいいのですが,そこからさらに,自分と二人三脚で育たなければなりません。したいと思うもう一人の自分と,それができる自分,そのペアが揃わないと子育ちはぎくしゃくします。心身が一致した育ちと考えていただいてもよいでしょう。できたね! その励ましをたっぷりと与えてやってください。
フランスの学校では,鉛筆と消しゴムは使わず、万年筆を使うということです。その理由は,間違えたところは消しゴムで消し去るのではなく、線を引いて残すためなのです。どこをどのように間違えたか,それが分からなければ指導ができないという考え方です。間違えたところをなかったことにするのは,教育の外のことなのです。万年筆を使うのは、消さないためというよりも,字が美しく書けるからだそうです。せめて家庭学習では,間違いに向き合うようにしてください。
★落書き★
かつては,鶏を飼っているお家があって,幼い頃はからかって追いかけられたものです。鳥のくせに飛べないで走っています。元は野鶏といって,キジの仲間で飛ぶことができるジャングルの鳥です。今でもインドなどには仲間がいます。人を警戒しなかったので,7千年ほど前に人が飼い始め,卵を産ませたり,肉を食べるために太らせました。そのため,羽が小さくなり,体も大きくなって飛べなくなってしまいました。野放しにすると,飛べるようになるようです。
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