*** 子育ち12章 ***
 

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「第 71-02 章」


『子育ちは 違うが同じ 気付きつつ』


■子育ち12標準■

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『子育ち第2標準』

【自他を認知しよう?】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
 この第71版では,「子育ち」が獲得しなければならない必須の項目を,確認していきます。日々健やかに育っている子どもたちは,人間として豊かな能力と感性を備えていくことが期待されています。育ちのエネルギーは絶え間なく吹き出しているので,導きを誤ると不都合な育ちに向かう恐れがあります。友だちをいじめて喜ぶような子どもに育ってほしくはないはずです。親も本人も後悔しないように,12の必須の標準を再確認していきましょう。

《自他を認知しよう?》
 園や学校で,同年齢の子どもが一緒に過ごします。多少の育ちの違いはありますが,同じ関心や能力を持っているので,自由な時間に遊具の奪い合いが起こりました。ボクが先に見つけた,ワタシが先に持ってきた,とお互いに主張し合います。もう一人の子どもは自分ひいきですので,他者を邪魔な存在とみなしてなんとか排除できないかと苦労します。自分の思い通りにならない状況があることを経験します。もう一人の自分は対立する自他に直面します。

 自分と他人が先を争って競うようなとき,お互いに譲らなければ膠着状態になって先に進むことができなくなります。それでは,共倒れです。折れるという手を使えば,停滞は動きます。「ワタシが」という言い方に対して,「ボクも」という言い方があります。対立ではなく同立という並ぶ関係です。そこから仲間関係の意識が育まれ,交代するという解決に進むことができます。一歩譲り合えば,お互いの気持ちが通じる世界が開けます。もう一人の自分が自他の共存を認知できる育ちをします。

 親として,子どもの自他の認知にどのように関わっていけばいいのでしょう。もう一人の子どもが自分以外の人をどこか同じであると認めることができるように,同じである証拠を教えることです。名前は違うが姓が同じで家族として同じになる,隣の子どもは,同じ地区,同じ学校に通うから同窓として同じ,ボクは男としてお父さんと同じ,ワタシは女としてお母さんと同じ,といった具合です。違っているけど,同じ所もある,という自他の認知をもう一人の子どもに気付かせましょう。



 クラレが今春小学校に入学する新1年生に就きたい職業を調査しました。男の子の1位はスポーツ選手,女の子はケーキ屋・パン屋で,1999年の調査開始以来連続でトップということです。一方で親が就かせたい職業の1位は,男の子の親は公務員,女の子の親は看護師だったそうです。親と子どもの願いがすれ違っています。今はそうであるということで,育っていくとそれぞれに新たに目指すものが見えてくるでしょう。可能性が育ちと共に狭まっていきます。お楽しみに。
★落書き★

 耳の上,眼の脇に当たる部分は,米を噛むときによく動きます。つまり「米噛み」の部分だから,「こめかみ」という名がつけられました。また,若さの印であるニキビ,昔は「にきみ」と言って「丹黍」と書いていました。丹には赤いという意味があって,赤い黍の実に似ていることからです。やがて,江戸時代中期には「にきび」に音変化し,漢字では「面皰」と書くようになったということです。そういう意味があったのかと,思いませんか?


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