*** 子育ち12章 ***
 

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「第 72-06 章」


『子育ちは 学び教えて 次進む』


■子育ち12熟語■

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『子育ち第6熟語』

【教学相長?】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
 この第72版では,「子育ち」が獲得しなければならない必須の項目を,漢字表現に託してみます。同じことを違った表現をすると,視点が動くことによって,隠れていた面が明らかになります。乱暴な子は元気な子,内気な子は考え深い子,落ち着かない子は好奇心旺盛な子,と表現すると違って見えてきます。どこまで視点を動かすことができるか分かりませんが,挑戦することが大事です。新たな12の指標盤を楽しんでください。

《教学相長?》
 夏休みは子どもにとって天国です。8月末になると,どうして学校に行かなければならないのか,と疑問に思います。行きたくないから,行く理由がないという状況を期待しています。いい加減な理由では納得しないぞと,反発したくてうずうずしています。バカなことを考えずに,さっさと行きなさい。親からは一蹴されて,あえなく沈没です。学校に行かなければならないのではなく,行った方が得なのです。毎日普通に通うから,学年が上がって成長していきます。もう一人の自分のために教学することができます。

 学校は学ぶところです。先生が教えるところではありません。教習所や塾ではないのです。子どもたちがお互いに教え学んで知識を助長し,発展させていくことができるように,大人が支援するところです。学ぶことと教えることは裏表でセットになっているのです。知識を学ぶだけに止めず,教えることを通して身につきます。野菜を買ってくるように知識を手に入れるのが学び,その食材を自分の手で調理して食べさせるように知識を整えるのが教えです。学ぶだけでは自分のものになりません。

 親として,子どもが教学相長できるようにするためには,どのように関わっていけばいいのでしょう。もう一人の子どもが学んできたことを教えてもらうように持ちかけることです。子どもをほめて育てることが勧められますが,何をほめたらいいのかが分かりません。子どもの学びを教わるという形で聞いてやると,子どものできることがそこにあるので,「ほう,そうなの」と感心したり,「できたね」とほめてやることができます。子どもに教える機会を与えることが,子どもの学びへの支援です。



 若くして積極的に慈善活動などに参加する人たちを揶揄するような意味を込めて,「意識高い系」と呼ぶ若者がいるそうです。自分に無いものを貶すことで溜飲を下げるのは人の常かもしれません。イソップ物語の中で,高い所になっているブドウを取れずにいるキツネが「あれは酸っぱい」というのと同じです。人として表に出さない方がいい感情です。そのような言葉を飲み込めずに,ついついネットにつぶやいてしまうと,その嫌らしさは思わない形で跳ね返ってくるので用心した方がよいでしょう。

★落書き★

 話を聞かされるとき,とどのつまり,何が言いたいのと思うことがあります。とどがどのようにつまるのでしょう? とどは海獣のトドではありません。出世魚のボラは成長と共に,オボコ→スバシリ→イナ→ボラ→トドと名前が変わります。途中でどのように呼ばれていても,最後はトドになることから,「あれこれやってみても,結局は」という意味で使われるようになりました。ここまで読まれて,だからどうした?と思われませんでしたか? とどのつまり,知らなかっただろうと自慢したいだけなのでは? 違います!!


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