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「第 73-02 章」 |
『子育ちは 向き合う人に 導かれ』
■子育ち12願語■
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『子育ち第2願語』
【向き合いたい?】
《まえがき》
この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
この第73版では,「子育ち」をしている子どもたちが,育ちの発露としての願っていることに寄り添って考えてみようと思っています。育ちたいという思いを12の指標になぞらえてみることで,子どもたちにしっかりと支援の手を伸ばすことができるでしょう。それは一方で,子育てをしている大人には,大人の出過ぎる願いを控えることにつながるはずです。子どもの願いという新たな12の指標盤を楽しんでください。
《向き合いたい?》
子どもたちは,ディスプレイに向き合っています。自転車に乗っていても,スマホに向き合っています。側にいるはずもない人と向き合っているつもりですが,ただ器械でつながっているだけです。一方で,学校では四六時中横関係の同じ顔に向き合わされているので,鬱陶しくなって排除しようという空気がはびこって,いじめが起こっていきます。ほんの数人でいいので,あらゆる向きそれぞれに向き合える人が居なくてはなりません。親子以外の異年齢の縦の仲間たち,斜めに向き合う気心の知れた近所の人たちです。
家に閉じこもるより,子どもの中にいる方が,子どもの育ちが進みます。自分以外の他者に向き合うことで,自分を知ることができるからです。他者は自分にとって邪魔になることもあれば,居て良かった場合もあります。人と向き合う経験から学ぶことによって,人としての間合いを身につけることができます。他者と自分を対等に見て,もう一人の子どもが他者の側から自分を見ることができます。その視点が思いやりを生み出してくれます。鏡に映る像が自分であると分かるのは,もう一人の子どもが居るからです。
親として,子どもが向き合いたいという願いを持って育つためには,どのように関わっていけばいいのでしょう。例えば,子どもが人見知りをするとき,親がその人と向き合っている姿を見せてやります。信頼する親が向き合っている人だから,安心してどんな人かなと期待を持って向き合ってみようとするでしょう。子どもを抱っこすると,子どもは親と向き合ってばかりで疲れてきます。おんぶすれば,親と同じ向きで人と向き合うことができます。向き合う人の中に自分を見つけて,子どもは自他の共通性を見つけていきます。
スマホの扱いを間違えると不都合なことが起こるので,注意の話をすることがあります。3つのことを話しています。ネットに放り出した情報は止められないということで,ノーブレーキ。だから,アップする前に確認の一次停止を。ネット上の情報は簡単に流出するということで,ノードア。秘密はアップしないこと。ネットの向こうにいる人はどういう人か見えないということで,ノーフェイス。写真があっても本人かどうか?確認不能です。転ばぬ先の杖という用心が大事です。
★落書き★
夏を過ぎると,子どもが家路につく時間は黄昏れています。夕方,薄暗くなると,人の姿が見分けにくくなります。道行く人が誰か分からないと不安になります。「誰そ彼(たそかれ)」と尋ねることもありました。その「たそかれ」が「たそがれ」になり,「黄昏」の漢字が当てられ,その時間帯を意味するようになりました。警察からの安全メールに依ると,帰宅中の小学生に「どこの子」などと声を掛ける不審者が現れたといったことがあるようです。登校時よりも下校時の見守りが薄くなるので,ご用心ください。
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