*** 子育ち12章 ***
 

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「第 74-02 章」


『子育ちは じぶんとひとと 付き離れ』


■子育ち12独語■

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『子育ち第2独語』

【ひとはひと?】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から理解することを目指しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問に沿うものです。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると,12の論点が生じます。これが羅針盤の針路構成となります。
 この第74版では,第73版の続編として,「子育ち」をしている子どもたちが,育ちの最中に心でつぶやき続けている言葉に寄り添って考えてみようと思っています。育ちたいという思いを12の指標になぞらえてみることで,子どもたちにしっかりと寄り添うことができるはずです。それによって,子育てをしている大人の願いが子どもにきちんと伝わっていくことでしょう。子どもの自然に発露する独り言という新たな12の指標盤を楽しんでください。

《ひとはひと?》
 出産,乳離れ,親離れ。子どもは離されていき,自立へと追いやられていきます。家族に囲まれている一方で,皆がそれぞれ勝手に生きていることに気付いていきます。頼りになるけど,常に思い通りに頼れるわけでもない周りの人たちを知り,ときには自分の意に沿うことのない人とも出会うようになります。人見知りという不安感が芽生えます。もう一人の自分が自分と他者を別々の存在と認知したとき,自分は自分という意識と対になる,人は人という意識を持つようになります。

 人それぞれのみんなの中にいる自分を知ったとき,社会というものが見えてきます。そこでは人との関わりがそれぞれに選択されます。一緒にいると楽しい人とそうでない人,優しくしてくれる人とそうでない人,いろんな選択によって,つながりのネットを組み上げていきます。そのつながりが壊れるときがあると,混乱します。いつも一緒に連れ立って下校していた友だちが突然に疎遠になったとき,どうしてと落ち込みながら,自分の選択と相手の選択は全く同じではない,ひとはひとであると受け入れていきます。

 親として,子どもが「ひとはひと」という思いを育ちに組み込んでいけるためには,どのように関わっていけばいいのでしょう。親子関係では,親は子どもの望み通りに動かないこと,子どもは親の思い通りにならないことを分かり合うようにします。ひとはひととそれぞれ独立した個人である一方で,思いが同じである部分で共生する,共同するパートナーでもあり得る,それが社会生活の要であると,普段の生活の中で体験させることです。お互いを尊重しつつ頼り合うような,適切な間合いのある関係が望まれます。



 子どもたちの環境は,親世代の子ども時代とは様変わりしています。お店での支払いに小銭を持って行っていましたが,今は交通系ICなどの現金以外で買い物をしています。小銭を探し掴み出す煩わしさから解放されましたが,財布の中身が減ることを気にしていた節約ブレーキが取り除かれてしまっています。つい余計なものを買いすぎてしまうことで,欲望を解き放っています。お金の大事さを小学生低学年までにどのように教え込んでおくか,新しい課題を今の親は突きつけられています。先ず自戒から?

★落書き★

 所持金がなくなることを「おけらになる」といいます。昆虫の「オケラ」の別名が「裸虫」であることに由来するという説があります。また別に,植物の「オケラ」の根の皮をはぐと薬になることから身ぐるみ剥がされる様子を連想するという説などがあります。IT社会で人との関係にITが割り込んで,お金との関係もITが割り込んで,いずれも触れ合いが遮断されると,相手に気配りすることがなくなり,一方的な走り方に突き進みます。人もお金も暴走に巻き込まれます。


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