*** 子育ち12章 ***
 

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「第 77-02 章」


『子育ちは 信頼あって 真っ直ぐに』


■子育ち12心算■

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『子育ち第2心算』

【重いつもりで軽いのが信頼 軽いつもりで重いのが虚言!】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から考察しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問題視です。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると12の論点が生じ,これが羅針盤の針路構成となります。
 この第77版では,「子育ち」をしている子どもたちが育ちに向けているはずの心づもりに寄り添って考えてみようと思っています。育ちたいという切なる積もりを12の指標になぞらえてみることで,子どもたちの育ちの現実に寄り添うことができるはずです。それによって,子育てをしている大人の願いも子どもにきちんと重なっていくことでしょう。子どもがなんとかして向かっていこうとする心づもりを理解する新たな12の指標盤を楽しんでください。

《重いつもりで軽いのが信頼!》
 仲良しだと思っていた友だちが,この頃どこか様子がおかしいと感じて不安になります。以前には何かと噂を話していた人と今は連んでいるみたいです。ひょっとしたら,自分のことをあれこれ噂しているのではないかと不安になります。そばを通るとき,こちらをチラチラ見てクスクス笑っているように見えます。信じられない,と人間不信に追い込まれそうです。後になって実際はそうではなかったと,誤解が解けることでしょう。ただ,信頼というのは些細なすれ違いで、軽くなってしまうことに気をつけなければなりません。

《軽いつもりで重いのが虚言》
 SNSで友だちのことをほんの軽いふざけのつもりで悪口を書き込みます。限られた仲間内という安心感があるようですが,ネットの間接性が言葉の曖昧さを増長します。面と向かっているのであれば,悪ふざけでも冗談と分かるでしょうし,言い返しもできますが,画面上の文字だけでは意味通りに伝達してしまいます。書き込んだ方では軽い冗談でも、受け取る方では重い悪口になります。憂さ晴らしの小さな虚言も,信頼をぶち壊しにすることになります。いじめの道具に使われるのも当然です。

 子どもが「信頼を目指し虚言に引き込まれない」という心算を実現できるためには,親としてどのように関わっていけばいいのでしょう。まずは親子関係の絶対的な信頼を構築することです。日常的には例えば,約束は守るといったことです。信頼される自分でいることによって,人も同じに信頼に応えようとしていると思います。ただし,1割の注意や警戒を忘れないことです。人の弱さを想定することによって,確かな信頼関係を結ぶことができるでしょう。信頼するから信頼される、それが真っ当な人間関係です。



 神戸市の教員による不祥事のニュースは,あり得ないことと思いたいけれど,あり得るという現実を突きつけられます。ただごく一部の特殊な発生であるという落ち着いた観点が必要です。もちろん親は我が子を守る義務があるので,降りかかることもなきにしもあらずと,警戒を怠らないことが必要になります。陰で同僚いじめをしていながら,一方で子どものいじめを防止するなど,教師失格,人としても愚かさを露呈しています。どういう育ちをした結果なのか,親の顔が見たいと思ってしまいます。

★落書き★

 中国では,保は小さな城,障は砦を意味しました。城と砦によって防衛するという意味の「保障」でしたが,戦争以外の場にも使われるようになって,責任をもってその状態を守ることを言い表すようになったということです。親は子どもの育ちを保障する責任があります。育っていく子どもを城と砦になって守ってやらなければなりません。保護者という言葉も,城となって護る者という意味になります。護るべき子どもに手を挙げる城となる者は虐待者に変身です。変身無用です。


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