*** 子育ち12章 ***
 

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「第 77-07 章」


『子育ちは 地味な能力 コツコツと』


■子育ち12心算■

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『子育ち第7心算』

【高いつもりで低いのが能力 低いつもりで高いのが見栄!】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から考察しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問題視です。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると12の論点が生じ,これが羅針盤の針路構成となります。
 この第77版では,「子育ち」をしている子どもたちが育ちに向けているはずの心づもりに寄り添って考えてみようと思っています。育ちたいという切なる積もりを12の指標になぞらえてみることで,子どもたちの育ちの現実に寄り添うことができるはずです。それによって,子育てをしている大人の願いも子どもにきちんと重なっていくことでしょう。子どもがなんとかして向かっていこうとする心づもりを理解する新たな12の指標盤を楽しんでください。

《高いつもりで低いのが能力!》
 子どもたちの視力が心配になるほど低下しているということで,情報器機との過度の接触が背景にあるそうです。溢れる情報に人の処理能力が及ばないまま,そのことに気付かずになんでも知っていると思い込んでいます。足の能力が不自由な障がい児は車椅子を使うことを見知っていて,車椅子に乗っているので楽をしてると,言いがかりをつけます。見ているだけでは本当のところを知ることはできません。知るとは,自らの能力を発揮する経験を通して完成するものです。情報世界は虚像という低さの原則があるのです。

《低いつもりで高いのが見栄!》
 インスタ映えという指向があります。日常の一コマをこんなシーンはどうですかとアピールしています。イイネと言ってもらいたくて,あるいは共感して欲しくて,ということでしょう。見映えは,見栄えとも書くように,見栄として取り繕うことです。一方で,ありの〜ままで〜,というフレーズも共感を得ていました。どちらにしても,見られるということに拘りすぎています。見た目が大事なこともありますが,立ち居振る舞いが美しいという本物の価値観を身につけさせてやりましょう。化けの皮はすぐ剥げます。

 子どもが「能力を目指し見栄に引き込まれない」という心算を実現できるためには,親としてどのように関わっていけばいいのでしょう。日々の暮らしの中で出会う体験を手抜きせずにきちんと向き合って積み重ねていくようにします。掃除をイヤイヤするのではなくどうせするなら完璧に,手抜きして楽することがカッコいいのではなく真っ直ぐ向き合う自己管理能力が自信の基盤であると,付き添って後ろ姿を見せて教えることです。口で言うだけでは,口で言うことしか覚えません。全身を使わなければ!



 女子小学生が男子中学生にカッターナイフで切りつけられるという事件が起きました。イライラして誰でもよかったという動機のようですが,理不尽としか言い様がありません。このような中学生に育ててしまったことが問題です。それは親を責めるのではなく,子どもが置かれている現在の社会環境が問題という大人の気付きです。ナイフなどによる身体の痛みを経験していないから,弱者に向ける非道さを思い描く能力が育っていません。こうしたらこうなるという実感的物語が語れないのです。

★落書き★

 社会的な共同活動をする際には,事前に打合せをします。この打合せとは? 邦楽や雅楽には指揮者がいないので,演奏者同士で事前に調子をよく合わせておかないと,本番でバラバラな演奏になってしまいます。そこで,鼓を打って調子を合わせる練習をしますが,それを打合せと呼びます。そのことから,共同活動をする際の前相談をする意味にも使われるようになりました。家庭生活を親子で打合せて協働することは,子どもにちゃんと生きていく能力を教え込むことに通じます。


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