*** 子育ち12章 ***
 

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「第 77-10 章」


『子育ちは 自分を生かし 他を護り』


■子育ち12心算■

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『子育ち第10心算』

【太いつもりで細いのが愛護 細いつもりで太いのが我執!】

《まえがき》
 この子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの視点と2つの領域から考察しています。6つの視点とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問題視です。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を想定しています。6つの視点にそれぞれ2つの領域を重ねると12の論点が生じ,これが羅針盤の針路構成となります。
 この第77版では,「子育ち」をしている子どもたちが育ちに向けているはずの心づもりに寄り添って考えてみようと思っています。育ちたいという切なる積もりを12の指標になぞらえてみることで,子どもたちの育ちの現実に寄り添うことができるはずです。それによって,子育てをしている大人の願いも子どもにきちんと重なっていくことでしょう。子どもがなんとかして向かっていこうとする心づもりを理解する新たな12の指標盤を楽しんでください。

《太いつもりで細いのが愛護!》
 人に限らずにほとんどの生き物の赤ちゃんを見ると,可愛いと思います。可愛いとは大切に思い護りたいという気持ちです。子どもが子犬を見て可愛いと言い,側に置きたいと思って飼ってもいいでしょとねだってきます。ちゃんと世話できるなら,という条件が付けられます。面倒見るからと言っていましたが,大きくなったら構わなくなってしまいます。動物愛護とは護り続ける責任という覚悟が必要なのです。可愛いというか細さでは,愛護としては不十分です。他を護ることの悦びを経験することが必須の育ちです。

《細いつもりで太いのが我執!》
 生きるためには自分勝手でなければなりません。子どもは本能のままに要求してきます。社会生活の中では,要求が衝突し,無理をすれば他を侵害し合うことになります。我慢という言葉があり,本来は文字通り高慢とか強情という意味ですが,忍耐という逆向きの意味も付け足されています。自分だけの小さな考えにとらわれる我執の太い縛りから脱して,我を忍耐し,他と共生する余裕を獲得していく育ちが必須です。足るを知るという言葉は,残った方を他に与えることと理解すべきです。仕合わせとは合わせることです。

 子どもが「愛護を目指し我執に引き込まれない」という心算を実現できるためには,親としてどのように関わっていけばいいのでしょう。一家団欒という姿は集まって楽しく過ごすことです。一つ釜の飯を食べるためには,独り占めするのではなく,皆で分け合うことです。分け合って食べるから美味しい,そういう気持ちを持つことが,お互いを愛護する悦びを育てていきます。狡して余計に取った,それを喜ぶように育てたら,末はどうなることでしょう。甘やかすこともほどほどにしましょう。



 国際比較で,日本の子どもの読解力が低下しているという報道がありました。中学生の作文を審査する機会がありますが,文章力も下がっていると感じています。読み書きの裏表の力が揃って育っていないのは気がかりです。使う言葉が少ないということは,思考が雑で浅いということです。「考えたことない」というキーワードを使っているテレビ番組がありますが,それは言葉を持ち合わせていないということです。言葉遣いがしつけの核心であったはずですが,どうなってしまったのでしょう。

★落書き★

 江戸時代,自分で生計を立てることを「腕一本,すね一本」といっていました。腕とすねは,自分で働き,暮らしを立てる力のシンボルでした。そこから,いつまでも親を頼りにしている子どものことを「親のすねをかじる」「すねかじり」というようになりました。子育ては,子どもが巣立ちをするための準備です。暮らしとは何をどうすることか,親の暮らしの姿を見習わせることが基本です。もちろん,どのように働いているか,世間との関わり方のあれこれなど,塾などでは学べないことがたくさんあります。


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