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「第 80-01 章」 |
『子育ちは 踏み出す道を 適切に』
■子育ち12進路■
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『子育ち第1進路』
【任せば,考える子どもに育ちます!】
《まえがき(毎号掲載)》
子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問題視座です。また,2つの領域とは,自分の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が羅針盤の基本的な考察の構成となります。
この第80版では,子どもたちが育ちに向っていく上でより望ましい向きに育ちの歩みを踏み出す契機について考えてみます。ただ闇雲に育てばいいのではなく,育つべき道に沿って育っていくことができるように,親が子どもを12の指標に向かう出発点に導いてやることができるはずです。心豊かな子に育ってという親の願いに対して,子どもは自分はどうすればいいのと問いかけています。それなりに指導や助言をすることになりますが,それだけで十分か,他にしておくことはなかったかと迷うことがあります。全体を見渡す指標として参考にしてください。
《任せる!》
子育てで遭遇する最大の壁は,子どもは親の思い通りにはならないという虚しさです。親だからという焦りがあると,イライラして無理難題をしつけと称して押し付けたくなります。その先は虐待に行き着きます。自分の子どもという気持ちが所有者という思いにすり替わったとき,奴隷や家畜の飼い主と同じに強権を託されていると錯覚するようになります。自分の子どもだからどうしつけようと親としての監督権の中にあるという屁理屈を持ち出します。養育と飼育とは違います。
早く,さっさと,ちゃんと,というかけ声は,必要なときだけにして,子どもがしようとしている気持ちをしっかりと受け止めてやってください。子どもが何かに行き詰まっていても,取りあえずは任せておきます。必要に応じて,してみせるとか,ヒントを与えるとか,手助けをしてもいいですが,それを受け入れるかどうかは,子どもに任せておきましょう。自分でするんだとあくまでもがんばっているのなら,そうさせておきます。未熟な能力であっても総動員しようという気持ちを大切に!
《考える!》
何が食べたい? 献立に苦労しているママは,尋ねます。子どもはたいていカレーやハンバーグなどの好物を提案します。「昨日,お肉を食べたでしょう! 他のものでなければ」。食事は日替わりするものという知恵を授ける機会です。今日の献立を考えるときは,昨日,一昨日の実績を勘案するという物差しがあります。海や山の幸には旬という時期があり,今の季節は何が美味しいかという情報も取り入れなければなりません。もちろん,お値段も大事です。献立を教材にして考える訓練です。
ママの姿が見ません。子どもはべそをかくかもしれません。でも,しばらくすると探そうとします。ところで,捜し物をするときには,たいていは心当たりを探しますね。あそこではないかなという状況判断をしているはずです。子どもも同じです。ママはあそこかもしれない? これまでに見て覚えてきたママの居場所のデータを思い出しながら,一所懸命に心当たりを考えます。子どももなんとかしようというときには,考える力を発揮できるのです。
新型コロナ感染を避けるために,オンライン授業という教育手法が登場しました。子どもたちの手元にネット端末が届いていくと,ネットリテラシー教育が必須となります。ネットの世界に子どもを丸裸で関わらせると,心の病害に無防備に晒すことになります。任せるのは放置するのではなく,防護する条件が必須になります。今の学校にはその余裕はないので,親の保護が求められています。
★落書き★
総計いくらになるかを示したり,与えられた式の数値を出すことを計算と言います。計算の語源は古い中国語で,史記に出典があって,「計(はかる)+算(数える)」という今の用法とそっくりです。日本でこの言葉を使うようになったのは明治維新を迎えてからで,近世までは勘定を使っていました。勘定書きをお願いします,お勘定をおねがいします,勘定高い人,勘定に入れていなかったなど,今も勘定は健在です。学校での算数や数学の授業では,勘定は使われずに計算を使いますが,どうして急に古い言葉が使われるようになったのでしょう?
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