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「第 81-11 章」 |
『子育ちは 直し治しの 繰り返し』
■子育て12心戒■
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『子育て第11心戒』
【子どもの弱点を暴かないこと!】
《まえがき(毎号掲載)》
子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問題視座です。また,2つの領域とは,自分の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が羅針盤の基本的な考察の構成となります。
この第81版では,子どもたちの育てに関わっている親御さんが心得ておいた方がよい戒めを「心戒」として考えてみることにします。何となくなるように育てればいいというのではなく,あるべき育ちに沿っていくことができるように,親は子どもの育ちを見守りつつ支えてやらなければなりません。心豊かな子に育ってほしいという親の熱い願いが時として過剰に子どもに向けられることがあります。子どもは今の自分ではどうすればいいのと問いかけています。子どもの育ちのペースに寄り添った親の支援になるために,親は自分の子育てを検証することが必要です。今すべきことか,相応しい程度か,順序に沿っているか,子どもの育ちを見極めて,それなりに指導や助言をすることになります。子育ての全体を見渡したポイントになる12の指標を参考にしてください。
《弱点を認める余裕!》
子どもの口は怖いものです。生理用のナプキンを着ける母を目撃してしまった幼稚園児が,ママは大人になってもオムツがとれないんだと密かに心を痛めていました。しかし,数日後,母に思いっきり叱られた園児は,腹いせに幼稚園の友だち,先生,近所のオジサンオバサンに「うちのお母さんはまだオムツしてるんだよぉ〜」と言いふらしてやりました。ことの真相を分かる頃にはきっととんでもない思い違いを反省することでしょう。
ママは子どもの弱点を知り尽くしています。子どもの反撃など意に介せずというか,露程も思っていないことでしょう。ところがどっこい,ママの身近でチョロチョロしている子どもの目には,飾らないママの素っ裸が映っています。もちろん大好きなママですから意地悪な目ではありません。でも,ママが気分に任せて子どもの弱点を突いていくと,反発心が惹起されて,とんでもないしっぺ返しを食らう羽目になります。幸か不幸か,ママは気が付いていないのですが・・・。
子どもは生半可な知識を仕入れてくるものです。どこで聞いてきたのやら6歳の息子さんに「お母さん,ブス専って何?」ときかれました。「不細工な女の人が好きな男の人のことだよ」。「あ〜! お父さんみたいな人のことだね!」。・・・数秒間凍りついた後,ママが穏やかに「そんなにお母さん不細工?」とたずねたら,息子は慌てて真っ青になって必死に横に首を振り続けてくれました。口を利かないところがお利口さんでした。
子どもは知らないことに出会うと,尋ねてきます。ママは意味を解説してやります。子どもはそこでもう一歩確認しようとします。その際に使う手は,身近な例に準えようとします。すんなりと納得できるからです。よいことであればいいのですが,望ましくないことであると,差し障りが生じてしまいます。子どもは単に分かりたいという純粋な思いなのですが,引き合いに出された方は困ったことになります。でも,それは悪気はないのですから,笑って見過ごしてやってくださいね。
お宅のお子さんはどんなお子さんですかと尋ねられたら,至らないところが次々にあげられることでしょう。こんなにいい子ですと言いたくても,遠慮して言わないのではなく,思いつかないのではありませんか? 親の目から見れば子どもは未熟です。それを弱点と見なされると子どもは困ります。親になっても大人として恥ずかしい部分を持ち合わせていることを自覚していれば,子どもの至らないところも温かく受け入れてやれるはずです。
テレビ番組中で,若い子が親に問いかけられて「知らな〜い。そんなこと考えたことな〜い」と応じる場面があります。全員答えたら○○円といったクイズ番組です。そんなことも知らないのという驚きを楽しむのではなく,考えたことないと言わせて終わりではなく,考えてみようというフォローを楽しんでほしいものです。似たようなものに,ぼーっと生きてんじゃねーよ,と怒るチコちゃんもいます。弱点に向き合うときが考えるスタートなのです。
★落書き★
相手を非難する気持ちで意地悪く遠回しに相手の弱点を突くことをヒニクといいます。中国の語源は皮肉で,身体の意です。皮と肉を離されるようなつらく苦しいという意に使われ、さらに転じて,骨髄に対して「うわべ・表面・浅薄」の意になりました。日本では,皮と肉の間の境目のきわどい・微妙さの意に転じて,痛いところ、弱み,急所の意となり,当てこすり・嫌みにも転じました。明治以降,遠回しにこたえるような痛烈な非難の意に発展しました。
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