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「第 84-04 章」 |
『子育ちは 互いに支え 頼り合い』
■子育て12確認式■
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『子育て第4確認式』
【共生性=分担+責任!】
《まえがき(毎号掲載)》
子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
この第84版では,子どもたちの育ちがどのようにあればいいのか,確認をするポイントを総括します。育ちには多様な属性が結びついて一体化する設計図とも言える様式があります。順序が違ったり,逆につながったりすると,本来の属性が機能せずに,育ちに不都合が織り込まれてしまうこともあります。
人として心豊かに育ってほしいという親の願いが,子どもの育ちに寄り添った支援になるためには,日々の子育てを確認することが必至です。子育ての全体を見渡したポイントになる12の指標毎に属性のつながりを確認してみましょう。
《解説》
子育ちの場である安心をもたらす居場所,それは同時に人として生きていく場でもあるはずです。ところが,現在の社会は,「無縁社会」と特徴付けられています。他人のことには無関心でオンリーワンという言葉を孤独な装いで解釈しようとしています。その一方で,人とのつながりを持たないと不安であるという本能が焦りをもたらし,人間関係が不自然な堅さを帯びています。人間関係に疲れるということ自体が不自然なのです。それぞれが自分の存在役割を自覚し分担し責任を果たすことによって,共に生きるという覚悟を持つべきです。
《事例:触れ合い》
情報社会は主として間接的な視聴覚社会です。虚像の世界であることを最も象徴することは,触れない世界ということです。人にとって触れるという感覚の世界は最も基本的な世界であることを忘れてはなりません。触れるという身体感覚を失うことは,心身ともに致命的です。触覚を失うと人は寝たままで身動きできず起き上がることもできません。足が痺れたら立てなくなる経験からも推察できます。言葉の付き合いだけで,直接触れ合わないと人の温もりを感じなくなり,関係が機械的になり,共に生きているという社会観が失われます。
《事例:依存権》
自立させることを急ぐあまり,依存させないしつけをすることがあります。いわゆる,甘やかさないということです。依存することは自立と矛盾することではありません。人は自立と依存の両面で生きているのです。家庭はそれぞれ自立してそれぞれが依存しています。自分のことは自分でする,だからあなたのことはあなたがする,それでは共生はできません。自分のことのほかに,ちょっとだけ皆のことをする,それが共同生活です。家族のために,皆のために,自分のできる分担に責任を持つこと,その依存関係が社会関係です。
《事例:よしみ》
身近にいる方とは,何かとお世話になる関係ができます。それを忌避するのではなく,素直に受け入れるようにしましょう。ある朝、目が覚めたら息子(3歳)の姿が見当たらない…。家中探しても見当たらず、玄関を見たら鍵が開いている…。真っ青になって大声で我が子の名前を叫びながら、外に探しに出た。すると隣のママが、「レン君ウチで朝ご飯食べてるよ♪」。今度は真っ赤になってしまったレンパパでした。子どもが取り持つご近所との御縁,大切に育みましょう。
《事例:想定外》
家族であっても,それぞれに思い通りに動いているわけではありません。思いのすれ違いが普通です。言うことを聞かない2人の娘を叱り、イライラしながら料理をしていたら、「ママ、写真とって」の声。「この忙しい時に!」と怒って振り向くと、プチトマトのへたを両方の鼻の穴から出して「鼻毛ーー」と笑う5歳と2歳がいた。吹き出した。思いがけない関わりに出会うことが日常茶飯事ですが,家族であるから通じる関わりになります。家族の思いが絡み合うことで,家族の絆が紡がれていきます。
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※自分を見失って心の病を持つ子どもが,南の島で暮らしているうちに,自分を取り戻したという話を聞きました。暮らしの変化が良かったのですが,どのような変化であったのかというと,家族の一員としての暮らしをしただけというのです。ただのお手伝いではなく,生きていくために当然しなければならないことを分担し責任を持つということです。いい加減なことをすれば家族全員が困る,きちんとすれば家族全員が助かる,その共生関係が皆の中にいる自分を見つけさせてくれます。だからこそ,家族が社会の基本単位になります。
親の心子知らず,という言葉があります。子どもは勝手なことばかりしたり言ったりで,少しは親の苦労も分かって欲しいと思うことはありませんか。でも,それは無理な注文です。子どもに親の心が分かるはずもありません。親になったことがないのです。親の心が分かるのは,自分が親になったときです。経験しないことは知恵にはなりません。小説家は自分より年上の人は書けない,役者は自分より年上の人は演じられない,と言います。たとえ言葉を知っていたとしても,経験という証拠がないと,知恵にはならないのです。
★落書き★
スポーツをしているお子さんがいると,観戦していて言ってしまうかもしれません。「ボーンヘッド」と。野球なら,走者が権選球で刺されたり,野手がイージーなフライを落球したりすると,判断のお粗末さを解説者が「ボーンヘッドですね」とコメントします。ボーンとは「骨」のことなので,直訳は「骨頭」です。意味は頭の中が骨ばかりで脳みそがないということで,頭の悪い間抜けなプレーという意味になっています。
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